第一話 とある殺人鬼の目覚め

 一番始めに感じたのは眩しさだった。


 なぜだか分からないがまぶたが重い。身体も思うように動かない。頭の回転も遅い。夢の中にいるように全てがおぼろげだ。

 

 ここは地下室だろうか?

 

 だが妙だ。壁や床はコンクリートではなく石造り。まるで中世ヨーロッパの古城のようだ。


 思考が混乱する。


 先程までの光景を思い出す。


 口に入れた鉄の味、炸裂する光。


「……それで術式は成功したのか」


「ええ、おそらくは」


 ふと気付くと男性と女性が僕の近くに立っていた。

 

 男性は四十代中頃。立派に整えられたひげ、赤い髪。彫りの深い顔をした外国人が険しくこちらを見ている。服装は黒の燕尾えんび服に赤茶けた紳士帽。まるでヨーロッパの貴族のようだ。

 

 隣の女性は二十代中盤ほど。男性と同じく赤い髪をした外国人だったが、彼女の服もまたゴシック映画から出てきたような侍女姿。つまりメイドだった。


「言葉は通じているのだろうな」


「術式がうまく機能しているのであればこちらの言葉は理解しているはずでございましょう。……もっとも今の状態では喋ることもできませんが」

 

 言葉という単語でようやくそこに思い至る。

 

 彼らの喋っている言葉は日本語ではない。

 

 にもかかわらず僕は彼らの喋っていることを理解している。

 

 一体どういうことだ?

 

 いやそもそもだ。


 僕の視線から見て、彼らはかなり大きい。


 僕の十倍近くあるのだ。だが部屋の大きさの縮尺で考えれば、彼らの身長は百六十から百八十といったところだ。至って平均。巨人というわけではない。


 そして気になるのは先ほどから視界をかすめる小さな手足。

 

 僕の認識が発狂していない限りこの状況は……


「事後経過に異常無し。クロムバッハ様、転生の儀式は無事終わったと判断します」

 

 そう、



 *****



「失礼します。異世界の方」

 

 赤い髪のメイドがそう言って僕を持ち上げる。どうやら僕は乳母カゴのような物に寝かされていたらしい。


「もしこちらの言葉が分かるようでしたら、何かを反応をしてくれれば助かります」


「あー、うー」

 

 言われたのでなんとか反応してみようとしたが、まともな言葉を発することが出来ない。今の僕は本当に赤子のようだ。


「ふふ、ありがとうございます」


「……和むの勝手だがな、ネフェラ。次の手筈はもう済んでいるのか?」


 壮年の紳士が呆れたように口を挟む。


「ええ、クロムバッハ様、万事抜かりなく」


「ふむ、そういえば挨拶がまだだったな、異界の客人よ。

 吾輩わがはいの名はゲオルグ・トゥルス・クロムバッハだ。

 しがない落ちぶれた二流貴族さね」

 

 紳士帽を外して、堂に入った礼をする壮年の男。


「うー」

 

 貴族式の礼など知らないし、そもそも片手動かすのもやっとなのでそれで答える。


「ご理解頂けたようで幸いだ。ちなみに彼女は吾輩の侍女長で……」


「ネフェラ・アイムバッハでございます。以後お見知りおきを」


 ネフェラと呼ばれたメイドは僕を抱えたまま鉄扉を開けて隣室に入る。

 

 扉を開けた先にあったのは……水槽?

 

 そこには見たこともない装置に繋がれた水槽のようなものがあった。中には薄緑色の液体が詰まっている。


「直に見るのは初めてだな。これが噂の成長因子組み込み型術式で作られた装置か」


「一から十まで全て特注品でございます。市井しせいの人間が一生を死ぬまで働いたとしても作ることのできないほどの金額が掛かっております。中々豪儀でございますね、旦那様」


「ふん、設計したのは貴様だろうが」


「おや、そうでございましたね」


 おほほと口に手を当てながらメイドが微笑する。


「異界の客人よ。今の状況さぞ不便であろう。さて今から起こることを状況を端的に説明するならば──」

 

 メイドが乳母カゴから僕を持ち上げる。


「簡単な話でございますよ。赤子から十歳の子供になるだけでございます。……ほーらよしよし良い子でちゅねー」


「……やめないか、中身は成人した男性の可能性があるのだぞ」


 可能性どころかその通りだ。あーとかうーとかしか言えないが、僕はれっきとした二十後半の成人男性だ。


「成長の上限は十歳までが限界なのか?」


「ええ、それ以上の促進は後遺症が残る可能性がございます。安全性を期するならばそこまでが限界でございましょう。というかそこで止まるように作ってありますから」


「……やむない、か。もう少し欲しいところであったが」

 

 水槽のふたのような部分がひとりでに開く。


「処置に係る日数はおおよそ二十日ほどでございます。きっと寝ているような心地ですぐに過ぎていくことでしょう」

 

 メイドは僕を薄緑色の液体に沈めていく。


「それではお休みなさい。……

 

