第48話 剣よりも
朝食を終えた徹は、2階にある自分の部屋へと戻った。脳裏には、さきほど母親が見せた笑顔が残っている。
ついほころんでしまう口元を抑えながら、パジャマ代わりのTシャツを脱いで真新しいワイシャツに袖を通す。指先に巻いてあった絆創膏は、もう無い。刺繍は無事仕上げて、既に洞穴の鏡と共にある。その傍らに、石の台座の上に莉子が紙粘土で作ったオオサンショウウオのレリーフ。次の新たな器になるはずだ。
今日は入学式。徹はいまだに、こちらへ越してくるきっかけとなった件について、母親とちゃんと話し合っていなかった。最初に事情を聞かれて以降、「後は親同士で話すから」と、蚊帳の外の身となっていた。
仕事を辞めて引っ越しを余儀なくされた母親に、きちんと礼も言えていない。それがずっと気になっていたのだ。
「俺、こっちでちゃんと頑張るから」
今までの俺なら、言い出せなかったかもしれない。ただ諦めて、無気力を引き摺って、いじけたような生活を送ったかもしれない。でも、今は。
俺は、世界を救ったんだ。勇者だなんてとても呼べないけど、仲間と力を合わせて、時を繋いだ。それが自信になっている。彼らと繋いだ未来をしっかり生きると、俺は決めたんだ。
ぽかんとした顔で箸を止めた母親に、徹はぺこりと頭を下げた。
「母さんに仕事辞めさせちゃったし、悪いと思ってる。だからせめて、頑張って…」
続く言葉は、くしゃくしゃと強く髪を掻き乱されて、止まった。
「つまんないこと気にしてんじゃないわよ。仕事なんてどこだって出来るんだから。それに、あの頑固ジジイに啖呵切ったのは、母さんの方だし」
「え、そうなの?!」
「そうよ。学校に呼び出された時、口論になって『お前の息子の将来を潰してやる』なんて言い出すからさ、言ってやったのよ。『やれるもんならやってみなさい偏屈ジジイ、あたしの息子はどこでだってちゃんとやれる』って」
「スカッとしたわよ、あははー」と笑う母親につられ、徹も笑ってしまった。あの高圧的で偉そうなオヤジに、よくそんなこと言えたな……
「父さんも笑ってたわ。よくやった! って」
……父さんも。俺のせいで単身赴任になってしまったのに……
「父さんもね、あんたのことは信頼してるから。大人に向かってだって、間違っていると思えば自分の意見をしっかり言える、自慢の息子だもの」
もう一度、ぐりぐりと乱暴に徹の頭をなで回し、母親は明るく笑った。
「あんたが悪かったんじゃない。はっきり言ってあの件は、あそこの親子間の問題よ。だから親同士で話すって言ったでしょ。あんたは余計なこと気にしないで、思う存分中学生やんなさい。それでもあの子の事が気になるんなら、また一緒に考えよう」
あの子の事はやはり、気になっていた。根の国を進む途中、ずっと頭を占めていたのが彼女の事だった。次々に悪い想像ばかりが浮かんできて、挫ける寸前だったのだ。由良のオカリナのおかげでなんとか切り抜けたけれど。
一方で、どうしようもないことも、わかっていた。自分なんかに何ができるだろう………
母さんや父さんに、大人たちに、頼っていいんだろうか。信じて、いいんだろうか。
「考えるのは、後あと。ほら、座って。さっさと食べるよ。父さんとの待ち合わせに遅れちゃう」
ぽんぽんと急かす口調に押されて手を合わせ、「いただきます」と声を揃える。もりもり朝食を頬張ると、なんだか急に身体に力が漲ってきて、徹はご飯をおかわりしたのだった。
ワイシャツのボタンを一番上まで留めて、黒いズボンに足を通す。
「ちゃんと仕立ててある上質な生地の服を着ると、背筋がピンってなる……気がする」
由良の言葉を思い出す。言われてみれば、そんな気もする。
鏡の前に立ち、上着のボタンをきちんと留める。ぴかぴかのボタンはやっぱりちょっと馬鹿みたいな気がするし、着心地には慣れないけど……でも、けっこう様になってる。それほど悪くないかもしれない。
そう思うと、まだ何もしていないのにいろんなことが上手くいきそうな気がしてくるから現金なものだ。
持ち物の準備は昨夜済ませてあった。あとは荷物を持って降りるだけ……と、鞄に手を伸ばしかけたところで、その手が止まる。
机に置いた学校指定の鞄。その隣に、見慣れぬペンが置かれていた。全体は綺麗な瑠璃色で、キャップの淵とクリップ部分が金色に輝いている。
「なんだろう……サプライズのプレゼントかな?」
徹はその美しい万年筆に手を伸ばした。そっとペンを取り上げたその時、頭の中に突然声が響いた。
「それは、創造のペン。想像力で地球は回る。お話を書いて、世界を救って」
おしまい。
死を視る者が繋ぐもの 霧野 @kirino
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