第15話

十七、

 ホーロンの北門が〈王の門〉と呼ばれる所以ゆえんは、ガドカルの民の王が、在地の平民ゾック軍を破り、この門をくぐって入城した故事による。

 ラムルが駱駝にうちまたがって脇塔わきとうのあいだを抜けると、赤茶けた砂漠の中に、かろうじてクシュ街道が見分けられた。今日も朝から、嫌になるくらいの烈日である。

 先を行くアルキンは慣れた様子で駱駝をあやつっているが、ラムルの方は馬とは勝手が違い、手綱さばきが覚束ない。日よけの布を巻いて目だけ出したアルキンは、さすがにいつもの深衣きもの姿でなく、士族スキュロの旅姿である。

「本当に、ザイロンへの斯様かような道すじがあるのでーー?」

 礼を失しているのかもしれないがラムルは、不安でつい重ねて訊いてしまうのだった。

沒問題だいじょうぶ沒問題だいじょうぶ。使ったことがあるんだから。……と思う」

 いささか玉虫色なアルキンのいらえにラムルは、にわかに心穏やかではいられなくなった。

 二人はこれから、ナリン砂漠のただなかに入るのだ。ラムルにしてみれば、広大なレン内海に漕ぎ出す小舟のような心持ちである。

 ナリン砂漠の北辺に、馬蹄形の半島のようにせりだした山塊が七盤しちばん山脈さんみゃくである。その麓にザイロンという古い都市国家があった。山裾の台地の上に造られた城塞都市で、攻めにくく守りやすい天然の要害として、古くから隊商に知られる城市まちである。

 通常、ホーロンからザイロンまでクシュ街道を往く道のりは、六日は見ねばならない。東に碧天へきてん山脈さんみゃくを見ながら、融雪期ゆうせつきをすぎても枯れないヌール河の稀有な流れに沿って進み、河畔に築かれた都市国家をつたって行くのだ。つまり東に膨らみながら、砂漠のど真ん中を迂回するわけである。

 しかしこの度は、アルキンが以前に顔見知りの隊商とともにたどった道すじをくつもりだった。それは砂漠を北西方向に真っ直ぐ突っ切り、地図にも載らないような小さな綠洲オアシスを経由して、三日で往く経路である。

 砂漠に囲まれた城市まちで暮らす者の常識として、このような小さな綠洲オアシスは、時とともに砂に埋もれ枯れ果ててしまう場合が往々にしてあることは承知である。まして今回は、嚮導みちあんないの者もおらずアルキン頼みである。

 心配事は道のりだけではなかった。運良くたどり着いたところで、望む話が聞けるとも限らないのだ。

「ザイロンでもアルキン殿に頼ることになり、恐縮にございます」

「まあ、まかせてよ。でも、〈異腹はらちがい〉の話を聞けば、その人妖ばけものとやらの正体がわかるのかねぇ……」

 アルキンが半信半疑なのも無理はない。怪異を実際に目撃したわけではないのだから。

 しかしそれでも行かねばなるまい、とラムルは胸のうちで呟いた。わずかでもあの人妖ばけものの正体に迫れるのであれば。

 昨晩、出くわした怪異についてラムルは、一つの仮説を持っていた。アルキンが言及した通り、あの怪異は、〈とりかえばや〉による異能力者ーー〈異腹はらちがい〉ーーの仕業ではないか、というものである。

 根拠は二つある。一つめは、人妖ばけものが、サラとラムルを特定し、その上で明確な害意ーーいや殺意を向けてきたことである。これは、バソラ邨からの帰路かえりみちで襲われたときとかなり相似である。

 二つめは、人妖ばけものが、人声に反応して姿をくらましたように見えた点である。無論、ラムルに鬼怪まものの知性がいかほどかの知識が有るわけではないが、あれは人語じんごを解するなどというのでなく、むしろ人そのものの仕草に思えた。これらの条件を勘案すると浮かび上がるのは、人であって人でない者ーー〈異腹はらちがい〉の存在なのであった。

