第二話 この世界に呼び出された理由


 着替えの終わった後、僕はネフェラに連れられて、豪勢な装飾品に彩られた屋敷の廊下を歩いていた。


 異世界だから基準は分からないが、これがこの世界の標準というわけではないと思う。薄々感じていたがクロムバッハというのはそれなりに有力な貴族なのだろう。


「……ねぇ、ネフェラ、歩きながら答えてくれて構わないんだけど、クロムバッハというのは有名な貴族なのかい?」


「……ふむ、そうでございますなぁ。

 ワタクシは他家貴族様にご奉公したことはございませんから断言は出来かねますが、クロムバッハ家は国内外でも世に知れた有名貴族であると言えましょう。

 ……まあ、良くも悪くも、ですが」

 

 後半の方はため息混じりの小声だった。

 どういう意味だろう?


「まあ旦那様はよく自分は二流貴族であると自嘲気味にうそぶいておられますが」

 

 そうこう話している内に目的の場所に着いたらしい。ネフェラが一際大きな扉の前で立ち止まった。僕がさっきいた部屋から五分は歩いただろうか、日本じゃ考えられない広さだ。


「旦那様、ネフェラでございます」

 

 ネフェラが扉をノックすると中から「入れ」との重く響いた声が聞こえた。

 

 僕はネフェラに先導され入室した。

 

 中に入るとそこは書斎だった。壁に所狭しと詰められた本。三十人は余裕で入れる広さ。真横にある大きな机の上におそらくこの地域の地図だろう物が広げられており、地図の上にはチェスの駒のようなものがいくつも置かれていた。


「失礼致します。旦那様、ご要望の通り異界の客人を連れてきました」


「ああ、ご苦労。控えてくれ」

 

 正面中央にはマホガニーのような重厚とした赤みの帯びた書机があり、この部屋の主はそこに座っていた。


 彫りの深い顔し、立派に整えられた髭をした赤髪の壮年。


 彼の眼光と発する雰囲気はまるでカリスマ政治家のような風格を感じさせる。

 

 控えてくれと言われたネフェラは、僕たちの視界に入らないよう部屋の隅に移動する。

 

 退出ではなく『控えろ』だ。暗に彼女も関係者だと言っているのだろう。


「こうして対面するのは二十日ぶり……いや君にとって一瞬のような出来事か」

 

 確かにそうだ。自分の頭を吹き飛ばしてからこっち、ノンストップで悪い夢を見ているような感覚だ。実際にこれが僕の死に際で見ている夢なんじゃないかとさえ思えてくる。

 

 僕は最初の自己紹介を思い出す。


「ええと貴方はゲオルグ・トゥルス・クロムバッハ……さんでよかったんですよね?」


「そうだ。赤子の状態でよく覚えていたものだな。……ふふん、これは期待できるか」


「クロムバッハ公……あるいはクロムバッハ様と呼んだ方がよろしいでしょうか?」

 

 僕がそう言うと彼は破顔した。


「はっはっは、君は吾輩の身内のようなものだ。ゲオルグと呼んでくれてかまわん」

 

 笑いつつも彼の眼光は鋭い。こちらを値踏みしているのだ。

 

 荒唐無稽な話だが、今までの経緯から考えると僕はこのゲオルグという人物に異世界から呼び出されたのは間違いない。だが理由はなんだ? 情報が足りなすぎる。

 

 しょうがない。単刀直入に聞くしかあるまい。


「ゲオルグさん、貴方は僕をこことは異なる世界から呼んだ──いや転生させた、間違いないですね?」


「然り。その通りだ」


「では、なぜ僕を転生させたのですか?」

 

 おそらく僕の推測が正しければ──


「君を呼んだのは確かに吾輩だ。そこのネフェラに協力してもらってな。……だがしかし正確に述べるならば君という存在を直接狙って呼び出したわけではない」


「でしょうね。詳しい事情は分かりませんが、僕をこの世界に呼び出した方法というのはおそらく特定の個人を呼び出すことはできないのでしょう? だが、あることは可能なはずだ。貴方に利益をもたらす人間を呼び出すということが」

 

 僕の言葉に眉をわずかに上げ、静かな驚きを示すゲオルグ。


「……驚いたな。異能という存在をまったく知り得ない状態でそこまで推察できるとはな」

 

 異能?

 一体何のことだ?


