第34話

「それって」とぼく。「あんたたちだけで〈スフィア〉をどうにかするつもりか?」

「基より、お前たちの庇護を受けるつもりはない」

「ぼくたちが憎いのは解かるが、強がりでどうにかなる相手じゃないぞ」

「それだ。それ自体が」アドルフはいった。「わたしたちの過ちだった」

 アドルフはぼくたちに背を向け、続けた。

「逸脱が我々を脅かす。違う。この敗北は自分と異なる者たちを追い出そうとした、我々自身の狭量が招いた結果だ。……いいか、小僧共。わたしたちは考えを改めたのだ。悲しみを分かち合い、窮地には身を寄せ合える。わたしもお前たちも〈ミグラトリー〉の市民なのだ」

 そして、アドルフは部下に向けて叫んだ。

「これより我々は、市民並びに〈ミグラトリー〉の秩序を保護するという組織理念に基づき、その最たる脅威となり得る〈スフィア〉を排除するため、出撃する。全軍に通達しろ!」

 部下を先に進ませ、艦橋から出て行こうとするアドルフは去り際にぼくたちの方を振り返った。

「いいか、小僧。お前たちも市民なのだ。……生き残った者たちのことを、頼んだぞ」

 アドルフが通路に姿を消したあと、ぼくたちは顔を見合わせる。

「頼むってさ」とぼく。

「数百人の命を?」とフランシス。

 ぼくとフランシスはエディを見る。「負け続けている身としては、荷が重い話だな」

「ねえ、カイル」呼ばれて振り返ると、入口にクレアが立っていた。「あなたと話がしたいって」

「誰が?」

「……わたしの妹」


「怪我したんだってな」

 負傷者を収容するために、病室へと改装した一室。ぼくは妙な緊張感を覚えながら、エイミー・エルドリッチの病床の椅子に腰かけた。

「あれ」と、エイミーはぼくの話には答えず、病室の入口の方を指した。「なんであんなところにいるの」

 振り返ると、クレアがぼくたちのことを監視するみたいに眺めてる。

「あなたたち、どんな関係?」

「どんなって」エイミーはぼくとクレアを交互に見て、それから続けた。「腹を割って話し合った関係」

 ははは。まさか、物理的に腹を割ったとは思うまい。

「どうしてそんなことが気になるの?」

「実は彼女、ぼくに惚れてるんだ」

「はあ?」とクレアが大声を上げる。「そんなわけないでしょう!」

「へえ」とエイミーは悪戯っぽく笑う。

「くだらない!」いって、頬を膨らませたクレアは、病室を出て行った。

「あいつの扱い、上手いのね」とエイミー。

「後のことを考えたら膝が震えるけどな」

「……姉さんから聞いた。あなたたちも、ここまで来るのに色んなこと積み上げて……沢山のものを失ってきたんだって」

「大袈裟に語ったんじゃないか?」

「あれ、見て欲しくて呼んだの」

 エイミーは枕元のサイドテーブルを指した。テーブルに置かれているのは一枚の紙。丁度、掌に収まるくらいの大きさのカードだ。

「イラストか?」

 紺色に塗り潰された一面の所々に、白や黄色の点が散りばめられているのに、まず気づいた。それから、塗りが些か拙いこと。

「一緒に助けられた子供が描いたの」エイミーは俯いていった。「わたしの脚がこうなる前に」

 ぼくはその紙を手に取った。

「これって……あんたが乗っていた?」

 絵の中央には背中から火を噴いて宇宙を駆ける〈コンベヤード・ソー〉が描かれている。腹のチェーン・ソーを突き出し、勇ましい。

「いつも応援してますって」

 ピーター。隅に名前が書いてある。気取って字体を崩した名前が。

「あなたたちが持っているべきだと思うの」

「あんた宛てのプレゼントだろう? ぼくたちは――」こんな趣味の悪い機体には乗らない……というのを思い留まった。「その子の顔だって知らない」

「空を見上げても」エイミーはいう。「〈ミグラトリー〉から星はほとんど見えなかった。採光用の窓は中心の空洞を向いているからね。頭の上にあるのは何時だって代わり映えのない向こう側の街」

「〈ミグラトリー〉で見えなくたって、〈アウター・ワールド〉には再現された自然があっただろう」

「知らないの? ……知らないんでしょうね。パレードの演出で空が暗くなることはあっても、〈アウター・ワールド〉に夜は来ないのよ」

「夜がない?」

「あの世界じゃあ、眠る必要はないんだもの。だから、夜は要らない」エイミーは自嘲気味に笑った。「あれが全部、わたしたちを閉じ込めておくための籠だったってことなら、夕暮れのないあの空は、星への憧れを覚えさせないための目隠しだったのかもね」

「星なんて、何時だってすぐそこから見えたじゃないか」

「あなた、採掘屋だったんだっけ」ぼくは頷いた。「だからよ。星が在る空が身近に思えるのは」

 エイミーは溜息を漏らしてから続けた。

「ほとんどの人は他の星とは無縁だってことに無自覚でいる。だけど、その子は星が在る空を知っていた。その子が見た空は……きっと、あなたたちが描いた空よ」

「避難してから描いたんじゃないのか?」

「それを貰ったの、連勝記録を更新したときなの。……持ち運べるサイズだったから、願掛けにずっと持っていて。だから、ここにある」

「それって――」

 エイミーは俯き、少し間を置いて首肯した。

「生存者リストに、同じ名前はなかった」

 ぼくは〈コンベヤード・ソー〉のイラストを見つめる。見つめて考える。これからどうするべきかってことを。クレアにいわれたことが頭を過る。生きてる者が死者にしてやれることなんてほとんどない。

「ちょっと、この絵借りていいか」

「貸すっていうか、あなたが持っていていいんだって」

「いいや。これはあんたが持ってるべきだ。これを描いた子は、君に持っていて欲しいと思ったはずだろう? だから、絶対返す。でも、その前に見せたい奴らがいるんだ」

「……解かった」

 預かったカードを手に、ぼくは病室を後にした。

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