第14話

十六、

 いかなジナといえど、サラに、ラムルと二人で出かけたいと言われると、付き添うとは強く言い出しづらいようだった。

 もっともホーロンでは、士族の若い男女が二人連れで歩くことはあまり好ましくないと考えられている。そういう意味では、どのみちジナがついていくことに変わりはないはずなのだが、ここのところふさぎがちなサラが羽を伸ばしたいとこぼすと、弱いのだった。

 

 これが同じ杏林いしゃの家なのだろうか、と目をこすりたくなるほど、その邸第やしきの門構えは立派なものだった。そこは宮城の北東の里坊で、周囲はすべて上級士族の邸第である。白壁に囲まれた敷地のなかには、庭木が繁り、平屋の孤房はなれ一棟と、二層の楼からなる大きな主房おもや一棟がある。

 サラとラムルが連れだってやってきたのは、宮城の侍医団の中心で、代々の太守一族の御典医ごてんいである名門アシド家である。当代の当主はカリム・グ・アシド。いまの侍医団長であり、ハーリム以外の侍医団の顔ぶれはすべてこの名家の人間か、その弟子筋の者で構成されている。

 やや気後れを感じながら、サラは楼門もんをくぐった。手前の孤房はなれが、診療に使われる建物のようであった。

「ご紹介状はお持ちでしょうか」

 取次ぎの女にまず訊ねられたのが、それであった。

「当院では、ご紹介状のない方の受付はお断りしております」

 いずれおとらぬ、権門けんもん豪家ごうかばかり相手にしていると、このような態度になるのか、目の前に倒れ伏している人間がいても、同じ声音でいいかねない口ぶりである。

「は、はい。よく存じております」

 精一杯、憐れをもよおす表情を作って、話しだした。このために知恵をしぼって、普段は着ない女性らしい襦裙きもの姿でやってきたのである。

「お伺いいたしましたのは、治療を受けさせていただくためでは御座いません。申し遅れましたが、わたくしは、平民衢したまち近くの里坊に住まいます、レイナと申す者でございます。こちらは兄のラムルです」

 女が眉を上げて先をうながした。

「実は、わたくしたちの父が長患いをしておりまして、いまは〈乳鉢小路〉のハーリム様に診ていただいているのです。それが先日、頂いたお薬がなくなる前にとハーリム様をおたずねしたところ、医院の扉がぴたりと閉まっております。聞けばハーリム様は数日前から行き方知れずになっているとのこと……」

 長広舌の合間に女の様子を窺った。女はわずかに興味をそそられたようだった。

「薬は発作のときに飲めばよいものですし、今はまだ手元にも少し残ってはおりますが、父の容体も安定してはおりませんで、いずれ大事のときに、万が一なくなってしまうのではないかと思うと気が気では御座いません。こちらには、ハーリム様のご同事どうりょうのお杏林いしゃ様がいらっしゃるとお聞きしておりますれば、何卒その方々にハーリム様の行方をお訊ねするわけには参りませんでしょうか」

 そういってサラはこうべを垂れ、袖で目元をぬぐった。昨夜、必死でひねりだした口実だったが、これで上手くいかなければ諦めねばならないだろう。

 すると、女の手がサラの手をひしとつかんだ。顔を上げると、つりあがっていた女の眉尻が下がっている。

「ーーなんておかわいそうに。そういったことでしたら、些少なりともお力になれるかもしれまぬ」

 予想以上の反応に、内心サラは小躍りした。女は声まで潤ませている。

「そうだわ。ハーリム先生の行き先よりも、当院の先生にお父様をお診立みたてしてもらいましょう。その方がいいわ」

 サラは慌てて首をふった。

「いえ、いえ、そこまでしていただいては申しわけ御座いません。お話を聞かせていただくだけで充分で御座います。ただ……」

 サラは女を、必死のまなざしで見つめた。

「もし、もし万が一、父に急変がありましたら、お情けにおすがりさせていただくやもしれません」

 うんうんと頷くと、女はサラを中に通した。そこは診療を受けにきた者をとおす待合室のような房室へやで、いくつかのついたてで仕切られていた。女はそこのながいすにサラを座らせると、奥に引っ込んだ。あまりに真にうけられると、少し胸が痛む。

 横では嘘をつけないラムルが、魂が抜けそうな顔をしている。

 しばらくして女は、三十がらみの、道服どうふくを着こんだ、白皙はくせき無髯むぜんの男をつれてきた。いまここにいらっしゃるのは、この先生だけです、そう耳打ちすると女は席をはずした。