 しばらくして二騎は、クシュ街道を離れた。行く手には荒涼とした砂礫されきが広がるばかりである。陽は容赦なく降り注ぎ、砂まじりの風が二人をなぶる。日よけ布の外に出ている皮膚が急速に乾燥していくのが、はっきりと分かる。ラムルは覚悟を決め、砂丘を見やった。

 

 かろうじて残っていた水場が、その晩の宿営場所だった。荒野の中にすっくと立つ胡楊ことかけやなぎ樹下したである。

 気温は急激に下がり、ラムルは外被マントを首の上でかき抱いた。食事は、干した羊肉に平焼きパンだった。

 焚火を囲んでいるアルキンが、呟いた。

「しかし、ザイロンが〈異腹はらちがい〉たちの集まる場所という話は、どこまでが真実ほんとうなのだろうね」

 革袋の葡萄酒をあおるとアルキンは、ラムルによこす。

「わたしも、噂話でしかないと思っていたのですがーー」

 革袋を受け取りながら、ラムルが答えた。

 〈とりかえばや〉よって生まれた〈異腹はらちがい〉の者は、城市まちの外に棄てられる運命である。そうした者たちは砂漠で生きる術もなく亡くなるのだと思われていた。しかし、そうした〈異腹はらちがい〉たちがより集まって暮らす隠里かくれざとが砂漠のどこかにある、という言い伝えもまた、ナリン砂漠には根強くあるのだった。

 この言い伝えで、もっとも頻回に口のにのぼる場所がザイロンである。正確には、ザイロンの近傍、七盤山脈の山間さんかんに〈黒嶺こくれい〉と称される絶境ぜっきょうがあって、其処そこに、落ち延びた〈異腹はらちがい〉の秘密のむらが営まれているというのだった。

 だがこの噂話の要諦はその部分ではなかった。穀物などの育たないその邨の者たちは、ある特殊な生業なりわい生計たつきを立てているという。すなわち異能力を使った、荒事あらごと行刺あんさつである。

「それがどうやら、真実ほんとうのことらしいのです……」

 金吾衛の捕吏とりかたとして、日々悪党どもと渡り合うガスコンによれば、この話はホーロンの黒道うらしゃかいでも半ば伝説や御伽噺おとぎばなしの類いとして囁かれているらしい。しかしガスコン自身の見解では、そこに一抹の真実が含まれているという。

「というのも、ごく稀にですが、斯様かような特異な能力ちからの結果としか思われぬ事案があるらしいのですーー」

 ガスコンが挙げた一例が、〈黒夜党〉と呼ばれる緑林とうぞくであった。

「聞いたことがあるぞ。ナリン砂漠各所で神出鬼没に盗みをしている奴らだ」

 アルキンの注釈に、ラムルはうなずいた。

「その緑林とうぞくがーー無論、実態は不明なのですがーー寨主おやぶん以下すべて〈異腹はらちがい〉らしいのです」

「ほう」

 詳しくは教えてもらえなかったが、〈黒夜党〉の盗み働きには、尋常でないふしがあるらしい。

 城市まちに住む者からすれば〈黒夜党〉は、街道を荒らしまわる緑林とうぞくにすぎない。だが見方を変えると彼奴きゃつらは、〈異腹はらちがい〉になってしまった者たちを人買いたちから助け出し、生活の場所を与えているとも言えた。むしろ盗賊はその資金稼ぎという面もあるのかもしれない。

「ですが、もしそれが真実ほんとうならば、なおのこと、よそ者に明かさないかもしれません……」

「ま、乾坤一擲、やるだけやってみるさ……」

 そう言ってゴロンと横になるとアルキンは、早くも寝息を立てたのだった。

 飄々としたアルキンの言辞が、むしろ心強く感じる。好事家の依頼で諸国を行脚しているアルキンは、行く先々で顔をつないだ商人や顔役がいるらしい。もちろんザイロンにもそうした知り合いがいて、その脈をたどって〈異腹はらちがい〉の情報を得ようという腹積もりなのだがーー果たして上手くいくだろうか。