「君の言う通りだ。君を呼び寄せた術式はある一定の方向──因果に向けて作られている。『我々』がための有益。精度は不明だが、無作為かつ自動的にな」

 

 だろうね。特定の個人を狙って呼び出せるなら僕のような薄汚い殺人鬼を呼ぶ必要はない。ノーベル級の科学者でも連れてくればよほど世の役に立つことだろう。


「正直な話、君の素性などさほど興味は無いのだよ。ただ『我々』のためだけに役に立てば良い」

 

 今また『我々』と言ったな。

 ゲオルグ以外にも僕を呼び出した人間がいるということか?


「僕としてはその精度とやらを疑いますけどね。失望される前に先に言っておきますが、僕に出来ることなんてたかが知れていますよ」


「なあに君は保険の一つだ。そう気負わなくても構わんさ」

 

 保険ねぇ……。

 一体何に対してのだ?


「それに人間の真価なぞ早々分かるモノでもないさ。物乞いのように路傍迷う小娘とて時に英雄になり得る。世界とはそういう風に出来ているのだ」


「……はぁ、左様ですか」

 

 どうにも胡散臭い感が否めないな。


 だが、ここまで話をして一つ確信したことがある。


「──ということは、僕を強制的に従えさせる力が貴方にはあるということですね、ゲオルグさん」


「なっ!?」


 今度こそ本当にゲオルグの表情は驚愕に変わった。

 ああ、笑えてくる。この言い方はまるでどこぞの探偵のようだ。


「……どうして分かった?」


「単純な推理ですよ。

 どこぞから人を呼んでも、言うこと聞いてくれなければ片手落ちだ。

 猛獣に首輪が必要なのと一緒。

 ……ゲオルグさん、推測ですが貴方は僕の生殺与奪を何らかの形で握っているのでは?」

 

 これも荒唐無稽な話だが、今更異世界に来て常識で考えても仕方が無い。


「……正解だ。吾輩はその気になれば君の心臓を止めることが出来る」


「うわぁ、それはあまり聞きたくない話ですね」

 

 要するに言うことを聞かなければ、あるいは反逆すれば、僕はほんの数秒で抹殺されるのだろう。


「察するにそれってゲオルグさんが死んでも発動しますよね?」


「……流石だな。それも予想するか。その通りだ。たとえ吾輩を毒殺や不意打ちで殺しても術式は発動する」

 

 ですよね。じゃなきゃ意味が無い。


「案ずるな。術式を使うのは最悪の状況の時だけだ。

 吾輩は君と円滑な共存関係を望む。相互利益というやつだ。

 吾輩に利をもたらしてくれる限り、吾輩は君に対してあらゆることを保証しよう。金、名声、権力、女、全てのモノを可能な限り提供しよう」

 

 金や名声か。

 実際のところ前の世界でも興味の持てることではなかった。

 僕が望むのは一つだけ。


「まあ二度も死にたくはないので出来るだけ協力はしますよ」

 

 ふと思う。今また僕が死ねばどうなるのだろう。二度目の転生?

 なんとなくだがそれはない気がする。きっとこれはイレギュラーだ。


「それで……結局のところ一体僕は何をすればいいんでしょうか?」


「焦ることはない。君はまだこちらの世界に来て日が浅い。まずはこちらの世界のことを知っておいてもらいたい。何を成すべきはそれから話し合うべきだろう」


「承知しました」


「……いや、そうだな、一つ付け加えるとするならば」


 ゲオルグは自身の顎髭を撫でながら、やや自嘲気味に口を歪ませる。


「クロムバッハ家は武門の一族でね。良きにしろ悪きにしろ、その武名は広く世に知られている。故にだ。君にはまず第一に、強くなってもらいたい」


「強く、ですか。……はあ、それはまあ構いませんが、一体どういう強さですか?」

 

 強さと言っても色々な物がある。

 権力闘争で伸し上がる権謀術数的な能力。

 社交界で広く成功するようなコミュニケーション能力。

 オリンピックでメダルを取るような運動能力。

 

 もっとも武門と言っている以上、考えられる一番高い可能性は……


「個としての戦闘能力。戦場で覇を唱える一騎当千の強さだ」


 そう、そうなのだ。これも薄々は予想していたことだが、僕がいるこの世界は戦場戦乱という物が身近にある世界なのだろう。


 ……本当にファンタジーの世界だな。


「なら尚更、僕自身の有用性を疑いますけどね。戦闘能力に関しては素人ですよ、僕は」


「ほう、それ以外は出来るという口振りだな。ちなみに君の出来ること……得意なことはなんだ?」

 

 それは単純な話だ。僕に出来るのは昔からたった一つだけ。


「──別に、僕は単なる平凡な人間ですよ」

 

