第11話

十二、

 小さな邨を通り抜け、道は〈羊頭山〉へ向かってゆるやかに登っていく。歩くにつれ、ぽつぽつと左右に木立ちが数を増してくる。

 空はかわらず高く、陽が燃えさかっていた。熱になぶられた草いきれが、鼻につく。

 ラウドの草堂いおりは、雑木林の中にふいにあらわれた。木と石でできた灰色の小屋で、粗末な造りだが、ひとり住まいには充分な広さだ。

 ぽっかりと開いた扉から覗き込むとすぐに土間で、丁寧に掃われているらしく埃っぽくはなかった。ガイウスが掃除をしたのかもしれない。

 煮炊きをするかまどと、その隣に薪置き場。農機具がある。ラウドは畑を耕していたのだろう。奥には卓子テーブルと椅子、しんだいがまだ往時のまま残っている。祖父が亡くなったのがいつか思い出せなかったが、様子からしてやはり、ガイウスがある程度手入れをしていたとしか思えない。ざっと手をつけてみたが、質素な暮らしぶりがうかがえる以外に目に止まったものはなかった。草堂いおりの裏手に回った。

 そこは灌木が払われ薪割りなどの作業ができるようにした、ささやかな裏庭だった。

 三人は、無言でその場に立ち尽くした。

「ガイウス様は」シナハは、地面の一ヵ所を指さした。「こちらに倒れておいででした」

 二人とも同じ想いだったろう。できれば見たくない、目をそらしていたい、という衝動とたたかいながら、そこに目をやった。

 だがそこは、禍々しい凶刃も凄惨な血溜りもなく、乾いた茶色の土があるだけの、ただの地面であった。

 ラムルは想像する。黄昏時の森に対峙するガイウスともうひとつの影を。

「ガイウス様は仰向あおむけで……一面に……血……横に剣が……」

 シナハが訥々と話を続けている。サラ自身が求めた説明とはいえ心配になって見やると、彼女の顔が真っ青になっていた。ふっと力が抜けたように膝が崩れる。慌てて抱き留めた。

「ーーサラ。サラ!」

 サラはラムルに肩を抱かれていることにも気づかない様子だった。目の焦点が合っていない。意識が遠のいているのだ。

 ラムルは、かたわらの石にサラを座らせ、シナハに水を持ってきて欲しいと頼んだ。

 気づかわしげなシナハに差し出された木椀の水を、サラはかろうじて飲んだ。なんだか急に、身体が重くなったような動作だった。

「行こう、サラ。もう充分だろう」

 ラムルがうながすと、サラは素直に従った。


 リオ老とシナハに礼をのべて、サラとラムルは帰途についた。

 行く手の砂漠には西日がさし、大地が茶色から茜色に移ろう時分だった。

 前を行くサラは、意気沮喪してどうにかこうにか手綱を握っている様子だった。きっと自分を不甲斐ないとさいなんでいるのだろう。しかし、己れの父の死にざまを、直視するのは並大抵のことではない。

 うつむきながら進むサラに、後ろにいたラムルは馬を寄せていった。

「これ、食べな」

 ラムルが袋からとり出したのは、干した果実を伸ばしたような塊で、濃い飴色をしている食べ物である。

「今はいい……」

「そういうなって」

「ありがとう、でも、本当に……」

「まあ、まあ、ひと口だけでも」

 ラムルは、食い下がった。それ以上、すげなく断るのも気が引けたらしく、受けとったサラは形ばかりかじった。たちまち、うええっ、と仰天して、かじったものを吐き出した。

「ぺっ、ぺっ! なにこれ!」

 ラムルも笑いながらかじる。痺れるような強烈な苦みと、ツンとくる刺激臭が鼻を突いた。たまらず吐き出した。

「ドッピの葉だ。目が覚めたろ?」

 ドッピは薬草の一種で、乾燥させて気付けや疲労回復の薬として使う。長旅の際に、隊商たちが持ち歩く必需品だ。

 サラは水筒の水を流しこんで、口をゆすいだ。

「ひどい味!」

 サラの抗議をとりあわず、ラムルは馬を速歩はやあしにして、前に出た。

「さて、元気がでたところで、日没までに帰ろう! ジナさんに怒られる」

「ちょっと、待ってよ!」

 サラもそれに続いた。

 砂丘が、うねる波のようにうしろに飛んでいく。

 少しだけゆるんだ暑気が、体中をなぶる。

 顔をおおった布が、はだけた。

 ほほが、風にくすぐられる。

 二頭は、戯れるように先を急ぐ。

 サラの顔にちらりと笑みが浮かび、ラムルはそれだけで有頂天になった。

 と、ふいに、先を行くサラの馬の速度が落ちた。追いついた。

「どうした、サラ?」

 答えをきく間もなく、ひゅん、ひゅん、という無数の音が襲ってきた。その正体を、ラムルはすぐに聞きわけていた。

(矢音!)

