第47話 さきちゃんの紙芝居
親戚連中で賑わう酒臭い居間と続く畳の2部屋に、母さんは居なかった。ならば、台所だ。
3人は家の最奥にある台所へとなだれ込んだ。
「かあさん! おばあちゃんの紙芝居って、まだある?!」
徹の母親は、突然飛び込んできた彼らに面食らった様子で振り向いた。隣には手伝いにきていた由良の母親と、シンクで山のような洗い物をこなしている兄の
「あ、うん。さっきまでみんなで見ていたから、まだ居間にあると思うけど」
「ありがと!」
母親の言葉と他二人の視線を振り切り、彼らは酒臭い居間へと慌ただしく戻った。「おう、徹。どうした、血相変えて」「こっちきて飲め、飲め」「ば〜かお前、徹はまだ中学生だろ」「だからどうした、俺の頃は…」
昼間から赤い顔をした酔っぱらいどもを完全無視し、徹は部屋の中を見回す。床の間の片隅に、あの紙芝居が乱雑に放置されていた。素早くそれを取り上げると、何喰わぬ顔でさっと部屋を出る。何人かが徹を目で追ったが、その関心は数秒後にはテーブルの寿司とビールに戻っていた。
大人は子供の行動なんてろくに気にしちゃいない。冠婚葬祭などで酒が入った場合には、特に。今はそれが有り難かった。
3人はなんとなく忍び足で階段を上り、徹の部屋へ入った。由良も莉子も、徹個人の部屋へ入るのは初めてだ。それもそのはず、前に住んでいた時は自室を持っていなかったのだから。こちらへ戻ってきて、兄が使っていた部屋を引き継いだのだ。
「えーっと…」さっと部屋を見渡し、徹は勉強机の椅子を引き出す。その上に、件の紙芝居を載せた。画用紙に水彩絵の具とクレヨンで描かれたそれは、大切に保管されていたのだろう、驚くほど綺麗な状態だった。
どこかの山奥で幸せに暮らす人々の物語。善良な人々と、彼らと生涯をともにする不思議で可愛らしい生き物が織りなす、心温まるエピソード。写真を見る限り、それらは昔読んでもらったはずなのに、全く憶えていない。
アルバムの写真に納められていたのは、村人とその小さな生き物が入り交じり、楽しそうに踊っているシーンだった。
「これって、カラフルで尻尾の無い猿みたいだけど……」
「やっぱマガリコ、っぽいよね?」
「……実物を見ていなくて伝聞だけで絵を描いたとしたら、こうなるかもしれないな」
おばあちゃんはたしか、「ひいおばあちゃんから聞いた話を元に、紙芝居を作った」と言っていた。そして、ひいおばあちゃんは子供の頃に親戚の元へ預けられたのだ、とも。「そういう時代だったんだよ」と、おばあちゃんは笑ったっけ。
当時小さかった俺は「そういうじだい」という意味はわからなかったけれど、おばあちゃんのしんみりした笑顔が印象的だったのは憶えてる。こちらへ戻ってからも、仏間の写真を見ては、たまに思い出してたんだ。
「……それって、徹のひいおばあちゃんもマガリコを見たことがあるってこと?」
「う〜ん……そう、なのかなぁ……ひいおばあちゃんが実際に見てた光景なら、こんな猿みたいな絵にならない気もするけど。おばあちゃん、絵自体は上手いんだし」
「なるほどぉ……」
さも納得したかのようにしたり顔で頷いている莉子だが、どれほどわかっているか怪しいものだ。それはともかく……徹は再び紙芝居に目を落とした。
ストーリー自体は平凡で、特に大きな事件などが起きるわけではない。ただ「山の上の、とある村」の平和な日常を淡々と、しかしほのぼのとした感じに描き出している。
特に、マガリコとの関係は、親友であり兄弟、ペットのようでもあった。不思議な動物と心で会話ができるなんて、子供にとっては憧れのシチュエーションだっただろう。幼い頃の徹たちにとってお気に入りだったのもよくわかる。
「あの世界を見たのは誰かってのはともかく、私たちに今回起きたことって、もしかしたら偶然じゃなかったのかも」
「どうーいう意味?」
「えっと、運命……とか?」
「あるいは、必然とか」
んーーー! と、莉子が両手をうんと伸ばしながら言った。
「難しいことはよくわかんないけど、とにかく、あたしたちはあいつらと一緒に世界を救ったってのはたしかだよね。それだけわかってれば、あたしはオッケー」
由良も明るく笑いながら、莉子に同意する。
「そうだね。魔法もドラゴンも出て来なかったけど、みんなで大冒険を成功させた。それってすごいことだよ」
まだ色々と考えていた徹だったが、言われてみればそんな気がしてきた。疑問はあれこれあるけれど、考えてわかるものじゃなさそうだ。謎は謎のまま。それでいい。
剣も魔法もドラゴンすらも出て来ない、なんとも地味なファンタジー。
それでも僕らはやり遂げた。肝心なのは、いま世界がちゃんと動いていること。
「せっかく救ったんだから、いい世界にしてかなきゃ、な」
「あ、徹がなんかいいこと言った!」
「かっこいい……」
何の気なしに出た言葉だったが、由良の呟きをばっちり聞いた徹は至極満足だった。浮き足立ったと言っても過言ではない。得意げな顔にならないよう、徹は頑張って真顔を装った。
(中学では、由良と同じクラスになれたらいいな……)
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