第15話 無言詠唱

 青年は魔法も依然として炎の魔法だけは使うことができなかったが、無言詠唱という高度な技を習得することになる。


 地獄の追いかけっこの甲斐あって青年はそこそこ体力がつき、今では大きな魔法を使ってもそれほど息が上がらなくなっていた。

 明くる日、その体力づくりがひと段落し、魔法の練習をし始めた頃。

 炎の見本を見せていた師匠に青年が問いかけた。

「師匠いっつも魔法使うとき、名前言いませんよね?」

 前に突っ込んだ時にはまだ早いだの別にいいだの適当にごまかされたのだった。

「あー、それな。知りたいのか?」

「知りたいですね」

 即答する青年に師匠と仰がれる男は罰が悪そうに頭を掻く。

「頭の中で詠唱するんだよ」

「頭の中で?」

「俺もよくわかってない。だから教えたくなかったんだよなぁ」

「なんだそれ」

「人間になる前からできてたからな……無言詠唱とかって言うって聞いたことあるな」

 どうやら男にも、言語化できないものがあるようだ。

 少年は頭の中で詠唱すると言うほんの一握りのヒントを頼りに、その無言詠唱なるものを獲得しようと目を瞑ってみる。

 ──エーフビィ・アイジィ。

 全く魔法を使ったときのあの独特な感覚が出てこない。

「うーん。エーフビィ・アイジィ」

 考えながら口に出すと、思っていたよりも大きい氷が出てきてしまった。慌てて魔力を散らすと、師匠が危ないだろ! と非難する。

「おそらくこれはすごく高等な技術だ。想像するのが手一杯なお前が、さらに詠唱に頭の中を割かなきゃいけないんだ。難しいのは当たり前だ。別に無理してやらなくてもいいんだぞ」

「いや、絶対できるようにします」

「なんだそりゃ……」

 諭すようにやめるよう促す師匠はどうもこの技術を会得するのに反対していたが、実際は技術を得ることというよりその過程で青年の魔法が暴走したりすることの方がきになる様子だ。

 けれどやめろと言われたらやりたくなるのが人間の常。ラウルは半ば意地を張ったように練習を繰り返す。

 師匠はいつもよりかなり遠巻きにそれを見守っていた。

 ウォレスが止めるのを諦めたようなので青年はここぞとばかりに練習する。間違えて雷の魔法を師匠の頭すれすれに放ってしまった時、彼が驚きすぎて魔物を寄せ付けない結界の一部が壊れてしまった。

 呆れる師匠に平謝りしているうちに、大きな魔法のエネルギーを感じた魔物が紛れ込んできてしまった。


 それはオレンジ色のジェル状の生き物で、魔物というには少し可愛らしい。

 ラウルを見ると勢いをつけてぶつかってくるそれは非力で、全然痛くなかった。

 師匠の方を見ると、自分でなんとかしろと言わんばかりに手を振っている。結界は張り直したようだった。

 青年は扱いに慣れた剣を引き抜くと、魔物に対峙する。

 魔物はと言えば依然として彼に体当たりをし続けている。

 遠くで師匠がニヤニヤしているのが見えた。一体何がおかしいのだろうか。

 彼が大きく剣を振りかぶってそれを捉えると、剣筋は真っ直ぐ魔物を引き裂いた。

「よし!」

 手応えに喜ぶ彼に、また何か刺激があった。

 先ほどの魔物が、まだ元気に飛び跳ねている。しかも二匹。

「なんで?」

 師匠の方を見ると、まだニヤニヤしていた。おかしくてたまらないと言う風だ。師匠はこの状況を楽しんでいるようで、ラウルに助言をしてやろうと言った様子は微塵にも感じられなかった。

 もう一度片方のものを斬ると、また増えて合わせて三匹になった。どうやら斬ると同時に分裂して死を逃れる魔物らしい。分裂する分小さくはなるが、とても厄介だ。

 物理攻撃が効かないなら魔法を使えばいい。

 そう考えた彼はちょこまか動くその魔物を一つにまとめようと風を想像し、呪文を唱える。

「エーフビィ・ヴィント!」

 風が巻き上がり、三匹の魔物たちが舞い上がった。

 これでもう大丈夫だろうと思ったその時、なにかが青年の頭に落ちてきた。

 急に拳骨を喰らわされたような衝撃で、少年は痛みに呻く。目を開けると三匹、先ほどよりも大きい魔物が青年を取り囲んでいた。

「剣も魔法も効かないなんて! どうやって倒すの⁉︎」

 青年は焦っていたが師匠は後ろでケラケラ笑っている。もう助けを求めるのはやめだ。自分でどうにかする。

 考える前に魔物たちの攻撃は始まった。飛び込んでくる巨体は、一度当たると衝撃も凄まじい。咄嗟に青年が剣を振ると、それはまた分裂して増える。その繰り返しでラウルの周りにはジェル状の魔物だらけになってしまった。

 小さな魔物たちが一斉に彼に飛びかかる。

 剣で捌き切れなくなった彼はヤケクソになって叫んだ。

「ああもうみんな凍って!」

 文字通り、跳ねて空中にいた魔物たちは全て氷漬けとなった。力を失ったそれは地面に落ち、砕け散る。それは黒い煙となって消え、魔物が絶命した時の嫌な匂いが残る。

 大きなため息をついてへたり込んだ彼に、腹を抱えながら師匠が近づいてきた。

「お前、ポルシャン相手に氷の魔法とか、ほんと……ほんと面白いな!」

 笑いすぎて声が変になってしまっている。

 人が必死で戦っているのを笑ってと思い、青年はそっぽを向いた。

「あいつ、雷の魔法使えば一撃だぞ」

「⁉︎ だからそう言うのは早く言ってくださいって!」

 思わず突っ込んでしまい師匠の方を振り向くと、彼は少し真面目な顔になっていた。

「お前、今無言詠唱してたぞ」

「え⁉︎ ほんとですか⁉︎」

 喜ぶ彼に、師匠は続ける。

「無言というよりは凍って! だったけどな」

 そうしてまた爆笑し始めた師匠の笑い声だけが、広場に響いていた。

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