 僕が言うとゲオルグは楽しげに笑う。


「ハハッ! 随分と謙遜じみた言葉だな」


 ゲオルグが書机から立ち上がり、僕の対面に立つ。そして、おもむろに右手を差し出してくる。


「吾輩たちの世界では握手とはお互いの友好を意味する。君の世界ではどうかね」


「ええ、僕の世界でも概ね同じ意味ですよ」

 

 僕はゲオルグの右手を握り返した。


 ともあれ、これで契約は成立したということだろう。選択権が無いようにも思えるが、僕としても二度目の生を援助してもらえるのはありがたい。


「では、君はこれから『アインス・トゥルス・クロムバッハ』と名乗るがよい」


「は?」

 

 今、この人はなんて言った?


「言っていなかったがな、異界転生の儀式というのはこの世界に置いてもっとも重い罪の一つに数えられる」


「……ちょ、ちょっとそれって」


「公の機関にバレれば、まず家名断絶は間違いない。そして首謀者、関係者共々処刑されるであろう。ようは禁術ということさ」


「……その関係者というのは僕も含まれるんですよね」


「ああ、勿論だ」


 なんてこった。それじゃあ結局のところこっちの世界でも、僕はお尋ね者ということじゃないか。


「案ずるな。……吾輩には五年ほど前に夭折した息子がいた。

 だが今回の時のようなために、わずかな関係者を除いてその死を秘匿していたのだ。君は対外的には吾輩の四男児になる。生きていれば歳も同じぐらいだ」

 

 なるほど、それがアインスとやらなのか。だからネフェラは僕をお坊ちゃまだとこだわったのだ。有力貴族なら身内の死を隠すことぐらい簡単だろう。           


「ということはゲオルグさん、貴方と僕は……」


「仮とはいえ父親と息子という関係だな。……ははっ、頼んだぞ、自慢の息子よ」



 *****



 ゲオルグとの面会を終えた後、僕は豪勢な屋敷の廊下をネフェラに先導されて再び歩いていた。


「ひとまずの契約成立おめでとうございます。これでお坊ちゃまは晴れて正式にアインスお坊ちゃまとなられました」

 

 ネフェラが歩きながら嬉しそうな声音で喋る。


「……僕としては、断ることが出来ない状況だったけれどね」

 

 選択肢としては「はい」か「イエス」のどちらか二択だと選べと強制されたようなものだ。拒否に至る結果が死ならば尚更だ。まあ従わなければ死ぬと看破したのはこっちだし、ゲオルグとしてはそれは最後の切り札にしたかったのかもしれないが。


「それは建前……というか最後の手段でございます。旦那様はアレでも義に厚き武人であります。出なければ仮とはいえ親子の契りなど結びません」


「まあ確かにそうかもしれないね」

 

 雑巾のように使い潰すつもりなら、ネフェラの言うように最初からそんな立場にはしないはずだ。世間的にだがこれから僕は彼の息子として見られる。だがゲオルグもまた父親として見られる。世間体という奴だ。


「……それに、でございます」

 

 前を歩いていたネフェラが急に足を止め、メイド服のスカートを棚引かせてこちらに振り向く。


「ワタクシは坊ちゃまの侍女でございます。

 ──故に、どんな時も、どんなことがあっても、ワタクシはアインスお坊ちゃまの御味方となりましょう」


「あはは、いいのかい? 君の仕えている人はゲオルグさんだろう?」


「ええ、勿論ですとも。我が主君はクロムバッハ様……ですが、その主からアインスお坊ちゃまに仕えろと命令されたのです。であるならば、どちらを優先するかは自明の理でございます」

 

 ネフェラが、ある意味で自分の主に対する背信めいた言葉を冗談めかして宣言する。

 

 きっと僕の境遇に同情してくれているのだろう。

 

 異世界から呼び出されて、いきなり知らない人間に協力を強制される。従わなければ死ぬのだと。

 

 見た目だけは十歳の子供なのだ。そんな境遇、姿がなおさら同情心を誘うのも分からないでもない。だからこそこうして慰めの言葉を掛けてくるのだろう。


 ……もっとも、中身はただの最低な殺人鬼のなのだが。


「──はぁ」


「どうしましたか、お坊ちゃま?」


「いやなんでもないよ、ネフェラ。案内を続けてくれ」

 


 *****


 

 ネフェラに屋敷を一通り案内された後、僕はある一室に来ていた。


「冗談で図書室があるんじゃないかとは言ったけど……まさかに本当にあるとはね」

 