「リユンといいます」

 リユン医師は、てきぱきとした口調で話しだした。

「ハーリム先生のことをお訊ねだとか」

 サラは女にしたのと同じ話をくり返した。

「弱ったな」リユン医師は、すまなそうに頭をかいた。「身共みどもも、先生が急におられなくなって難儀なんぎしておる。侍医たちは、持ちまわりで陛下やご家族のご体調をはかっているのでね、ひとり抜けるだけでもせわしなくなる。おまけに妙なことまで疑われて……」

 生真面目なのだろう、リユン医師は若いのにやけに堅苦しい、あらたまった言葉をつかう。しかも聞き捨てならないことをいった。

「妙な……疑い?」

 しまったという顔になった。余計なことまで口を滑らせてしまったらしい。「いやまあ、それはよいのだが」と語尾をにごらせた。

「リユン先生は、ハーリム先生とは親しくされていたのですしょうか」

 気になる発言だが、とりあえずサラは矛先を変えた。

世間話せけんばなしくらいは、し申したが、それくらいであろうか。ハーリム先生は愛想のいいお方ではあり申したが、あまり同事どうりょうと親密になろうとするお方ではなかったから。ご自分のことも、お話にはならなかったし」

「先生のほかに、行く先に見当があるような、親しい方はおられるのでしょうか」

「どうであろう。みな似たりよったりではないか」

 リユンはそういって、肩をすくめた。

(どうやらーー)

 この線も望み薄かな、という思いがサラの頭をかすめた。

「では、ご同事どうりょうの方以外で、ハーリム先生のお知り合いをご存じでは」

 ラムルが口を挟む。

「そのような私事わたくしごとまで、調べておるのか」

 リユン医師の声が、不審な響きをおびた。

「い、いえ。そのような方のところにいらっしゃることもあるかと……」

 反対に、ラムルが言葉につまる。サラは視線を足元に落とした。あまり深入りしるぎると怪しまれてしまう。

 身共みどもには心あたりはないな、というのが答えだった。リユンは立ち上がった。サラは礼をのべたが、われしらず、手がかりのなさに悄然しょんぼりとしてうなだれた。

 その姿に気の毒をもよおしたのか、退出しかけて、そういえば、とリユン医師は立ち止まった。

「いちどハーリム先生と酒席で一緒になったとき、めずらしく口が軽くなったことがあり申した。どうやら先生には、その……情侶いいひとがいたみたいであった」

情侶いいひと……でございますか」

 医師は、恋人の言い回しすら堅苦しい。

「あれはーーそうそう、バシス先生と三人でいたときだから、三月ほど前だ」

「それはどちらの……?」

 すまぬが分からん、とリユンは首をふった。今度こそリユンは、退出していった。帰り際、くり返し礼を述べるサラに、受付の女は、困ったら必ずいらすのですよ、と念を押した。

 女に見送られて門にむかうと、反対に、外から入ってくる一行に出くわした。女が一行に、丁寧に頭を下げる。サラとラムルも、それに倣った。

「カリム先生でございます」

 低声こごえで女が教えてくれた。こっそりと視線を上げると、でっぷりと肥えた体を上等な道服どうふくに包んで短いまげった、赭顔しゃがん白髯はくぜんの老人が、小者を連れて歩いてきた。

 老医師の目が、サラの顔に止まったように見えた。そう感じたのも束の間、すぐに顔を背けるとホーロンの医の頂点に立つ老人は、せかせかと気ぜわしげに目の前を通り過ぎていった。


 その日の暮れ方のことである。すっかり陽の落ちた城内を、サラとラムルは足早に歩いていた。

 遅くなってしまった、とサラは後悔していた。さぞやジーナが気をもんでいるだろう。茶肆ちゃみせで、これまでの経緯いきさつを、ああでもないこうでもないと話しているうち、うっかり時間が過ぎてしまったのだ。

 気が急いていた二人は、いつもは通らない抄道ぬけみちを選んだ。裏通りを抜ける近道である。

 小橋をわたり、士族の里坊に入る。往来に人はいなかった。二人は、鬼屋ゆうれいやしきのある小道を抜けるつもりだった。

 鬼屋ゆうれいやしき、とはもちろん通称である。元はさる士族の邸第やしきだったが、十年以上前に一家が次々に亡くなったとかで、それ以来、なぜか空き家のままになっている。荒れ果てて草がのび放題の内院なかにわや、いまにも崩れそうな壁の建屋は、子どもたちにとっては恐怖の対象であると同時に、格好の遊び場だった。サラも小さい頃、兄とラムルの後にくっついていってよく忍びこんだものだ。

