第10話

十、

 その男がアルサム家の邸第を訪れたのは、翌日の下午ひるさがりのことである。

 葬儀の日以来、家の食卓は、あかりの消えたようになってしまった。不思議なもので、生前、ガイウスが一緒に卓子テーブルにつくことなど、滅多になかったのにもかかわらず、そこにはたしかに、目にみえないうつろが穿たれているのだった。

 晴れない心もちでいたサラは、武館どうじょうでもたずねようと、身支度を整えているところだった。

小姐おじょうさま客人おきゃくさまがお見えです」

 ジナが、部屋に呼びにきた。

「どなた」

 出がけの来客にわずらわしさを感じていると、ジナの表情おももちが心なしか緊張している。金吾衛から参った方のようです、とジナが低声こごえで言った。

 ジクロは勤めに復帰しており、対応できるのはサラになる。居間で、所在なげに立っていた男は、一言でいえば冴えない中年男だった。

 中肉中背、捕吏とりかたの身なりをしているものの、どこかくたびれた印象がある。耳が大きく福福しい丸顔に、人の良さそうな細い目と団子鼻が納まっている。薄くなりかけた前髪をなでつけた痕跡が、なんとなく滑稽だ。あきらかにガドカルの民ではなく、東方の、おそらくは可兌カタイ出身とおもわれた。

「わたくし、捕吏のアクバと申します。少々お訊ね致したき儀がございます。よろしいですか」

 そういって頭を下げるしぐさが、どうにも申し訳なさげである。

「どういったご用向きでしょう」

「実はですな」といいかけたアクバは、サラをまじまじと見つめて、「いやあ、あの時の小姐おじょうさんが、こんなに大きくなられていらっしゃったとは……」と、ひとり勝手に慨嘆した。

「たいへん失礼ですが、わたくし、以前にお会いしたことがございましたでしょうか」

 たちまち「守本沙羅」の部分がでてきて、おそるおそるたずねる。サラ・アルサムとしての記憶が完全に保持されているのか、ときおり不安にかられることがあるのだ。

「いやいや、覚えていらっしゃらないと思います。なにせ、お嬢さんが三つや四つの時分、エフリア祭で一度、顔を合わせたことがあるきりでしたからな」

 アクバは懐かしむように、ただでさえ細い目を、いっそう細めた。

「左と右のちがいはありましたが、ガイウス殿のことは、私もいち捕吏として非常に尊敬しておりました。ほんとに惜しい方を亡くしました」

 こんどは、しみじみとした調子になる。なんだがせわしない男だ。

「下手人は、なんとしてでも我々がひっ捕らえますので、なにとぞご安心召されませ。おお、つい昔話をば。それで……本日うかがったのは他でもございません。ガイウス様のお部屋を、少々拝見させていただきたいと思いまして」

「父の私室へやを……ですか?」

 これは本来もらしてはいけないのですが、と断ってからアクバは喋りはじめた。そもそも、父の遺体の発見された現場というのは、バソラ邨の外れ、祖父ラウドが使っていた草堂いおりのあるところだった。

「それが、地元の猎人りょうしもめったに足をふみ入れないような辺鄙なところなのです」

 父が、なぜそんなところに向かったのか、それが最初に浮かんだ疑問だったという。

「お父上は、令祖父おじいさま草堂いおりにいく姿を邨の者にたびたび見られているのですが、此度はどうやらこっそりと向かわれていたふしがあるのです」

 祖父の死後、草堂いおりはなかば放置されていた。廃屋にいったいなんの用があったのか。

「これらのことから、我々はひとつの推測をいたしました。すなわち、お父上は草堂いおりで誰かと会う約束をしていたのではないか、ということです。その会見を秘するため、邨人とも顔をあわせないようにした。そして相手に手をかけられたのではないかと……」

 開陳されたアクバの仮説には、それなりの説得力があった。たしかに、何者かと密会を企図きとしていたのであれば、父の動きの説明にはなる。

「われわれは、お父上が会うつもりであった人物を見つけたいと思っております。ただ、ご同輩にうかがっても、判然といたしません。そこで、お父上の遺品の中に、手がかりになるものがないかと思いお調べさせていただければと。もちろん、サラ殿には立ち会って頂いて結構です。何卒ご協力お願いいたします」

