第12話2-2妹の心情

 晴美はそこまで読むと、ワードを閉じてパソコンから目を離しました。椅子の背もたれに仰け反りながら腕を組み、目を閉じました。自分の膨れた乳房に腕を押し返されながら、いろいろな考えを押し返していました。


「姉さん、それは違うよ」


 彼女は震える声で涙しました。口に入ってくる涙は塩気がついて美味しいものでしたが、今の彼女には味覚はないに等しいものでした。誰に言うわけでもなく独り言をしています。


「姉さん、どうして1人で全てを背負い込もうとするの?悩みがあったら私に言ってくれてもいいじゃない。私たち、唯一の姉妹じゃない」


 彼女は瞼を指で押しました。


「私もじいちゃんには死んでほしいと思っていたわ。でも、そんな根性もなかったし、そういう根性もいらないと思っていたわ。あんなキチガイのせいで自分が刑務所行きになるなんて馬鹿らしいと思っていたのよ」


 瞼から涙が溢れています。


「それに、私は姉ちゃんのことは恨んでいないわ。逆に姉ちゃんが私のことを恨んでいないかと心配だったわ。だって、私を庇って怒られているところがあったから、私なんか生まれてこなければ良かったと思ったことがあったわ」


 溢れる涙の勢いに押されて、手をどけました。


「私も姉ちゃんと一緒に遊んだりして楽しかったわ。その思い出はじいちゃんに引き離されてからもずっと心の支えだったわ。もちろん、姉さんが思っていたとおり私は落ち込んで暗かったと思うし、どうしたらいいのかわからなくて困惑していたわ」


 背もたれに背中をあずけて腕をダラーンと力なく垂らしました。

「姉さんが私に話しかけたくて近くで様子を見ていたことは知っていたわ。でも、それに対してどう答えたらいいのかわからないし、それで祖父がまた何か暴れ始めたら姉ちゃんに迷惑だと思ったの。姉さんがライターの火を突きつけられている姿を私はもう見たくなかったのよ」


 指の先が痙攣していました。


「大学に行くか行かないかでライターの火をつきつけてくるなんて、よく考えたら……いえ、よく考えなくても意味不明よね。姉さんが劇団入ると言い始めたときはのこぎりで威嚇されていたけど、どうしてのこぎりを手元に置いていたのかしらね。私が大学行く時は釘での威嚇だったから拍子抜けしたものだわ」


 唇も痙攣していました。


「それに、じいちゃんが死んだと思われる雨の日のことだけど、私、姉ちゃんたちを追いかけたのよ。理由はね、そうね、嫌な気がしたから……かな?姉ちゃんが長靴に履き替えるために戻ってきた時に、直感ね」


 目をパチリと開けて涙が散りました。


「バレないように坂を上がり切ってすぐ横のフェンスに背中を密着させながら身をかがめていたわ。隠れるためでもあったけど、雨風を防ぐために橋の横のフェンスではなかったの。だから、橋からみたらバレバレだったかもしれないわ」


 瞬きで上まぶたが下まぶたを覆って気持ち悪い感覚に陥りました。


「それでね、姉ちゃんがじいちゃんと争っているところを見たの。そして、そのあとにじいちゃんが端から落ちていくところも……姉ちゃんが殺そうとしたのか正当防衛だったのか、遠くからじゃわからなかったわ」


 指で瞼を引っ張って調整しました。


「怖くなったから家に急いで戻って、風呂に入ったのよ。ちょうど外から帰ることを考えて母さんが沸かしていたわ。姉ちゃんが帰ってきた時にちょうど私が入っていたのは、そういうことよ」


 瞼から離した手で鼻の下の水を拭いました。


「そのあとは大変だったわね。じいちゃんが足を滑らせて川に落ちたと聞いたときは母さんが警察に電話したものよ。そして、私は自分が見た光景を言うべきかで悩んだものよ」


 指についた液体を口に運んで舐めました。


「姉ちゃんも大変だったでしょ? 目の前でじいちゃんを死なせてしまったんだから。そして、つい嘘をついてしまったのでしょ?」


 唾液がついた指を服で拭きました。


「でも、これは信じて欲しいの。私は姉ちゃんの見方よ。だから、この文章に書かれていることは信じるわ」


 洗面台で手を洗いました。


「これは正当防衛になるわ。だから、警察に言っても大丈夫よ。でも、姉ちゃんが言いたくないのなら言わなくてもいいわ」


 ついでに、顔も洗いました。


「姉ちゃんが黙るなら私も黙るわ。だって、私たち唯一の姉妹じゃない。例えみんなが姉ちゃんの敵になっても、私は見方よ」


 心身ともにさっぱりした晴美は、顔を拭いたタオルが少し黒ずんでいるのを見て、少し気が沈みました。



 心夢は帰ってきた。昼間になると、何事もなかったように帰ってきました。晴海の気持ちをわからないまま帰ってきました。

 いきなり2階のドアが開いたので春樹は驚き背筋を伸ばしました。先程まで姉の小説をのぞき見していたことを見られたのではないかと危惧しました。晴美はその足音を1つ1つ鼓膜に焼き付けました。

 心夢は何も言わずに部屋に入って行きました。それを見て晴美は心の中で胸をなでおろしました。晴美がパソコンを見ていた時には心夢は帰っていなかったし、見ていた痕跡は綺麗に消したので、変なところは何もなかったのです。

 心夢はすぐにリビングに戻ってテレビをつけました。ソファーで足を組む姿はいつものように王様でした。網戸がぬるい風を仰いでいました。

 心夢は部屋の風を循環させている扇風機の首をゴキゴキと手で自分の方に向けました。直の風で揺れるtシャツが膨らんだ乳房にしがみついている様子が晴美には平和に見えました。そういう日常風景を崩すかも知れない疑問を晴美は言わなければならないと思い心を揺らしていました。


「姉さん、どこに行っていたの?」


 この質問をしたあとに、晴美は後悔をしました。というのも、姉が自分のことを聞かれるのが嫌なことを母とのやりとりから知っていたからです。母と違い学習能力がある妹は今まで聞くことをしなかったのです。

 しかし、不注意にも聞いてしまったのです。自分でも知らずに焦っていたのだと晴美は自己分析しました。それは姉の小説を覗き見したことに起因することだと頭を振る思いでいました。

 しかし、なんのその、心夢は怒鳴ることなく普通に返事するのです。


「ちょっとね」


 母ならここで変に追求して怒らせてしまうのですが、それを見て学習をした晴美は口を閉じました。口はむずむずとするのですが、下を口内に這わせて誤魔化しました。左下に口内炎のような膨らみを確認しました。

 晴美はそのまま部屋に戻って行きました。祖父の死後も姉との接し方がわからないままなので、場が持たないからです。閉めたドアの向こうでは、いつも聞こえないくらいのため息をついて首を垂れるのです。

 一方の心夢もソファーに座りながら首を垂れていました。妹との接し方がわからないことから来るものでありますし、暑さからくるものでありますし、例の男とのやりとりから来るものでした。


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