 くうを切り裂いて襲来したそれを、抜刀したサラが、危ういところで薙ぎ払った。きっ、と西のかたを睨みつける。

 そこは、ちょうど砂丘と砂丘の谷間にあたる場所で、周囲より一段、低くなっている箇所であった。

 丘の上、沈む陽を背にして、城市まちの方角から、颶風のような騎影が三つ、殺到しつつあった。馬蹄ばていがけちらした砂が、煙のように巻きあがっている。

 再び、矢が放たれた。

 黒い征矢そやが、流星のように迫ってくる。

「散! 散!」

 弾かれたように、ラムルとサラは、右と左に散り散りに駆け出した。

 二人を追って、騎馬も二手にわかれる。サラに二騎、ラムルに一騎。

「うわっ!」

 北側の斜面を駆け上がっていたラムルの馬が、ふいにつんのめった。ラムルは宙に投げ出された。あっという間に砂地が迫り、衝撃とともに砂塵が舞い上がる。

 砂まみれで谷間の底に転がり落ちながら、途中でどうにか起き上がる。手早く身体を検める。幸い、骨などに異常はなさそうだった。

 上方を見れば、ラムルの騎馬の尻には矢が生えていて、苦し気にもがいていた。カッと頭に血が上った。ひどいことしやがる!

 そのラムルヘ向かって、一騎が肉薄してきた。身を隠す場所はない。ラムルは足をとられながらも駆け出した。精一杯、進路をジグザグにして進み、走りながら腰刀を抜き放つ。

 ひゅん、ひゅん、とさらに連射が襲う。ラムルは方向転換したり、剣を振るったりして対応した。矢はあまり近づいてはこない。どうやら騎射はそこまで得手ではなさそうだ。馬のごとき大きい的ならいざ知らず、人には上手くいかないのだろう。

 業を煮やしたか刺客は、えものを弓から彎刀わんとうに持ち変えた。騎馬のまま押し寄せると、鞍上あんじょうから彎刀を斬り下ろしてきた。

 ラムルは、受けるだけで精いっぱいだった。ぎいんん、という檄音げきおんとともに、弾かれた。背中から倒れこむ。

 再び刺客が迫り来る。今度もなんとか直撃はしのいだが、刃の一部が肩を切り裂いた。そこが、焼け串をあてられたかのように熱くなった。さらなる斬擊が来て、腕をかすめた。

 今ほどラムルは、剣術遣いではないのを後悔したことはなかった。四合、五合、とつづくにつれ、彎刀を防ぎきれなくなってくるのは明らかだった。さらにギョっとなった。

(ーーまずいぞ)

 刺客が馬から降り立ったのだ。確実にしとめるつもりだろう。刺客は一直線にラムルを目指してきた。

 横薙ぎの一閃をなんとかかわしたが、足がもつれよろけた。次の攻撃は刃で受けたが、倒れてしまった。砂まみれのまま必死に転がる。しかし相手は容赦なく詰め寄ってきた。

 頭上から振りおろされた一撃を、今度は受けなかった。片無我夢中で膝をついた体勢のまま、渾身の諸手もろて突きを繰りだした。

 ずくっ、という重い、不気味な感触がして、相手の体がのしかかった。生温かい液体が降りかかり、右のこめかみを伝っていった。ラムルは、自分が敵を串刺しにしてのけたのをしった。

 上の男から、しだいに力が抜けていくのが、まざまざと感じられた。人体というのは、こんなにも重たいものなのか。倒れかかってきた相手の身体を、何とか横に転がして避けた。

 もはや刺客は、微動だにしなかった。

 初めて人間を殺した手ごたえは、吐き気をもよおす感覚だった。命のを消したこの感触を、自分は死ぬまで忘れないだろう。

 ハッと我に帰る。サラは? サラは無事なのか?

