俺は 立ちションがしたいんだ!

杉 薫田

第1話 俺は、立ちションがしたいんだ!)

 毎朝のように 嫁さんから  

「またトイレを汚したのね・・・」 とお叱りを受ける。 

まあ、還暦を過ぎるとおしっこの切れが悪くなってプルンプルンと幾度となく振ってやらないと最後の処理ができない。 

                                                     

この最後のプルンプルンがトイレ廻りにおしっこを飛ばすことになり、嫁さんからのお叱りの元凶になる。 

「立っておしっこするんじゃなくて、座っておしっこなんでできないの ?」と注意を受けることもある。 

 

確かに洋式便座で座っておしっこをすれば便器の周りを汚さずにきれいに保つこともできるのかもしれないが、昭和男児としてはおしっこは立ってするものと小さいときから教えられてきた。

 そしてまた、女性には理解しにくい 元気な男の子ならみんな知っている事がもう一つある。朝起きた時、洋式トイレで座っておしっこをするには無理があることを・・・。

それは健康的な男の子には毎朝「朝立ち」という生理現象が襲ってくることだ。この生理現象は 朝、トイレでおしっこをするまで治まることはない。「朝立ち」は厄介で洋式トイレに座って用を足そうとしても、最近の洋式トイレは小ぶりにデザインされていることから自分の息子君(おちんちん)が便座の壁にぶつかることになるのだ。そしてまた、洋式トイレの便器の説明書に描かれているような自分の息子君が垂れ下がっておしっこを毎朝するようでは、健康状態に懐疑的になってしまう。合わせて 元気なおちんちんは勢いよくおしっこを出すため 洋式トイレで座って用を足そうとすると おしっこが便器の壁を昇ってしまって結果的に便座の前から流れ出すことも少なくない。


 洋式トイレには立ちション派にとっても大きな問題点があり、便座が正面ではなくて立った場合、下向きに位置するようになっているため、元気な男の子ではその方向性を定めるのに苦労して目標に向けておしっこをしている人も多い。便器のメーカーはこの男の子たちの生理現象を考えた洋式トイレの開発をしているようにはどうしても思えない現状があるのだ。洋式の座位トイレは男性の立ちションには向いていない。朝方の健康な状態で便座に向かおうとすると 元気な息子君は定めた目標よりも上方向に向けておしっこを発射するため、便座部分の上方向に行ってしまい、時にはここでも阻喪をしたように 便器の周りを汚してしまうこともあるのだ。


 理想的なトイレについていえば やはり洋式便座とは別に 男性用の小便器が設置された空間が良いのだが、残念ながら日本の住宅環境において トイレの設置面積は大便用の便座トイレと 小便器用のトイレを設置することはかなり無理があり、かなり住宅に余裕のある住居以外ではこの二つの便器を設置することは贅沢以外にない。日本で洋式トイレが普及する前では 一般的にトイレでは和式便座を備えた大便用と 小便器を置いた小便用の区分けが多かったのだが 住宅設計の空間効率をつき進める中で洋式便座だけを設置する住宅が殆どになってしまった。

 

 トイレの問題を考えるとき 近年 学校での洋式便座の普及、設置問題が大きくクローズアップされている。文部科学省の調査では令和二年度において 全国の小学校や中学校では洋便器率が57%となっているとのことだが、教育現場では洋式便座の普及に対してより強い要望があるそうだ。 新築住宅では98%の住宅において洋式トイレしか設置されていないそうで、こうした住宅で育った子供たちにおいては洋式の便座に腰を下ろして座って用を足すことが普通であり 和式便座で用を足すことは未知との体験となっているという。学校のトイレは汚いということや 子供にとって学校のトイレに行くという事が

否定され、友達などからいじめの原因となることも多かった。

 学校でトイレに入ることは 和式トイレという家庭にはないトイレ体験とともに、汚い行為として 侮辱されて子供たちにとっては学校のトイレは敬遠されるものだった。

学校でトイレに行くのを我慢して過ごすために 体調を崩したり、時にはお漏らしをして、その発散する糞尿の匂いが元で またいじめを呼び起こすといった事態も少なからずあった。子供にとってトイレという存在はそれほど厄介な場所だったのだ。


