第4話 死の実感

 少年は、自分が何故生きているのか考えていた。

 少年が死に損なってからもう三日も経とうとしている。

 普段は勉強や訓練をさぼっていても城の中に戻れば世話役の騎士見習いや使用人たちが少年に挨拶をし、夕食の時間になれば声をかけ、夜は寝るまでそばにいてくれた。

 今は彼の世話をしてくれていた者は誰もいない。

 城には行こうと思わなかった。そこには自分の見知った人たちが氷漬けにされている。

 何もできなかったラウルがそれを見たところで、どうしろというのだろうか。またあの白い女に見つかってみんなと同じ道を辿るのが関の山だ。

 国民に責められる夢は眠りに落ちるたびに彼を襲った。

 きっとそれは少年が持つ自責の念が見せる幻覚なのだろう。話すことができなくなってしまった以上、国民たちの真意はわからない。

 だが、眠りから目覚めたからといって少年の悪夢は続いている。氷に閉ざされた国で、どうやって生きていけばいいのか。


 ウォレスは、ここは安全と言って屋敷を出て行ったきり、戻ってきていない。

 どこでなにをしているのか、なぜ自分を助けてくれたのかもわからない。

 三日も体を洗っていなかった。いつも清潔にしてもらっている彼にとっては、耐えられない苦痛だ。

 水瓶にはある程度水が残っており、飲料水はそれでどうにかなったが、暖かくないそれで体を洗う勇気はなかった。

 今日の朝、少年はお腹が空いて調理台の近くにあった干し肉を食べた。

 どうやって火を使えば良いかわからないので、温かいものは一度も口にしていなかった。

 そして、それが最後の食料だったということに気づいたのは昼頃にお腹が空いて調理台の辺りを見に行った時だ。

 火を起こせれば少しは食べれるものも増えるだろうと思って、試しに置いてあった薪を重ねてみたが、肝心の炎をどうやって得るのかがわからなくて、諦めてしまった。

 そうして最後の食料を食べてしまってから、もう半日も無駄な時間を過ごしてしまったのである。

 お腹が空いた。きっとこのままなにもしなければ食料を探す体力もなくなって自分は死んでしまうだろう。ウォレスが帰ってくるという見込みもない。

 屋敷の庭で寝転がって呆然と空を見上げていると、少年の横を小さな鼠がかけていった。

 それを目で追いかけていると、滑空してきた鳥が捕まえた。暴れる鼠、息の根を止めようと嘴を突き立てる鳥。やがて動かなくなった鼠を見て、少年は自分の近い未来を見た。

「ああなるのか……」

 そうして、彼は氷漬けになった国に食料を探しに行くことを決めたのだった。


 食べ物が欲しい。

 きちんとマントを羽織ってはきたが、夏服の彼に氷漬けになった街はとても寒かった。

 冷たい風がラウルのボサボサになった髪を撫で、寒さに震える。

 街の中は相変わらず氷に覆われたままままで、店はおろか、民家にも入ることができなかった。ドアが閉まったまま固まってしまったところは、それごと氷そのものだ。

 広場の露店に並べてある食料をなんとか取り出せないかと奮闘したが、屋敷に置いてあった鍬で殴っても氷はびくともしない。ウォレスのように魔法が使えればとも思ったが、座学で挫折していたラウルが急に使えるようになるはずがない。少年は簡単な初歩の魔法でさえ、覚えることができていなかった。怠惰を貪っていた彼のツケが、こんなところで回ってきたのだ。

 どうしたらいいのだろうか、なんとかして食べるものを見つけたい。この忌々しい氷さえなんとかできればありつけるのに。

 希望を頭に浮かべるだけなら簡単だ。でも肝心のその方法を思いつく術は少年は持ち合わせていなかったのだった。



 動き回って、疲れ果ててしまった。屋敷に戻ってまた何かないかと探そうか。それまで体力は持つだろうか。少し遠くにある屋敷を見据えて力なく歩く少年を突如としてなにかが襲った。

 勢いよく地面に叩きつけられた彼は痛みに呻くが、それは彼の首を執拗に狙った。

 刺激のある獣臭。熱い息が少年の顔にぶつかって生臭さが増す。

 彼を襲ったのは背中の毛が長い狐のような顔の生き物で、血走ったその目は獲物を逃さんとする獣のそれだ。

 きっと少年と同じく、食べ物に飢えた獣なのだろう。こんな氷の国では、獣だって獲物にありつけなくても仕方がない。

 氷に包まれた国の中で、あの女以外の何かに襲われるなんて、全く想像をしていなかった。それだけ、ラウルは油断していたのだ。


 驚愕している間にその長い牙が少年の左腕に突き刺さり、血が吹き出る。鮮やかな赤。堪えきれない痛み。

 こんなところで死ぬのか、痛い、怖い。

 城で死にかけたときにはなかった感情だった。あの時は絶望の中、自分もそうなるのだと言う予感が穏やかな気持ちにさせていた。

 けど、今は。

「……死にたくない」

 少年は腹の底から声を出して雄叫びを上げた。

 突然のことに獣が面食らった表情をする。その怯んだ隙を狙って、頭突きをかました。

 何も考えずに勢いよくぶつかってしまった。

 反動で頭がクラクラする。どうなった? 獣は……。

 眼前に迫る獣の口。ああ、死ぬ……。

 その瞬間、眼前が真っ赤に染まった。

 炎だ。彼を救ったのはまた炎だった。

「たっくよー。獣相手に頭突きって」

 男の声だ。クラクラする頭をそちらに向けると、見覚えのある男がゆっくりと近づいてくる。

 彼は何か大きな袋を持っていて、どうやら片手で炎の魔法を放ったようだった。

 彼は笑って火球で吹き飛ばされた獣をひっくり返す。黒こげの塊。

「あーあ、こりゃ食えねえな。残念」

 独り言を続ける男に、少年は声をかける。

「あの、なんで……」

 なんで助けたのかと言う疑問だった。1回目の時、彼は助けたのは間違いだったと言ったのだ。何日も帰ってこなかったから、きっと見捨てられたのだと思っていた。それなのに、なぜ。

 男はこちらを向いて口を開いた。彼の真っ赤な瞳は光を受けて煌めいていた。

「死にたくない。そう思ったから、お前は今ここで息をしている。死を受け入れるとは、生きることを諦めるということだ。それはとても怠惰で許すべきことではない。前のお前は生きることを諦めて、希望のかけらもない目をしていた。良い目になったな。ラウル。俺が生きる方法を教えてやる。師匠とでも呼ぶんだな」

 不思議な赤い髪をした男はそう言って再び、笑った。


 ──こうして、すべてを失った少年と、得体の知れない男との、奇妙な師弟関係が始まったのであった。

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