 月に、ぼんやりとしたかさのかかった夜だった。夜目にもわかる、縦横にひびの走る壁沿いを歩いた。壁は長く、往時の規模をしのばせるだけにいっそう荒涼とした雰囲気が際立っている。子どもの時分にワクワクした廃墟も、今はただ無気味なだけだった。

 ようやく壁が途切れ、広い路に出たところだった。

 辻の真ん中に奇妙なモノがあった。大きさは、小ぶりな壺といったくらいで、曖昧な物陰の中それは、石ころのようにも、人の頭のように見えた。

「どうした?」

 思わず立ち止まったサラに、ラムルが声をかけてきた。ラムルはサラの視線をたどって、「何だ、あれは?」と呟いた。

 〈それ〉がにわかに燐光を発したのは、ラムルが退かそうと近寄ったときだった。炎でも、むろん陽光でもない、不可解な蒼白い光が〈それ〉を包むと、そのかたちが二人にも解せられた。

(ーー獣の……首?)

 サラがそう認識したとき、〈それ〉は何もない宙に、フワリと浮き上がったのだった。鼻面の長い、それでいてどこか人間的でもある〈それ〉はかえるのごとき緑がかった皮膚をしていて、鴉の濡れ羽めいた黒い頭髪が逆立っているのだった。ふわふわと漂っていたそいつが大口を開けると、ぞろりとした太い牙がのぞいた。そして〈それ〉は突然、二人めがけて一直線に飛んできたのだった。

 ワッと、二人が同時に驚愕の声を洩らした。

 突撃をかわすことができたのは、意識のどこかで警戒をしていたからだろう。ガチガチと顎を噛み合わせながらそいつは、二人のくびの高さをすり抜けていった。

 けられたとみるや、〈それ〉は宙で機敏に方向転換をして、すかさず第二波となった。飛礫つぶてのような、油断のならない迅速はやさだった。

 体を開いてかわしざまサラが、抜き打ちに剣を振るう。しかし〈それ〉は、斬撃を難なく避けた。

 横ではラムルも、腰間ようかんの剣に手をかけているが、敵がサラと近すぎて抜くのを躊躇ためらっている。その間に再び〈それ〉がサラを襲った。

 ラムルの一手は、思いがけない攻撃であった。なんと白手すででそいつに殴りかかったのだ。意表を突く動きが功を奏したようだった。鉄拳に弾き飛ばされたそいつは、今度はすぐには襲撃せず、宙で間合いをとった。

人妖ばけものめ!」

 ラムルが叫ぶ。

 抜剣したラムルとともにサラは、壁を背にして〈それ〉と対峙した。

 〈それ〉は、ゆらゆらと眩惑するかのように宙を滑りながら、次第に間合いをつめる。サラとラムルを囲む半円が狭まっていった。そして一旦、すうっと退くかに見せて二人の気勢を外すなり、一転唸りを上げて殺到してきたのだった。

 サラは浅く踏みこんで斬りつけた。近接した敵を狙う、小さく畳んだ振りである。〈それ〉がギリギリでかわす。サラが下がるとすかさず、ラムルが突っかけてくる。初めてにしては息が合っていたが、斬撃自体にサラのような鋭さがなかった。なんと〈それ〉は、ガチッと歯を噛み合わせて刃を受け止め、引っ張った。ざんばらに乱れた髪が蛇体のようにうねる。ラムルの体が持っていかれそうになった。サラがまたも斬りつけると、刃を離して飛び退いた。

 しばらく無言の攻防が続いた。敵は訓練されたいぬさながら、粘り強く、疲れをしらなかった。二人を相手にしているのに、防戦どころかこちらが危ない場面が出てくる。

 とーー。

 そのとき、近づきつつある人声が聞こえてきた。敵ではない。二人と同じように、抄道ぬけみちとして利用する者がいるらしい。すると〈それ〉は、不意に燐光を弱め出した。

「待て!」

 サラが斬りかかったが、攻撃をかわした〈それ〉は、遠ざかりながら夜闇に溶暗していった。そしてついには完全に消えてしまった。

 どっと疲れが襲ってきた。二人は、崩れるように壁に背をあずけた。そのまま、ずるずると座り込む。

 茫然と、〈それ〉の消えた闇空やみぞらを見つめるしか出来なかった。

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