 しかしながら、子供たちに対してのトイレの洋式化は 世界のグローバルな世界にこれから巣立っていく世代にとっては決して良いことばかりではないともいう。世界のトイレ事情においては 中国やインド、アジアや中東、アフリカ、中米の国々などにおいて西洋化の影響を受けていない国のトイレ事情は 日本の和式トイレと同じような「うんこ座り」「ウンチングスタイル」という排便姿勢はむしろ世界基準だといわれる。 また、健康面から考えた場合、理想的な便座姿勢においては有名なロダンの彫刻 「考える人」の姿勢が直腸肛門角が開くよう少し前傾姿勢で理想的だとの研究もあり、和式的な「うんこ座り」は決して否定するものではないようだ。

 アフリカや中国などの大陸横断旅行などに行くとバスは 砂漠の真ん中に止まって 「さあ!トイレタイムですよ!!」となるそうで、乗客たちは トイレットペーパーを手に バスから見えない窪地に行って用を足すこととなる。もちろん 便座椅子などないので、うんこ座りで・・・・


うんちでトイレに入ると子供のころから ズボンもパンツも全部脱がないとうんちができなかった。それは今でも変わらず 和式の「うんこ座り」の場合はやっぱり全部脱がないと落ち着いてうんちができない。1970年代にオーバーオールという胸ポケットの付いたジーンズが流行し、このブームに乗って買って着たことがあるのだが、このオーバーオールのジーンズを履いた時のトイレに入るとき うんちをするときには想像を絶する苦労をしたのを覚えている。まだ日本の公衆トイレの9割以上は和式のトイレであり、このオーバーオールのジーンズを下ろして用を足すためには限られたトイレの個室の空間の中で、この胸ポケットのついた服を脱がなければならなかった。

 単純に普通のズボンを下ろすようにするだけでも、このオーバーオールという服は難関だった。ズボンに 前の胸ポケットと背当ての部分があり、それに肩掛けのベルトが一体化しているのだ。「うんこ座り」をした場合、ズボンの部分だけでなく、胸ポケットから背当て、肩掛けベルトまで処理して折りたたまないと和式トイレでのうんちの用をたす事はいかに難しいかが想像できることだろう。

 ズボンをすべて足首から脱ぐ すっぽんぽん派にとっては このオーバーオールを着ての大便はまさに至難の技だった。外出時だから手にはカバンなどの荷物を持っていることが多く、まずカバンをトイレのドアの荷物掛けにかけてから オーバーオールという服を脱ぐことにチャレンジするのだが、基本的にパンツまで脱ぎ去らないと用が足せないので、狭いトイレという空間の中で下半身すっぽんぽんになるまで努力するのだ。もちろん 脱いだ服を置く場所を考えないといけないのだが 当時は各トイレに水栓トイレ用のタンクが付いている形式が多く、何とかこのタンクの上に脱いだオーバーオールを置くことができたことだけは幸いだった。

 苦労して用を足して 今度はまたアクロバティックにトイレという狭い空間内で服を可能な限り床につけないように着ることは恐ろしいほどの技術を必要とした。

 胸ポケット付きの服は 女性にとってはスカート言う洋服の形状からそれほど無理なく用を足すことはできるのだろうが、、、、、

 オーバーオールは今では殆ど見ることはなくなってしまったが、自動車修理工場などの技術者などでは、「つなぎ」と呼ばれる上からズボンまで一体化した作業着を着用している人を今でも見かけることがあるが、彼らはトイレに入ったときどのようにして用を足しているのか是非教えてもらいたいと思うことがある。


 洋式トイレの場合はとりあえず ズボンもパンツも足首までおろせば用を足せるようになったのは 自分にとってはの大きな進歩だった。日本の公衆トイレで洋式トイレの設置が広まった中では ズボン全部脱ぎ派の身にとっては何よりもうれしい社会の変化といえるものだった。


海外旅行に行くと 特にアメリカやヨーロッパの公衆トイレだと 床から30cmほどが開いていて 空港などのトイレだと ずらっとトイレで用をたしている人の下半身を目にすることがある。すっぽんぽん派にとっては本当はズボンもパンツも日本のように気兼ねなく脱ぎ去って用をたしたいのだが、海外に行って この下部が解放されているトイレにおいては足首までズボンを下ろして用を足すこととなる。


 日本のトイレにおいては 今や家庭用や公衆トイレにおいても60%以上の多くのトイレにはウォシュレットというTOTOというメーカーが開発したシャワートイレが完備されている。このシャワートイレは一度使うと その清潔感と快適さにおいて病みつきとなり、海外から日本を訪れた外国人旅行者でさえも 日本のホテルなどでこのシャワートイレを体感した人は 日本土産として自分の国に持って帰ろうとする人も多いという。まさに日本のハイテクが生み出し、世に送り出したトイレ技術なのだが、おしりの痔という病に苦しむ人にとっても大きな力となっている。