 メイドが最後に妙なことを言ったような気がした。
 


 そうして僕の意識は本当に眠るように静かに落ちていった。



 *****



「……う、ん?」

 

 窓から入ってくる暖かい日差しで僕は目を覚ました。


 寝ぼけた思考のまま僕は周囲を見渡す。今、僕がいるのはヨーロッパ様式のような大きな部屋だった。


「このベッド、大きいな……」

 

 そう、僕が寝ていただろうベッドも無駄に大きい。何の用途に使うか分からない天蓋が付いているし、十人は余裕で寝られるだろう広さだ。


 日本人的なさがなのか、こうも無駄に大きさを誇って絢爛けんらんさをひけらかすような作りは苦手だ。


「……って、そうか、ここは異世界なのか」

 

 先ほどの──主観時間が曖昧だが──光景を思い出す。


 赤子の自分。転生の儀式やら十歳まで成長させるやら。まるで映画漫画のようなフィクションの出来事だ。

 

 だが僕は確実に覚えている。

 

 自分で自分の頭を吹き飛ばしたあの感覚を。


「……ん?」

 

 ベッドのすぐ横に鏡の付いたドレッサーが置いてあるのに気付く。

 

 僕はベッドから降りて、鏡の前に立つ。


 そこにいたのはやはり見知らぬ少年だった。 

 

 赤い短髪、切れ長だがどこか穏やかさを感じさせる目、上品な意匠を施された寝間着。

 

 十年後にはおそらくそれなりの美青年になっているであろう子供がこちらをじいっと見詰めていた。


「……なんというか、違和感しかないなぁこれは」

 

 少年が困ったような顔で自分の頬に手を当てた。僕の意思でその手は動く。当然だ。それは僕の手なのだから。


「別に自分の顔に大して愛着があるわけじゃなかったけど……」

 

 僕が二十年以上付き合ってきた顔はもうそこにはない。今からこれが貴方の顔ですと言われて、はいそうですかと納得できるものでもないだろう。ましてや子供の身体だ。

 

 僕が鏡の前で困惑していると扉をノックする音が聞こえた。


「失礼します。……おや起きていましたか、お坊ちゃま」

 

 扉を開けて現れたのは赤髪のメイドだった。僕の着替えを持ってきたのか、手には上等な布地で作られた服一式があった。……というか、今お坊ちゃまって言わなかったか?


「ええと君、じゃなくて貴方は……」


「ネフェラでございます。お坊ちゃまに仕える侍女役でございますですよ」

 

 着替えの服を持ったまま片手でスカートをつまみ優雅に礼をする。

 

 侍女とはなんと時代錯誤な……と思ったがここは異世界だ。それが普通なのかもしれない。というか、今僕は普通に異世界の言葉を喋れているな。日本語を喋るように思った通り言葉が出てくる。不思議な感覚だ。


「貴方は……ネフェラさんは僕のことをお坊ちゃまというけど、それは一体どういう意味なんだい?」


「ワタクシのことはネフェラと呼んでくださいまし。……お坊ちゃまはワタクシが仕えさせていただく方なのですから当然でございましょう」


「お坊ちゃまって言われても僕はこれでもそれなりの歳なんだけど……」

 

 見かけは子供でも中身は二十後半の大人だ。それがお坊ちゃま呼ばわりはむず痒い。


「承知しております。お坊ちゃまは異界の方でございますから。……ですが、それはこれ、お坊ちゃまはお坊ちゃまでございます」


「……はぁ」

 

 なんか禅問答ぜんもんどうみたいになってきたな。彼女……ネフェラは僕のことをお坊ちゃまと呼ぶことに対してそれなりの信条を持っているようだ。


「旦那様……クロムバッハ様がお呼びでございます。おめしものを替え次第、面会にいらしてほしいとのことです」

 

 クロムバッハ……僕がこの世界に来た時にいた壮年の男性か。旦那様と言っているし、とりあえず聞きたいことは彼から聞くとしよう。


「分かった。着替えたらすぐ行くよ」


「はい、お待ちしておりますお坊ちゃま」

 

 ニコニコとネフェラが着替えの服を渡してくる。


「…………」


「…………」

 

 沈黙。沈黙だった。


 ネフェラは依然として笑顔を絶やさない。


「あの、ネフェラ、出て行ってくれないと着替えられないんだけど……」


「ええ、お坊ちゃま、ですからお気になさらずに」

 

 満面の笑みで言われても困るのだが……。


 生着替えを妙齢の女性に見られて喜ぶ趣味は僕にはない。


「はぁ、お坊ちゃま命令……とやらだ。僕が着替えるまで外で待っていてくれ、ネフェラ」


「むう、お坊ちゃまのいけずでございますな。仕方がありません。扉の前でお待ちしております。おめしのものに分からないところがあればすぐに呼んでくださいまし」

 

 残念そうに退室するネフェラ。


 あ、それで待っていたのか。


 異世界の服では勝手が違うだろうと気を利かせてくれていたらしい。

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