 頭をひとつふると、ラムルは自分もゴロン、と寝っ転がった。

 

 路程みちのりは驚くほど順調で、二日と半分ほどで二人は、ザイロンの城門をくぐった。

 ひと息つくまもあらば二人が向かった先は、ザイロンの花街いろまちである。ナリン砂漠で有数の殷賑いんしん地帯であり、城内の北西の一画にあるので俗に北里きたと呼ばれている街衢がいくである。

 南北に細長い北里きたの中では、ザイロンの王宮に近いほど、すなわち南に下るほど、格の高い妓楼となるが、目指す妓楼は街衢まちのちょうど中ほどにあった。

 その妓楼みせの外装は、ごてごてと装飾そうしょく多可たかでしかも極彩色であった。周りは妓女おんなたちの嬌声きょうせいや、かき鳴らされる琵琶の、笛の調べに満ち、初心うぶなラムルはその煌びやかさに圧倒された。まだ宵の口にもとどかないのに、人の出入りはひきもきらなかった。

 アルキンは臆することなく、入口で取次ぎ役の屈強な可兌カタイ人に声をかけた。二人がいざなわれたのは、妓楼みせの一番奥にある房室へやであった。黒檀こくたん卓子テーブルで、忙しげに帳簿と貴石や玻璃ガラス製品を見比べている男が、商人であり妓楼の主でもある、タイバだった。

 タイバも取次ぎの男と同様に、可兌カタイ人である。よく肥えた、深衣きもの姿の男で、細い目と団子鼻の下にナマズのような髭をたくわえている。よく見れば室内は、ながいすといい、ついたてといい、灯りを点す長檠ちょうけいといい、万事、可兌カタイ風である。

「ようこそおいでくださいました、アルキン先生。手が離せなくてご無礼いたします」

 タイバは目線をあげて挨拶したが、手にした貴石を検めるのはやめなかった。器用なものである。

「お時間をいただき感謝します、タイバ大人どの

 そういってアルキンは、手にした布づつみを恭しく差し出した。取次ぎ役はそれを受けとると、奥へと引っ込んでいった。

「本日まかりこしましたのは、折り入ってお伺いしたき儀がございまして」

老朽わたくしごときでお役に立てるのであれば、何なりと」

「では、遠慮なく。〈異腹はらちがい〉について教えてくれる者をご紹介いただきたい」

 あれほど忙しげだったタイバが、手を止めてアルキンをまじまじと眺めやった。ただでさえ細い目がいっそう鋭く見える。習い性とおぼしき笑い顔が変わらないだけに、不気味な迫力がある。

「……なぜ、老朽わたくしにお聞きになるので?」

「いやですなぁ。タイバ大人どのが〈黒嶺〉に食糧や生活物資を送っていることは、城市まちの子どもでも知っていることです。商人が無料ただで物を渡すことはありません。ですから〈黒嶺〉の邨人は、タイバ大人どののために何か仕事をしているはずです」

 アルキンは何でもないことのように言う。

「そうでなくても、ご商売で関わりがあるのだから、お知り合いには違いないでしょう? わたしたちは彼らに聞かなければならないことがあるのです。ご紹介願えませんでしょうか?」

 そのとき、先ほど引っ込んだ取次ぎ役が、銀の盆に酒杯と瓶子へいしを載せて現れた。

 それを見てラムルは、声に出さずに唸った。瓶子に見覚えがあった。見間違いでなければそれは、ホーロンの、アルキンの寄宿する武館どうじょうの離れに転がっていた雑器ざっきである。それがどうしたわけか、仰々しくも立派な絹布けんぷを巻かれているのだった。

 たしかザイロンの風習では、持参してもらった礼物おくりものを、その場で客に出して喜びを分かち合うのだった。すると、あの瓶子は、アルキンが持ってきた礼物おくりものということになるのだろうがーー。