 このシャワートイレの発想は 西洋ではもともと 女性用のビデ洗浄器というトイレ用というよりは、女性器を清潔にするためのシャワーとしてはかなり昔からあったようなのだが、日本が生み出したトイレの技術は、西洋のビデ洗浄器では足下にも及ばないような適切な 角度と おしりを洗うという機能を提供した。このシャワートイレを家庭で愛用している人においては、外出時においてもシャワー付きのトイレを探すことに奔走することとなる。日本ではこのトイレの清潔さや シャワートイレ付きのトイレの完備が 商業施設においての顧客を呼び寄せる力にもなっているといわれ、逆にシャワートイレの無いような商業施設では客が減少し人が集まらないともいう。

 駅をはじめ、スーパーやデパートなどの商業施設や公共施設のトイレは「汚い」というのが当たり前だったのだが、現代社会では競うようにトイレを改善して きれいな空間にしようとしている。高速道路のサービスエリアやパーキングエリアのトイレなどは その先端を走っていて、そのデザインも機能も清潔さも一般住宅以上に整備されたトイレも少なくないし、きれいなトイレを売りにしているサービスエリアも登場している。


 2020の夏、東京の渋谷区にある公園の一角にガラス張りのトイレが登場して話題になった。トイレとは「隠すもの」外から見えない空間というのが常識のように思われるのだが、この透明でガラス張りのトイレは 外から丸見えの空間なのだ。東京オリンピックの開催に際して トイレのデザインコンペを経て設置されたトイレなのだが、このトイレは日本のトイレの清潔さと外から見てトイレ空間が安全であることを伝えるためのコンセプトをもって開発されたという。もちろんこのトイレは 用を足しているときには外から人目に触れることはなく トイレの中に入ってカギを閉めるとガラスは曇りガラスとなり中は見えなくなる。トイレのガラスに電流が流れていて、本来は曇りガラスなのだが、トイレのカギが開けられると電流が流れて透明なガラスのトイレになるというハイテクなガラスによってこの透明なトイレ空間が作られている。だから、たとえ使用中に停電やトラブルがあったとしても 基本的に曇りガラスなのだから トイレの中が覗かれることはないという。この透明なガラスに覆われたトイレは 外から見ても汚れていないことが使用前に確認できることから、安心してトイレを使うことができるという。


 千葉県の市原市には『世界一大きな(広い)空間のトイレ』がある。

「Toilet in Nature」と名付けられたこのトイレは 女性専用トイレで残念ながら男性は使うことが出来ない。その広さは なんと200㎡ チョットした家一軒分よりも広いトイレなのだ。「自然の中のトイレ」というアートコンセプトが付けられて木の壁に囲まれた庭園のような空間の中央部に 大きめの電話BOXのようなガラスの空間が作られ 感覚的には俗に言う『野愚ぐそ』をする感覚で用を足すことができる。

 庭園を取り囲む 木の塀の壁が 世界一広いトイレ空間を作り出しているのだが、この広くて解放的なトイレは女性以上に男性からの需要の方が大きいと思われるのだが、次は男性用も置いてほしいと願うばかりである。  


 1999年に熊本県合志市すずかけ台という住宅地にある公園の一角に 靴を脱いで使用するという公衆トイレが作られ 日本トイレ大賞を受賞した。その開発コンセプトは公衆トイレであっても我が家のトイレの感覚で利用してもらおうという意図が込められていて、普通の公衆トイレのように土足のままトイレを使用するのではなく、使用者はスリッパに履き替えて使うことで トイレを清潔に使ってもらうという目的が加味されたトイレだった。地域住民のワークショップを経て計画し、デザインされた このトイレは建設から20年以上が経った今でも地元の有志の人によって清潔に保たれ使われ続けている。公衆トイレであっても土足ではなく 手前で靴を脱いでもらって スリッパに履き替えて使うという日本人の感性は世界に誇ることのできる文化なのかもしれない。


