第7話1-7本線と脱線

 翌日、彼女は朝から外に出ました。といっても、役者としての仕事でもバイトをしにいくわけでもなく、ブラブラと散歩するだけでした。会社をクビになった人が仕事に行くふりをして公園でフラフラするようなものです。

 事実、彼女も近くの公園でブラブラしていました。そして彼女は、その時間に公園で時間を潰す人が少ないということに気づきました。思ったより一般人はまともなのだと思いながら自転車を止め、ベンチに座りました。

 すると、1人の老婆が目の前を通り過ぎました。白髪で皺だらけで全身黒一色でした。心夢は、どこかの葬式帰りか魔法使いかと人間観察を楽しんでいました。

 すると、その老婆は心夢に近づいてきました。心夢はとっさに視線を外して、あさって方向に顔を向けながら横目で老婆を見ました。その確実に一歩ずつ自分の方向に近づいてくる老婆に対して、心夢は映画の主人公が宇宙人に出会うような不思議さと怖さを混ぜた感覚で待ち構えました。


「あのー、お話してもよろしいですか?」

「はい」


 老婆は物腰柔らかく優しい雰囲気でした。心夢はそれに対して逆に恐縮してしまいました。公園でのたわいもない交流だと思い、彼女は老婆の次の言葉に耳を傾けました。


「宗教に興味はありませんか?」

「はい?」


 心夢は思いもよらぬ言葉に声が上ずりました。いい天気ですね、くらいは予測していた彼女ですが、まさかの宗教勧誘でした。彼女にとっては初めての宗教勧誘でした。


「○✖□……」

「はい……はい……はい」


 老婆は静かに説法を説き初めて、心夢は馬耳東風していた。心夢にも神を信じたいと思ったときはあり、宗教に関心を持ったときはありましたが、今はそういうマイブームから卒業していました。今の彼女は、神も仏もなく自分を信じるしかないといったマイブームにはまっています。

 老婆は衣服と一体化していた黒い鞄からチラシを取り出し、それを心夢に力強く差し出しました。心夢はそれを力なく受け取りました。老婆は去って行きましたが、心夢は見送ることもせずチラシを見るふりをするのみでした。

 心夢はそこに書かれている文字をひとしきり眺めたフリをしたあと、2つに折ってリュックサックの中へ雑に入れました。そして、再び人がいない公園で人間観察に勤しみました。いわゆる、何かをしているフリというものです。

 そうして雲が流れていくのを眺めながら、彼女は自分の浮ついた状況を悲観していました。明るい未来が来るように藁にもすがる思いでした。しかし、彼女は神様や宗教にはすがらないことを決めていました。

 空を眺める彼女は視界の下の方にうっすら見えるものに気づきました。彼女は一瞬幽霊かと思いドキリとしましたが、目を凝らすときちんとした人間でした。白髪頭に白い衣服を着て全身真っ白な爺さんでした。

 その爺さんは亀のようにゆっくり歩いていました。それはそれはゆっくり歩いていました。そして、心夢に近づいてきました。

 心夢は奇妙さと怖さで逃げることも考えました。しかし、自分が逃げようと動き始めた瞬間にダッシュで追いかけられそうだったから、そのまま様子見をすることにしました。彼女は心臓をバクバクと爆発させそうなるのを押さえながら、冷静沈着な表情で事の成り行きに身を任せていました。

 その爺さんは生まれたてのバンビのようにフルフルと震えながら時間をかけて心夢の目の前に来ました。心夢はその頃には心配することに疲れて意外と心が穏やかでした。爺さんは震える声とは対照的に口をはっきり動かしました。


「あそこのバス停まで行きたいのですが、体が動かないので500円ください」

「はい?」


 心夢は、あまりも突拍子のない発言に素っ頓狂な声を出しました。さっきまで動けていたこととか500円あれば解決する理屈とか、彼女にはいろいろと意味がわかりませんでした。そして、彼女の脳裏には、ハワイ旅行の時によくわからない大道芸人によくわからないうちに金を騙し取られた光景がフラッシュバックしました。


