第16話

十八、

「あのタイバ相手に故弄玄虚はったりとは……まこと豪胆無比ですな!」

 見るからに屈強なその漢子おとこは、称賛とも呆れ返ったとも取れる台詞をアルキンに浴びせたのだった。アルキンは事もなげに肩をすくめた。

大人たいじんが、普段から強精剤を使っていなくてよかったよ」

 実際のところアルキンがポルト酒に混入させたのは薬用の人参であり、腎虚じんきょを改善し血流を促進させる興奮剤の一種にすぎなかった。なので一刻もすれば心臓は落ち着くのだという。

(ーーまったくこっちの心臓がもたんよ!)

 ラムルはのほほんとした表情かおのアルキンを、こっそり恨めしげに見やった。

 アルキンとラムルが身を寄せたのは、ザイロンに拠点を置く鏢局ひょうきょく(隊商などに随伴する運送警備業者)の、鏢頭ひょうとう(用心棒頭)のもとであった。タイバが〈黒嶺〉の邨人と連絡をとって返事を伝えにくるまで、過ごそうというのである。

 いびつな円をなすザイロン城市のほぼ中央部にほりに囲まれた王宮があって、その前は常設の市のある広大な広場になっていた。

 広場に程近い裏道に面したその邸第は、格別大きいではないが独立した一軒家であった。三十半ばの剽悍な面構えの鏢頭は、アルキンの昔馴染みである。

 独り身にもかかわらず、邸内や小さな庭はこざっぱりと整えられていた。職業柄、邸第やしきの防備に気を配っているとのことだった。庭木はあっても木下闇このしたやみなどの物陰は極力排され、建屋の周りには死角がなるたけ出来ないように配慮されているのだった。

 月のある晩だった。山からの夜風が白天ひるま暑熱しょねつを拭い去ってくれていた。鏢頭が、近所の旗亭りょうりやから運ばせた皿を露台に並べ、歓待してくれた。黄人参の冷たい和え物は酸っぱくて辛いタレでさっぱりとしており、食欲をそそった。肉や玉葱を炊き込んだ米には堅果ナッツや干し葡萄が混ぜ込んであって香ばしく、いくらでも入りそうである。

 串焼き肉を薄切りの玉葱と一緒にほおばっていたラムルは、ふとそれに気づいて、危うく肉を喉につまらせかけた。いや露台の三人ともが、まるで砂漠で蜃気楼の雪山に出会ったようにポカンとなったのだった。

 いつの間にか庭先に人影が出現していた。ほんの一瞬前まで、確実にそこに居なかった小さな人間が、次の瞬間に忽然と存在していたのだった。

 童女おんなのこーーに見えた。

 いとけないおもては、まさしく人形のように整って愛らしい。が同時に、巴旦杏アーモンドめいた黒目がちな瞳は、かぎりなく年ふりたように深い色みをたたえていた。黒髪は飾りひとつなく無造作に振り分けて垂らされているが、大ぶりな金の耳環が奇妙に目立つのだった。珊瑚色の襦裙きものの上に、うすもので仕立てた白緑びゃくろ背心はいしん(袖なしの上衣)を羽織っている様は、可兌カタイ令嫒ごれいじょうもかくや、と思われた。

 彼女が、耀かがやく宝玉のような瞳を向けて、口を開いた。銀鈴ぎんれいを振ったような声音こわねである。

われに目通りを願いしはそなたらか?」

 いち早く反応したのは、鏢頭ひょうとうである。肌身はなさず身につけている柳葉りゅうよう飛刀ひとうを瞬時に放った。が、閃光のように少女に迫った暗器あんきは、的をとらえる寸前で宙に溶けるようにフッとかき消えた。

