第15話
十七、
ホーロンの北門が〈王の門〉と呼ばれる
ラムルが駱駝にうちまたがって
先を行くアルキンは慣れた様子で駱駝をあやつっているが、ラムルの方は馬とは勝手が違い、手綱さばきが覚束ない。日よけの布を巻いて目だけ出したアルキンは、さすがにいつもの
「本当に、ザイロンへの
礼を失しているのかもしれないがラムルは、不安でつい重ねて訊いてしまうのだった。
「
いささか玉虫色なアルキンの
二人はこれから、ナリン砂漠のただなかに入るのだ。ラムルにしてみれば、広大なレン内海に漕ぎ出す小舟のような心持ちである。
ナリン砂漠の北辺に、馬蹄形の半島のようにせりだした山塊が
通常、ホーロンからザイロンまでクシュ街道を往く道のりは、六日は見ねばならない。東に
しかしこの度は、アルキンが以前に顔見知りの隊商とともにたどった道すじを
砂漠に囲まれた
心配事は道のりだけではなかった。運良くたどり着いたところで、望む話が聞けるとも限らないのだ。
「ザイロンでもアルキン殿に頼ることになり、恐縮にございます」
「まあ、まかせてよ。でも、〈
アルキンが半信半疑なのも無理はない。怪異を実際に目撃したわけではないのだから。
しかしそれでも行かねばなるまい、とラムルは胸の
昨晩、出くわした怪異についてラムルは、一つの仮説を持っていた。アルキンが言及した通り、あの怪異は、〈とりかえばや〉による異能力者ーー〈
根拠は二つある。一つめは、
二つめは、
しばらくして二騎は、クシュ街道を離れた。行く手には荒涼とした
*
かろうじて残っていた水場が、その晩の宿営場所だった。荒野の中にすっくと立つ
気温は急激に下がり、ラムルは
焚火を囲んでいるアルキンが、呟いた。
「しかし、ザイロンが〈
革袋の葡萄酒をあおるとアルキンは、ラムルによこす。
「わたしも、噂話でしかないと思っていたのですがーー」
革袋を受け取りながら、ラムルが答えた。
〈とりかえばや〉よって生まれた〈
この言い伝えで、もっとも頻回に口の
だがこの噂話の要諦はその部分ではなかった。穀物などの育たないその邨の者たちは、ある特殊な
「それがどうやら、
金吾衛の
「というのも、ごく稀にですが、
ガスコンが挙げた一例が、〈黒夜党〉と呼ばれる
「聞いたことがあるぞ。ナリン砂漠各所で神出鬼没に盗みをしている奴らだ」
アルキンの注釈に、ラムルはうなずいた。
「その
「ほう」
詳しくは教えてもらえなかったが、〈黒夜党〉の盗み働きには、尋常でないふしがあるらしい。
「ですが、もしそれが
「ま、乾坤一擲、やるだけやってみるさ……」
そう言ってゴロンと横になるとアルキンは、早くも寝息を立てたのだった。
飄々としたアルキンの言辞が、むしろ心強く感じる。好事家の依頼で諸国を行脚しているアルキンは、行く先々で顔をつないだ商人や顔役がいるらしい。もちろんザイロンにもそうした知り合いがいて、その脈をたどって〈
頭をひとつふると、ラムルは自分もゴロン、と寝っ転がった。
*
ひと息つくまもあらば二人が向かった先は、ザイロンの
南北に細長い
その
アルキンは臆することなく、入口で取次ぎ役の屈強な
タイバも取次ぎの男と同様に、
「ようこそおいでくださいました、アルキン先生。手が離せなくてご無礼いたします」
タイバは目線をあげて挨拶したが、手にした貴石を検めるのはやめなかった。器用なものである。
「お時間をいただき感謝します、タイバ
そういってアルキンは、手にした布づつみを恭しく差し出した。取次ぎ役はそれを受けとると、奥へと引っ込んでいった。
「本日まかりこしましたのは、折り入ってお伺いしたき儀がございまして」
「
「では、遠慮なく。〈
あれほど忙しげだったタイバが、手を止めてアルキンをまじまじと眺めやった。ただでさえ細い目がいっそう鋭く見える。習い性とおぼしき笑い顔が変わらないだけに、不気味な迫力がある。
「……なぜ、
「いやですなぁ。タイバ
アルキンは何でもないことのように言う。
「そうでなくても、ご商売で関わりがあるのだから、お知り合いには違いないでしょう? わたしたちは彼らに聞かなければならないことがあるのです。ご紹介願えませんでしょうか?」
そのとき、先ほど引っ込んだ取次ぎ役が、銀の盆に酒杯と
それを見てラムルは、声に出さずに唸った。瓶子に見覚えがあった。見間違いでなければそれは、ホーロンの、アルキンの寄宿する
たしかザイロンの風習では、持参してもらった
アルキンは緊張したそぶりもなく瓶子をつかむと、酒杯に注いだ。
「これなるは、南ナリン、ナウジ名産の銘酒にございます。まずはご
タイバは胡乱な
「ほう、たしかにこれは
おそるおそる舐めたタイバは、愁眉を開いて杯を干した。かなり好きな口らしい。アルキンがすかさずお代わりを注ぐ。
ラムルは内心、ヒヤヒヤしていた。瓶子の中身の味がいいことは知っている。あれは、ジナさんが作ったポルト酒だからだ。それにしても、アルキンはいったい何を考えているのだろう? 見るからに老獪なタイバが、
さて、とアルキンが再び話し始める。
「あらためてご返答をいただきたいのですが、どうでしょう? わたしたちを〈黒嶺〉の邨人にご紹介願えませんか?」
タイバは、余裕綽々に答える。
「どうして
「
「何ですって?」
タイバの口調に、ヒヤリとするような響きが混じった。心なしか、取次ぎ役の男が、
「ここにいるわたしの若き友人が、先日、とある怪異に遭遇しました。いや、ハッキリと
「それが
「もちろん、タイバ
「……」
「
あっという間であった。取次ぎ役の男は、その巨躯からは想像もつかないほど俊敏に動いた。
アルキンの頚に太い腕が回され、
「ーー途方もないお話ですな」
タイバがむしろ、ゆったりとした態度で応じる。
「いや、珍奇な物語を聞かせていただいて面白うございました。本日はたて込んでおりますゆえ、またの機会にごゆっくりと歓談いたしましょう」
どうやらこの場で殺されることはなさそうだ、とラムルはひとまず胸を撫で下ろした。するとアルキンが口を開いた。
「失礼ですが
「……どういう意味ですかな?」
「いえ、ご体調がすぐれないのではありませんか? 血のめぐりがいつもより速い気はしませんか? 胸の動悸は?」
タイバが、ぎょっとした
「何か入っていたのか?」
取次ぎ役の男が、アルキンから瓶子を取り上げた。みるみるタイバの顔が赤らんでいく。呼吸が速くなった。
「てめえ……」
男の腕が絞まり、アルキンが苦悶の声をあげた。
「やめろ! 殺すな!」
タイバが息も絶え絶えに命じた。すっかり蒼白になっている。
解放されたアルキンは、しばらく顔をしかめて咳き込んでいたが、やがて喉をさすりさすり喋り出した。
「毒消しは、わたししか知りません。おっと、わたしの身体を探しても無駄ですよ。どこにも持ってきてなんていませんから……」
さて、とアルキンが凄んでみせる。
「交渉してくれなどとは申しません。つなぎをつけるだけで結構です。その毒は半日ほどかけてゆっくりと心の臓を止めるでしょう。いいですね、
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