「すみません。お金持っていないんです」

「400円でもいいですので」

「持ってないです」

「100円でもいいので」

「持ってません」


 爺さんは少し空を見たあと、そのままゆっくりと去って行きました。心夢はその姿をじーっと見ていました。どこかで化けの皮が剥がれて素早く歩く姿を見たかったからです。

 結局爺さんはゆっくり歩いたままどこかに消えて行きました。目的地と言ったバス停を通り過ぎてどこかに消え去った。やはり詐欺師のたぐいだったのかと心夢は自分の予測に納得しました。

 彼女は再び空を眺めました。どんより曇りの空模様のなか、心夢の心もどんよりしていました。彼女は口から生暖かい風を吹き出しました。


「あなた、祖父を殺しましたよね?」

「はい?」


 心夢はいきなり聞こえた声の方向を振り向きました。しかし、そこには誰もいませんでした。彼女は頭がフラフラしました。



 彼女が目を覚ますと、スマホを手にとりました。そこの時間を見ると、正午を超えていました。そして、体を預けているところがフワフワだと気づきました。

 彼女がいるそこは硬いベンチではなく、フワフワの反発マットの上に敷布団を引いているベッドの上でした。その見覚えが有る緑色の布団をぼんやりと確認しながら周りを見渡すと、彼女からしたら見覚えのある机や本棚や蛍光灯が目に入っていました。彼女は知らない間に自分の部屋にいることに気づきました。

 彼女は頭をフラフラとさせながら千鳥足で部屋を出ました。彼女は無意識ながらも水面台に辿りつき、そのままうがいをしました。起床後は口の中がネバネバして気持ちわるいので彼女はいつもそうしています。

 口の中を大雑把に水洗いしたら、次は歯磨きをします。彼女の場合は、歯磨き粉を使わずに水に濡らして磨きます。だいたい磨けばいいという考えのようです。

 それを終えたあと、今度は歯間ブラシを取り出しました。青の取っ手で百均で50本入りの使い捨てを買ったのですが、一度で使い捨てするのはもったいないということで糸が切れるまで使い続けるようです。そのピーンと張り詰められた緊張の糸のようなちぎれそうな禿げた糸を使って、上の歯間から磨き始めました。

 すると、すぐにその糸は切れました。初めから緊張感がなく歯を磨いていた彼女はなんとも思わずその歯間ブラシをゴミ箱に放り込み、新たな歯間ブラシ取り出しました。そのふっくらとした糸を水につけて、途中だった上の左側を磨き始めました。

 すると、その太さからなかなか間に糸が入りませんでした。なかなか入らないから吐息混じりに力づくに入れました。そして、気持ちよく磨きました。

 心夢は歯間ブラシの糸の調子を確認すると、血で湿っていました。彼女は口の中の左上の方を唾液でゆすいで吐いたら、洗面台に血が飛び散りました。どうやら歯茎の調子が悪かったようです。

 彼女は毎日歯間ブラシをしていましたが、その糸がボロボロになっても使い続けるのでパフォーマンスが落ちていたらしいと思っていました。そして、これを使ったら捨てようと思いながら残りの部分の歯間を磨きました。そして、結局捨てることができずにそのまま歯ブラシ立てとして使っているボロい黄色のコップに入れました。

 そして、液体歯磨きで口の中をゆすぎます。先ほど血が噴き出した左上のところを重点的にゆすぎます。昔に歯医者の先生から、歯と歯の間を通すことを意識しながらゆすぐように言われたのでゆすぎます。

 こうして、彼女は口の中をスッキリさせます。どうせ最後に液体歯ブラシを使うから最初の歯ブラシには歯磨き粉をつけないというのが彼女の理屈です。それが正しいのかはわかりませんが、それが彼女の習慣です。

 歯磨きとは違いますが、彼女のお風呂場での習慣を述べたいと思います。お風呂に入る前に体や頭を軽く洗いますし、その時には洗剤で洗う前に軽くお湯で洗うようにしています。先に大きな汚れを落としてから精密な汚れを取るということですが、それと同じことを口の中にもしているのです。

 しかし、そのわりにはお米を研ぐときには初めに綺麗な水を使うのです。なぜなら、最初の水をお米が吸収するから、最初にきれいな水を使ったほうがいいと聞いたからです。そして、それを思い出すたびに彼女は自分の体でも同じことが言えるのではないかと思い最初にきれいな水や洗剤で洗おうかと思うのですが、その時にはいつも忘れるのです。

 話は脱線しましたが、彼女は歯磨きを終えました。


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