 それならば、とサラはアクバを父の私室へやへ導いた。

 アクバは、時間をかけて、父の私室へやを隅から隅まで丁寧に調べ上げた。決して多くない調度をじっくりと眺めては、中を点検していく。しまいには壁や床を叩きだす始末だ。捕吏の調べをじかに見るのは初めてなので、アクバのやり方が慎重なのか、はたまた単に要領が悪いだけなのか、サラには判断がつきかねた。

 長くその場にいると、父の面影がいやでも浮かんでくる。サラは席をはずし、厨房でポルト水を用意することにした。ポルト水の杯を房室へやに持っていくと、アクバは、あからさまに気落ちした表情を浮かべて、考えこんでいた。

 気もそぞろに、さし出されたポルト水を受けとると、ひと口すすり、これは美味ですな、と場違いな声をあげた。それから、「お手数をおかけいたしました。必ずや下手人を捕まえます」と、礼を述べたが、力強く請け負ったわりには、いささか元気のない口ぶりだった。

 アクバは、ひょこひょこと体を揺すりながら、帰っていった。

 日差しはすっかり傾いていた。ジナが、お出かけになりますか、と聞きに来たが、武館どうじょうをたずねる気は失せていた。

 代わりに城内まちへ出て、水路沿いを歩きながら、もの思いにふけった。

 アクバの訪問は、サラの心に、あらたな種を植えつけていった。物事をみる別の角度、といってよいかもしれない。

 それまでサラは、父の死をどこか、逃れようのない不運、みまわれた天災のようにとらえていたふしがある。しかし、アクバに具体的な探索の道すじをきいたことで、アルサム家をおそった漠然とした禍いに対して、ひとつの焦点が生まれた。

 それは、ほの暗い闇の中に、うっすらと浮かぶものーー未だ見ぬ殺人犯のかおだった。

 卒然とたち現れたそれは、道しるべのようにサラの胸の中で形をなしていった。

 

十一、

「そういう意味で言ったんじゃない!」

 自分の声が、狼狽でうわずっているのを聞いてラムルは情けなくなった。非番の日の晴れた朝におれは何をしているんだ?

「でも、言った」

 のがしてなるものか、とばかりに、サラがつめよってくる。

「言ったさそれは。当然だろ。おれはジクロの友だちで、それに、その、一応、君の許婚だからね、困ったことがあったら、力になりたいと思うのは当たり前だ、でも……」

「でも? 言った。スキュロ二言にごんなし、でしょ」

 ラムルは絶句した。葬儀の日、自分の口で高らかに宣したのは間違いなかった。いつでも君の力になるから遠慮なく呼び出してくれ、と。両手で頭をかき回した。

 そこは、東の門近くの小広場で、噴水と水場があり、これから城外の砂漠へと旅立つ者たちが、綺麗な水を羊皮の水筒へくんだり、馬や駱駝にたんまりと飲ませている場所だった。

 城門を出て碧天へきてん南路なんろを東進すると、一番最寄りの綠洲オアシスまで、三、四日の行程、旅なれた隊商でもその半分は必要だ。

 どうやらサラは、バソラむらヘ行くつもりのようだった。いやむらヘ行くことは別に問題ではない。バソラ邨は、ホーロンから北東方向へ四十公里ほど、碧天山脈の支脈の支脈のさらにはずれの〈羊頭山〉のふもとにある。徒歩や駱駝だと片道で丸一日かかるが、馬で急げば日帰りで往復できる。ラムルもサラも砂漠の城市まちで育った人間であり、この程度の遠乗りは「旅」といえるようなものではなかった。

 しかし、である。

 実のところラムルは、ジクロに相談を受けていたのだ。

 それは、ガイウスの葬儀以降、サラの様子が少しおかしいというもので、どうやら父親の在りし日の姿を求めて色々と訪ね歩いているというのだった。そのこと自体は、痛ましくもあり、どうこう言える話ではない。ただ、そんな道行きをするうちサラは、ガイウスの殺害事件そのものに深入りしているらしいのだ。

 そうなると、ジクロやジナの物嘆ものなげきも故のないことではない。相手が何者であれ、捕吏にして名うての剣客を葬るような凶漢なのである。

 邸第の馬を使えば、ジナやジクロに気づかれ、反対されるので、ラムルに遠乗りを持ちかけたというわけだ。当然のごとくラムルは反対したーーのだが、サラに譲る様子は微塵もなく、ラムルはと言えば、惚れた弱みで進退きわまっているのだった。

 旅人たちが、次々と発っていくのを横目に、四半刻ねばったが、とうとうラムルが、値を上げた。

「わかった、わかった。おれもいっしょに行くよ!」

 そのときのサラの笑い顔の魅力的なことといったら!