 茫然となった鏢頭が二投め、三投めと続けるが、白刃は少女を傷つけることなく、ことごとく消え失せるのだった。

誰何すいかもせず、いきなり女性にょしょうに刃を向けるとは、無礼きわまる」

 声音が硬質な響きを含んだ。白い繊手せんしゅが、まいのように差し出される。

泉下あのよで、浅慮を悔いよーー」

「お待ちを!」

 大音声だいおんじょうで呼ばわったのは、アルキンである。鏢頭の前に進むとアルキンは、叩頭こうとうしてその場にぬかづいた。

「ご無礼の段、お怒りはごもっともなれど、平に平に、ご容赦願いまする!」

 急いでラムルも、それにならった。

「〈黒嶺〉の方とお見受けいたします。我等は、あなたさまにご助力いただきたき儀があり、参上つかまつりました。何卒、ご諒恕りょうじょを賜りたく存じます」

そなたらの願いとやらが、われに何のかかわりがある?」

 頭を垂れたままのラムルに、冷厳な言辞がふりそそぐ。

「それは……」

 一瞬、言葉につまったがラムルは、すぐさま思いの丈を吐き出した。

「何のかかわりもございませぬ。しかし!」

 顔を上げたラムルは、少女の瞳をまともに見据えた。

在下わたしめには護らねばならぬ女性にょしょうがおるのです。そのためにはあなたさまのお力を借りるより方途みちはございませぬ。何卒、何卒!」

 ラムルは頭を下げたままにじり寄る。

「何卒、お願い申し上げ奉ります!」

 ゴツッと音がするほど、ラムルが叩頭こうとうした。

 しばらく間を開けたのち、少女が口を開く。

斯程かほど、直截な哭訴なきおとしも珍しい。そなた愚人うつけか?」

 少女の呆れたような口調からは、害意が薄まって感じられた。

 ラムルは再び顔を上げ、莞爾にっこりと微笑んだ。

「はい。不佞おおばかものにございます!」

 

 どうやら矛を治めてくれたようなので、気味悪がる鏢頭をなだめすかして、少女を邸第やしきに通した。

 遠慮会釈なく、というより、ごく自然に身についた所作で少女は、上座におさまった。ひょっとすると、見た目どおりの上つ方の出身なのかもしれぬ、とラムルは心ひそかに思った。しかし少女は、ごく素っ気なく、ファラン、と名乗っただけだった。「ファラン」はナリン古語で〈墨玉ぼくぎょく〉(濃い暗緑色の軟玉なんぎょく)という意味で、明らかに偽名である。さらに驚くべきことは、この少女こそが〈黒嶺〉のぬしにして〈黒夜党〉の寨主かしらであるというのだった。

「それはーーワルラチの仕業であろう」

 ラムルが出くわした怪異の説明を聞いて、ファランがそう洩らした。

 怪異の原因たるその男が〈黒嶺〉に居たことを、ファランは認めた。だが今はもういないのだと言う。ワルラチ、というナリン風の名は、〈黒嶺〉でそう呼ばれていただけで本当の名前かどうかも疑わしい。南方系の浅黒い肌と可兌カタイ風の顔立ちを持つその男は、流民ながれものであった。〈黒嶺〉にたどり着いたワルラチを、邨人は温かく迎え入れた。初めのうちは大人しくしていたワルラチだったが、次第に本性を現し、嗜虐的で、凶暴な面を見せるようになった。そして一年前、素行の悪さをとがめられると、相手を殺して出奔したのだった。

「成る程……ホーロンにおったかーー。〈己のまつげはよく見えぬ〉ということだな」

 ファランの笑みには、自嘲の色が含まれていた。

 〈黒嶺〉の邨人は、仲間殺しの落とし前をつけんがためワルラチを捜していたが、これまで手がかりは掴めていなかった。ワルラチのしのぎは、己の〈異腹はらちがい〉を利用した荒事であり、それを使用した痕跡がナリン砂漠一帯に張り巡らされた〈黒嶺〉の情報網にかからなかったのだ。それで〈黒嶺〉では、彼奴きゃつがすでに遠方へーー例えば西方のサクラムまでーー逃げきったのだと切歯扼腕していたのだった。