 アルキンは緊張したそぶりもなく瓶子をつかむと、酒杯に注いだ。

「これなるは、南ナリン、ナウジ名産の銘酒にございます。まずはご一献いっこん

 タイバは胡乱な表情かおつきだったが、断るのは礼を失するからか、しぶしぶ酒杯を受け取った。

「ほう、たしかにこれは佳味よきあじですな」

 おそるおそる舐めたタイバは、愁眉を開いて杯を干した。かなり好きな口らしい。アルキンがすかさずお代わりを注ぐ。

 ラムルは内心、ヒヤヒヤしていた。瓶子の中身の味がいいことは知っている。あれは、ジナさんが作ったポルト酒だからだ。それにしても、アルキンはいったい何を考えているのだろう? 見るからに老獪なタイバが、礼物おくりもの程度で懐柔されて口を開くとも思えないのだが……。

 さて、とアルキンが再び話し始める。

「あらためてご返答をいただきたいのですが、どうでしょう? わたしたちを〈黒嶺〉の邨人にご紹介願えませんか?」

 タイバは、余裕綽々に答える。

「どうして老朽わたくしがあの化外けがいの者どもと関わりがあると思い込まれているのか分かりかねますが……もしそうだとして、何をお訊ねになりたいのですかな?」

殺手ころしやについてです」

「何ですって?」

 タイバの口調に、ヒヤリとするような響きが混じった。心なしか、取次ぎ役の男が、身動みじろぎした気配を感じた。

「ここにいるわたしの若き友人が、先日、とある怪異に遭遇しました。いや、ハッキリと人妖ばけものに襲われたのです」

「それが老朽わたしにどんな関係があるというのです?」

「もちろん、タイバ大人どのに直接の関係はありません。ですが、諸々を考え合わせると、その人妖ばけものはおそらく〈異腹はらちがい〉ではないかと思われます」

「……」

大人たいじんがご存知なくても、知っている者につなぎをつけることが出来るのではありませんか? 私たちは知らなくてはならないのです。ーー首だけが動き回る殺手ころしやのことを」

 あっという間であった。取次ぎ役の男は、その巨躯からは想像もつかないほど俊敏に動いた。

 アルキンの頚に太い腕が回され、腰間ようかんに手が伸びたラムルは、目顔で制された。男が力を込めれば、アルキンの頚は瞬く間にへし折られるだろう。ラムルは彫像のように固まってしまった。

「ーー途方もないお話ですな」

 タイバがむしろ、ゆったりとした態度で応じる。

「いや、珍奇な物語を聞かせていただいて面白うございました。本日はたて込んでおりますゆえ、またの機会にごゆっくりと歓談いたしましょう」

 どうやらこの場で殺されることはなさそうだ、とラムルはひとまず胸を撫で下ろした。するとアルキンが口を開いた。

「失礼ですが大人たいじん、お加減はいかがでしょうか?」

「……どういう意味ですかな?」

「いえ、ご体調がすぐれないのではありませんか? 血のめぐりがいつもより速い気はしませんか? 胸の動悸は?」

 タイバが、ぎょっとした表情かおになる。まさか、と問いかけた口調が震えていた。

「何か入っていたのか?」

 取次ぎ役の男が、アルキンから瓶子を取り上げた。みるみるタイバの顔が赤らんでいく。呼吸が速くなった。

「てめえ……」

 男の腕が絞まり、アルキンが苦悶の声をあげた。

「やめろ! 殺すな!」

 タイバが息も絶え絶えに命じた。すっかり蒼白になっている。

 解放されたアルキンは、しばらく顔をしかめて咳き込んでいたが、やがて喉をさすりさすり喋り出した。

「毒消しは、わたししか知りません。おっと、わたしの身体を探しても無駄ですよ。どこにも持ってきてなんていませんから……」

 さて、とアルキンが凄んでみせる。

「交渉してくれなどとは申しません。つなぎをつけるだけで結構です。その毒は半日ほどかけてゆっくりと心の臓を止めるでしょう。いいですね、大人たいじん?」

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