 ラムルは胸の内でため息をついたが、同時にいぶかしむ心持ちもないではなかった。サラの様子はまるで、邸第に居たくないようでもあった。ジナやジクロと何かあったのだろうか?

 

 熱射病の備えに頭を布で被った二人は、くらに水筒をくくりつけた馬にうちまたがって進んだ。

 風は弱く、ふりかえると赤茶けた砂漠に、二組の足跡が点々と続いている。

 気が急いているサラは、馬の速度をあげたくてじりじりとしていたが、ラムルはそれを許さず、一定の足どりで進むように指示した。サラは言をいれ、おとなしく従う。

 道々、干したあんずすもも、硬く焼しめた焼菓子をかじり、水筒の水を飲む。

 東へ進むにつれて、朝焼けにキラキラと照らされていた砂丘が、茶色いせた風合いに変じてきた。白日がじりじりと気温をつりあげ、大気にかげろうの揺めきが現れ出したころ、なかば砂にうずもれた、道しるべの石人ズークをみつけた。

 二人はそこから馬首を北へとむけた。

 行く手に、ゆるやかな稜線をひいた山塊がみとめられた。〈羊頭山〉だ。そのあたりから、砂漠がひいていって、石ころが目立ちはじめてきた。山岳地帯のとば口に差しかかっているのだった。

 道が、のぼり一辺倒になったころ、崩れかけて石柱だけになった閭門りょもんにたどりついた。扁額へんがくに、掠れた可兌カタイ文字で、「跋折羅バソラ」と記されている。ガドカルの民が治める以前、一帯を可兌カタイ都護府とごふが支配していたころの名残である。

 二人はまず、邨の長老である、リオ老を訪ねた。リオ老は、祖父がまだ邨はずれに草堂いおりをむすんでいたころからアルサム家と懇意だった。

 邨の家々は、城市まちとはちがい赤土の日干しレンガと石と木材でできていた。かつての名残か、屋根の端が外にそりかえっているのが可兌カタイ風である。道は埃っぽく、家禽の臭いがする。

 目指す家はすぐに見つかった。リオ老は邨の分限者ぶげんしゃで、周りよりひと回り大きく立派な楼門の家がそれにちがいなかった。

 馬を降りて、間口の広い玄関でサラがおとないを入れた。中は、がらん、とした印象で、反応がない。再び口を開きかけたとき、奥のほうからひょっこりと男が顔をのぞかせた。

 布をほっかむりにした、褐色の肌に口髭を蓄えた中年男で、顔の真ん中から立派な鉤鼻が突き出している。ガドカルの民でもなく、平民でもない、西方の砂漠の民かもしれなかった。修剪えだきりはさみを手にしているので園丁にわしと思われ、声をかけようとしたのだが、男はすぐに顔をひっこめてしまった。

 と、今度は、でっぷりとした体格の下女が出てきた。警戒心もあらわに、たずねてくる。

「あのぅ、どちらさまでいらっしゃいますかの?」

「サラ・アルサムと申します。リオ様にお会いしたいのですが」

 サラが名前を告げると、胡乱げだった下女の態度が一変した。

「あや、まあ。ラウド様の……」

 孫娘です、とサラがうなずくと、女は恐縮したそぶりになった。手伝いの者に馬を繋ぐよう言いつけると、二人を中に通した。

 家は、かざりけのない素朴な田舎屋いなかやだが、広々としていた。

家公だんなさま。ラウド様のお孫さんがおいででがんす」

「あんれまぁ。したら、お通ししなされ」

 居室のなかほどで、籐編みをしていた老人が顔を上げた。ガラガラ声で赤ら顔の、精力的な印象の老人で、これがリオ老だった。可兌カタイ人ともホーロンの平民ゾックともとれる顔立ちで、七十はこえていようが、首も手足もずんぐりむっくりで太く、声にも張りがある。