「そのワルラチの〈力〉とは、いかなるものでしょう」

 ラムルの問いに、ファランは逡巡してみせた。いくら忘恩の徒とは言え、同じ〈異腹はらちがい〉のことを教えるのには抵抗があるようであった。しかし、結局は口を開いた。

彼奴きゃつの〈とりかえばや〉は、〈飛頭蛮ぬけくび〉と呼ばれておった。首が胴体から離れて飛び回ることができるのだ」

 ラムルは、アルキンと顔を合わせて頷きあった。それは正に、ラムルとサラが目撃した怪異と瓜二つである。

「ワルラチはその力を、行凶ひとごろしに使っていた。我らが彼奴の行方を掴みかねていたのは、ナリン砂漠一帯で、〈飛頭蛮ぬけくび〉が現れた形跡あとが見つからなかったからだ」

「ということは、もしやーー?」

 アルキンが、問うた。ファランが頷く。

「ワルラチは、一年もの間、己の〈力〉を使わずに済んだ。それは明らかに彼奴をかくまう者がいるということだ。言い換えれば……」

「ワルラチは単独犯ではないーー」

 ラムルが引き取った。ワルラチが、己の邪な嗜虐性を満たすためにサラとラムルを襲ったのであれば、危険の度合いは兎も角、構図は単純である。しかし、何者かが二人を狙い済まして行刺あんさつしようとしたならば厄介であった。使嗾しそう者を突き止めぬ限り、身の安全は保障されないのだ。

 ラムルは、胸騒ぎをおぼえた。ホーロンにサラを残してきたことが正解だったのか、判然としなくなった。一刻も早く帰って彼女のもとにいるべきではないか。

 卒然とラムルは立ち上がった。

「待つんだ」

 アルキンがそれを座らせた。

「気持ちは分かるが、もう少し話を聞こう。ファラン様、ワルラチが隠れていそうな場所に心当たりはございますか」

 ファランが思案顔になる。

 だがラムルは居ても立ってもいられなくなって、再び立ち上がった。

「すぐに帰りましょう、アルキン殿。あとは我らの手でどうにかするしかーー」

「まあ、待ちやれ」

 ファランの澄んだ声が割って入った。

「ワルラチは、我らの獲物でもある。それに、ホーロンという城市まちに範囲を狭められるならば、打てる手段もあろうというもの」

 そういうとファランは、ほっそりとした指を不思議な形に閃かせた。

 異変は瞬く間に察せられた。屋内だというのに、先般と同様に忽然と人間が出現したのだった。

 それは、女人にょにんであった。ファランとは違って成人した女性にょしょうである。背はスラリと高く、裾の長い外被マントにすっぽりと身を包んでいる。頭部も圍巾えりまきで覆われていて相貌かおは見えないが、布のすき間まから涼しげな目元と褐色のはだがわずかにのぞいていた。女はひざまずいてこうべを垂れた。

「お召しによりまかりりこしました、寨主おかしら

「マルガ。ワルラチが見つかったぞ」

 頭を上げた女の声は鋭く尖り、双眸は爛々と耀かがやいていた。

正真まことにございますか? ならばわたくしめに何卒、ご下命を!」

「無論だ、マルガよ。だがさしあたって其の者らに助力してワルラチの居所を突き止めよ」

 マルガは二人をちらり、と一瞥いちべつしただけで、すぐにファランへ向き直った。

「一人で充分ーーいえ、足手まといにございます」

 これには、さすがのラムルも勃然むっとなったが、たしなめたのはファランであった。

「ボルとつなぎを取るのだ、マルガ。彼奴きゃつならば探索に役立とう」

「ボルですと! お言葉ですがあやつは……」

「言うな」

 ハハッと女は再び頭を下げた。

「仰せのままに。ーーということは、ワルラチはホーロンに居るのですね?」

「うむ。この者らはホーロンの者だ。城内に明るい。忘れるな。目的はワルラチを確実に仕止めることだ」

「ーーはい」

 再びマルガが頭を垂れると、今度はファランの姿が蜃気楼のようにかき消えた。

 後には三人だけが残された。

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