 奮起して立ち上がり、見回した。

 南の斜面に一頭、乗り手のいない黒馬くろうまがいた。手前に、うつ伏せに倒れた刺客の姿が見える。サラが倒したのだ。

 斜面の上の方では、今しも斬り結んだ二騎の騎影が、離れていったところだった。刺客の矢が尽きているようなのはよいが、代わりに大だんびらを軽々と振り回している。

「サラ!」

 呼びかけは、なかば悲鳴になった。無我夢中で走り出す。

 駆けよっているつもりなのだが、何者かに四肢をつかまれているように、もどかしいほど進まない。初めての実戦による消耗は、想像のはるか上をいく。

「ああっ!」

 二騎は馬首ばしゅめぐらすと、相対した。サラが馬上で、常よりもわずかに腰を浮かしたようだった。二騎は、まるで呼吸を合わせたように、互いにハッ、というかけ声で、馬腹ばふくを蹴った。

 サラと刺客とが、みるみる急接近する。

 大きく振りかぶった刺客の彎刀が、馬ごと烈風のように迫りくる。二騎が正面衝突したーーように見えた。

 実際は、ほとんど人馬一体の状態で馬にしがみついたサラが、刺客の一撃をかいくぐったのだった。そしてすれちがいざま、横一文字に敵の左のわき腹を、切り払っていた。

 はじめに上体を浮かせていたのは、相手の目に身体の位置を錯覚させるためだろう。ラムルも聞き覚えのある、〈はやぶさ〉というベルンの騎馬きば剣術けんじゅつ咄嗟とっさに用いることができたのは、サラの日ごろの鍛錬のなせるわざだろう。

 そのとき遠来から、警告を発する声が聞こえてきた。

 ラムルは、すわ新手あらてか、と身構えだが、騎影を見て、安堵のうめき声をあげた。

 それは、ホーロン城外を巡回中の哨兵しょうへいだった。哨兵は全部で五騎。全員、甲冑姿で、弓と短槍で武装しており、目印に碧色みどりいろの飾り紐をつけている。

 サラが馬をとめて、転がり落ちるように降り立った。しゃがみこんで、砂漠に嘔吐する。彼女もまた、初めて人を殺めたのだ。それは、今さっき見事な技をみせた剣士とは思えぬほど、痛ましい姿だった。

 哨兵たちがサラに駆け寄るをみて、ラムルは気を失った。

 

十三、

 言葉に起こしてしまうと、陳腐で、ありふれていて、薄っぺらですらある。けれども、げんに心の中にあって、硬く冷たい手触りで屹立きつりつしている、そういう想いがあるのだ。確かに。

 これほど烈しく、ひとを求めることがあるだろうか。ジクロを欲する気持ちは、ほとんど実体をともなってサラを巻きこみ、なぶり、翻弄する。

(どうしてこんなときに、ジクロのことが浮かんでくるのだろう)

 包帯を巻かれた痛々しい姿でしんだいに横たわるラムルの傍らで、サラは人知れず懊悩おうのうする。どうしてこの人でなく、あの人でなければならないのかーー。

 ラムルが担ぎ込まれたのは、分厚い城壁の内部にある、守備隊や哨兵が使う房室へやであった。そこで医官いかんの治療を受けて容体が落ちついたのは、日の沈んだ時刻だった。

 傷は、浅手ではなかったものの、奇跡的に、命にかかわるものではなかった。

 口やかましくても見立てには信用のおけそうな医官は、ひと月もすれば、問題なく動かせるようになると太鼓判をおした。

 サラは、失血の影響で蒼白なラムルの面に手を伸ばして、額にかかった男髷おとこまげの後れ毛をそっと整えた。

 哨兵と捕吏とりかたの取り調べによって、サラたちを襲ったのは、街道に跋扈する剪径おいはぎの類いであろうと結論づけられた。というより、そうとしか解釈できなかったというべきだろう。

 ラムルは文官のいちしたやくであり、誰かに恨みを買うとは思われない。いわんやサラおいておや、である。その判断はおおよそうなずけるものであったが、サラの中には、わずかな違和感もあった。

 物盗りにしては、賊どもは、まっすぐ二人の命を狙ってきた、そんな印象があったのだ。だが、それが何のためなのかと問われると、答えに窮してしまう。思い当たることなどなかった。

 いずれにしても、サラのわがままにつき合ったため、ラムルが痛手を負ってしまったのは間違いない。

 見舞いに来ていたラムルの父キセロ・ノドノスとラムルの長兄、次兄は、そろってサラの杞憂を磊落らいらくな調子で笑い飛ばした。

「士族のくせに、剣術がからきしだからだ。今後は精進すべし」

「うむ、親父殿。われらが一から稽古をつけましょう」

 そう言い合って、三男の意識が戻る前に、帰っていった。サラに罪悪感を抱かせまいという気遣いには、恐縮するしかなかった。長兄の夫人だという女性が、自分がラムルが目覚めるまでついているので、一度、お戻りになってください、と気遣ってくれた。

 しかしそれは、責められるよりも辛いことだった。

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