 眼前に広がるのは大量の本棚。

 大図書館とまではいかないまでも公民館の図書室程度の規模はあるだろう。


「蔵書的には大したことはございませんがね。本邸はこの十倍はございますよ」

 

 ネフェラいわく、現在僕がいる屋敷はクロムバッハ家が所有している三つの別宅の一つらしい。本邸はあらゆる面において何倍も優れているとネフェラが力説していた。

 

 僕は適当に棚から本を取り出し目を通してみる。


「……やっぱりだ、読める」

 

 そこに書いてある文字は明らかに日本語ではないが、すらすらと母国語のように読むことができた。


「言葉を理解できるならもしや……と思ったけど文字もいけるのか。すごいな、これは」

 

 まるでネイティブ同様に問題なく読むことができる。生まれ育った場所ではない言語の習得の難しさは言うまでも無い。それが何の努力もなしにこれだ。言語学者が聞いたら卒倒するだろう。たぶんこの調子なら書きも平気だ。

 

 ネフェラが「ふふん」と自慢気に笑う。


「当然であります。ワタクシが設計した術式でありますからな。異界の方を呼び寄せても、意思疎通できなければ何の意味もありませんでしょう。大陸の主要言語ならばおおよそ大丈夫なはずです」


「凄いね。一体どういう仕組みなんだい?」

 

 僕が赤子に転生したこともそうだが、まるで魔法みたいだ。いやというか、ひょっとしてこの世界は本当にファンタジーのように本当の魔法がある世界なんじゃないのか?


「検討も付きません」


「え?」

 

 さも当然のようにネフェラが宣言する。


「分からない……ってネフェラ、僕を召喚したのは君でもあるんだろう?」


「ええ、それに相違ありません。

 ですが、アインスお坊ちゃまは呼び寄せた術式は第五領域異能。

 第五領域は即ち未知の領域であります。ワタクシが知っているのは正確な術式手順とそれによってもたらされる結果のみであります」

 

 第五領域?

 よく分からないが、ようするに経験則みたいなことだろうか。


「師父であった祖父からは『大いなる源』から知識を引き出しているのではないと推測していました」


「ネフェラが言う『異能』っていうのは魔法みたいなものってことなのかな?」


「ほほう、魔法という概念をご存じでございますか。ならば話は早い」

 

 ネフェラはおもむろに人差し指を天井に向けた。


「なっ……!?」

 

 驚いた。

 

 ネフェラの人差し指の先、そこにまるでライターのように炎が灯った。


 そして一瞬でその炎が蝶のような形を成して宙を飛んだ。ふわふわと僕の周りを回って、数十秒程度立ってから消滅した。


「炎の形をした蝶。炎蝶でございますな。まあ大道芸のようなものでありますが」

 

 自慢するでもなく淡々と宣言をするネフェラ。


「いにしえの世界ではこれら超常たる未知の現象は──すなわち『魔法、魔術』と呼ばれていました」

 

 ネフェラは語る。

 

 この世界でおよそ四百年ほど前に魔法、魔術といった超常現象を成立させる因子が見つかったのだという。


 魔素原子――通称アストラル。

 

 モーリッツ・パラケルという研究者が実証したそれは経験則でしかなかった魔法の世界を……いや世界そのものを変貌させたのだと。


「モーリッツは時の権力者の力を借りて、新領域創造学アンノミストリーという学問を打ち立てました。

 原因も理屈も不明だった魔法という存在に魔素原子アストラルという答えを見いだしたのです」

 

 モーリッツ曰く、世界のあらゆるモノには――それこそ人間にも――魔素原子が満ちていて魔術師は無意識的にあるいは意識的にそれを使いこなし超常の力を発現させていた。

 

 モーリッツはそれらを論理、体型的に徹底して分析したそうだ。リンゴが落ちるの見て万有引力を発見したニュートンのようなものだろうか。


新領域創造学アンノミストリーが発展するにつれて魔法使いは爆発的に増えました。

 一部の者の秘匿特権とされていた超常の力はその実、誰しもが使える万人の力でもあったわけですから。

 かつては魔法使い、魔術師と呼称され畏怖を持たれた者たちは、異なる能力を持った只の人間と次第に呼ばれるようになったのです」


「異なる能力を持った人間……そうか、それで異能者か」


「ええ、そうでございます。今では魔素原子を行使して超常の力を使う者はおおよそ異能者と呼ばれています」


 なるほど。

 やっぱりこの世界というのは、超常の力が普通に存在する世界のようだ。

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