 20年近く前のことだが 我が家の長男が小学校の1年生くらいの時 学校から1キロ以上の道のりの通学の帰り道で股を開き気味に 不自然な恰好をして学校から帰ってきたことがあった。ちょうど帰宅時間で 家の前で帰ってくるのを待っていたため、その不自然な歩き方は遠目に見ても違和感があったのだが、息子が近づいたときその理由がわかった。悪臭を周囲にふりまき ズボンの中でお漏らしをしてしまったのは明らかな状況だったのだ。ランドセルを下ろさせて ズボンとパンツを脱がせてから 庭の散水用の水道からホースで体全体を洗い 体をきれいにしてやったのだが、この時 一緒に学校から帰宅してきた幼馴染の友達は うちの息子に対してこの状態を笑ったり けなしたり その後そのことでいじめたりすることはなかったという。小学校低学年でありながら、素晴らしい幼馴染の友人で会ったと思うのだが、この「うんこ垂れ」子供の学校通学は昔から少なからずあった気がする。

 親たちは 「緊急事態になったときは 通り道の家に事情を説明して トイレを借りるのだよ!」と子供に伝えたり、昔であれば 自然豊かな田舎であったために 野グソをする方法を教えた物だが、現実には子供が 通り道の家に飛び込んだり 寄り道をして 野グソで用を足すことなど草々出来るものではない。

 

 大人でも おなかの調子が悪くなったときの対処は言葉では言えないほどの苦痛の状況に追い込まれるものだ。それは子供に限らず 大人であっても同じことで おなかがうなりだし、脂汗が噴出し、その対応に悩まされる。通勤などで電車などに乗っていれば、とにかくその思考は どこかの駅で下車して対処しようと考えるのだが そんな時でも 少しでもきれいなトイレはどこにあっただろうかと試行錯誤することとなる。

 今でこそ公共施設のトイレはどこもきれいに管理されるようになり、洋式トイレやシャワートイレ付きのトイレは多くなったが、昭和の時代においては駅などのトイレはとにかく汚かった。衛生上も漂う匂いも敬遠してしまうトイレが多かった。水洗トイレならましな方で 駅などでは汲み取り式の ぼっとんトイレも少なからずあった。

 都会の街中であれば 公園のトイレを探すよりも こぎれいな作りのオフィスビルを見つけることがもっとも有効な方法で、多くのオフィスビルにおいては1階部分にトイレが置かれていることが多く、さもそのビルに用事があるような顔をしてビルのロビー、エントランスを抜けてトイレを目指すのが手段だった。理想的な環境は ホテルやビジネスホテル、あるいは病院などを見つけると比較的に清潔なトイレを見つけることが出来た。


 車の運転中での緊急事態はまさに最悪である。

 現代社会なら街中であれば コンビニエンスストアという理想の立ち寄り場所があるのだが、コンビニができる前では街中において車の中からトイレを探すことは至難の業だった。

 運よくガソリンスタンドが目に入った時には そこが天国に感じるのだが、そういった緊急事態時に限ってガソリンスタンドにも出会う事がなかったりする。 車にカーナビなんて付けられてはいなかった時代だから走れば走るほど深みにはまってくる。うなるおなかを押さえながら、運転を続けるのだが、そういう時に限って中央分離帯のある対向車線にガソリンスタンドの看板が見えたりする。冷静になって考えれば Uターンして見えたガソリンスタンドに向かえばいいのに、そこまで頭が廻らないから、もう少し進めば何かがあるような気がして進んでしまうのが常だった。

 人生経験の中での記憶から どこに行けばトイレがあるかを頭に思い浮かべ、考えながら走り回ることとなる。まずは駐車場の完備された喫茶店が見つかれば最高なのだが、非常時においてはそんな理想的な喫茶店と出会うことは少なかった。駐車の可能なスーパーやショッピングセンターが頭に浮かべばそこに向かい、公共の市役所や公民館、病院などが頭に浮かべばそこに向けて車を走らせるのだが、いつもならすぐ近くに感じるそうした場所がとてつもなく遠い場所にあるように感じてしまうのだ。究極の避難場所は交番で、そこでなら事情を話せば 止めた車も見てもらうことが出来たが、交番もそうそうあるわけでもなく非常事態の状態と格闘しながら 前方を走る車に対して車の中でブツブツと「早く行けよ!!」と一人怒鳴り声を上げてとち狂うことも少なくはなかった。


 歳を取ると おしっこにトイレに入っても その切れが悪く 急いで処理しようとすると、ちょい漏れ状態となり、パンツからズボンに染み出てしまうこともある。これが厄介で 近年は洋服の着方において シャツなどのベルトインではなく ベルトアウトで上着がズボンの上にかかる状況の時には ある程度そのズボンに染み出たちょい漏れを隠すことができるのだが、そんな時に限って 漏れ出たシミが目立つような生地のズボンをはいていたりして 悩ましい状況になるときがある。そんな非常事態の時は あえて おしっこの後の手洗いの時 洗面所の水道の水が飛んで ズボンのチャックの周辺がより広く濡れたかのような状況を作り上げ、おしっこに限らず全体が乾くまでの小一時間を演出してごまかす状況になる。


10年ほど前こと 70代後半の父と母を車に乗せて 東京観光に連れて行った事があった。東名高速を使って休憩を取りながら 名古屋から東京まで約6時間の旅程となるのだが、高齢者はとにかくおしっこが近いから、サービスエリアやパーキングエリアが近づくと、「トイレは良いか?」と確認するのが常だった。トイレ休憩で海老名のサービスエリアに立ち寄って、さあ東京に入る最後の休憩場所と確認したのち 東名高速道路の最後の川崎パーキングエリアを前にして 「ここを通り過ぎると首都高速部分に入るから、目的地の上野公園まではトイレ休憩は出来ないよ!」と注意を促した。さすがに海老名のサービスエリアから15分も経っていない中で、『大丈夫!!』という返事が返されたのだが・・・ 懸念した通り首都高速に乗り入れたらすぐに大渋滞へ巻き込まれた。ノロノロ運転が続く中で父から「おしっこ!、おしっこ!! 漏れる!!!」の連呼が 目的地の上野までは1時間以上が予想される中で 仕方なく渋谷の降り口で首都高速を降りて トイレ探しに・・・


 膀胱でのおしっこ許容量は 歳を取るとだんだんと少なくなってくるようで 自分自身も若いころに比べて頻尿傾向が感じられるのだが、男性よりも女性の方が許容量が少ないのか、家内などを見ていると とにかく出先で「まずはトイレ。」と行動の最初には おしっこにトイレに行くことが多いように感じる。父の頻尿度合いは 陰で「あんたは犬か?」と揶揄していたのだが、家内を見ていると 女性の多くも ショッピングや出先において 向かう先々で マーキングをする事が多い様だ。

 犬を散歩に連れ出すと 飼い主は「うんこ」の場合 近年はビニール袋やスコップを手に散歩して 処理する愛犬家は多くなったが、犬の習性ともいえる いつもの散歩ルートでの電柱や 壁、塀に向けてのおしっこマーキングをやめさせて 止めることは難しいようだ。路地の電柱へのおしっこマーキングは多少大目に見てもらえるかもしれないが、自分の自宅の塀に犬がマーキングしているところを見たら 普通は怒りをおぼえてしまうことだろう。


 お酒を飲むと 特にビールなどの場合は利尿作用が働いて おしっこへ通うことが多くなる。都会の繁華街の飲み屋街などでは 宴が開けてお店から吐き出された人が ビルとビルの境目などにコソコソと入っていって 用を足している光景はたびたび見かけることとなる。「立ちション」ができるのはまさに男性の特権のようなものなのだが、女性の場合は 宴会が終わると多くの人は店を出る前にトイレに向かうようで 店のトイレ前では化粧直しと合わせて 順番待ちが出来ていることも少なくない。

 もちろん 男性のコソコソとした街中での隠れての立ちションは軽犯罪法違反以外の何物でもないのだが、この出物を止めることは非常に難しい実情もある。


 犬ではないが、広い野原などで 草むらに向かって 空を見上げて「立ちション」をするときは 何とも言えない 言葉では表せない開放感がある。申し訳ないとは思うが、女性ではこの解放感を味わうことは出来ないだろう。青空に白雲がなびき 春などで新緑の季節であったなら、この立ちションの時間は人生で最も解放された時間と感じる事だろう。

 冬の どこまでも澄んだ星空を見上げながらする「立ちション」もまた違った魅力がある。もちろん、この冬の夜の星空の下ではかなりの根性は必要で、時には自分の息子ともいえる『おちんちん』はズボンのファスナーから顔を出すのを嫌がって、小さくちぢこまってしまうかもしれないが、空に輝く オリオン座の三ツ星や ベテルギウス、北半球で最も明るく 白く輝くシリウスなどを視線で追いながら大地に向かって放つおしっこはそれはそれで何とも言えない開放感がある。運よく流れ星出も流れた時には 自分が地球の営みに抱かれていると感じてしまうこともある。





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