「まんず、まんず。ようおいでなさった」

 老人は、挨拶をするのにたちあがろうと、杖をさがした。サラが慌ててそれを押しとどめた。皺を深くしながら、リオ老が椅子をすすめる。

「不調法ですまんこって。ひざが悪いもんだで……」

「とんでもございません。どうかお楽になさってください」

 恐縮しつつ用件を切りだした。サラが父のみつかった場所に行きたい旨をつげる。と、「したらば」と老人は下女を紹介した。

「シナハと申すおなごです。こちらがガイウス様を見つけましたによって、あとでご案内させます。用意ばしておきなさい」

 シナハが出ていくとリオ老は、あらためてサラをしげしげと眺めた。

「ほんで、こちらの方は……」

 老人がラムルに目をむける。

「ラムル・ノドノスです。サラ殿のいいなずーーうっ!」

 最後のは、サラが思いきり足を踏んづけたのだ。

「友人のラムルです。父の親友のご子息でもあります」

「そうですが。まんず、まんず。ガイウス様のことば、まっこと、おいたわしゅうござった」

 老人は顔を曇らせて、重々しい口調になった。

「久しゅうお会いしておらなんだごって、こん邨で亡くなられたときいたときには、たまげたもんでがす」

「あの、それでは、あの日、父とはお会いにならなかったのですか」

「へえ。邨におこしになったら、いつもお寄りくださったんでがんすが……」

「そうだったん、ですか……」

 そんなことですら、初耳なのだった。サラは、父が邨の話をしたがらなかったようだと、率直にいった。

「なんも、なんも。したけ、あんまりよか気分じゃなかったかもしれんち」

「……よい気分でない、とは?」

「お若けえ時分は、ラウド様とガイウス様は、ようけ、いいあっとったようでがすから……。いや、これは余計なことばもうしました。わすれてくださっせ」

「父と祖父は、そんなに仲が悪かったのでしょうか」

「まんず、まんず……」

 老人は自分の禿頭をぴしゃぴしゃとたたいて、サラをみた。

「仲が悪いっちゅうのとは、すこうし違いますかいの。憎みおうとるわけではなかったとばおもいます。若えもんが、上のもんに反発するのはよくあることばってん」

「でも……」

「したけ」と老人は唇を湿らした。「反発していた、と申し上げたのでごぜます。ガイウス様にはラウド様に対して、わだかまりと申しますか、なんか含むところがあったようでした。ですがラウド様の方もそこのところはようわかっとって、そん上でガイウス様のお気持ちを受けとめておられるように見受けられましたですな」

「父の持っていたその、わだかまり、とはなんだったのでしょう」

 サラは興味をそそられた様子だった。

「わしには、ちいとも。……そうですな、ひょっとすっども、ラウド様の生き方についてであった、やもしれません」

「と申されますと」

「ラウド様にはこう、どこか浮世離れしたようなところがござりましたよって。したけ、血を分けた親子といえ、近寄りがたい雰囲気がござった」

「おじい様とは、だいぶ親しくしていただいていたそうで……」

「まんず、まんず……」

 ラウドと老人は、五十年来の知り合いであったという。というのも、五十年前のその当時、飄然と邨にあらわれた流れ者の一家があり、それがラウドとその両親ーーつまりサラの曾祖母にあたるーー三人連れであったのだ。

 彼らがいずこから辺鄙なバソラ邨にやって来たのか、詳しく尋ねたものはいなかったのだが、邨はずれの、いまの祖父の草堂いおりの場所に住み着いた様子から、何かしら事情があって元いた土地から逃れ落ちのびてきたのだろうと思われていた。

 当初一家は邨人ともあまり交わろうとしなかったらしいのだが、息子である少年ーーラウドーーと邨の青年だったリオ老ーーもちろんその頃は二十代の若者ーーが親しくなり、しだいに邨に受け入れられていったのだという。

 バソラ邨がラウドのふるさとであったというのは、どうやらサラにも初耳のようだった。

 シナハが再び顔を出すとリオ老は、うながしてあらかじめ話をさせた。シナハは、訥々と話しはじめた。

 シナハが父をみかけたのは、五日前の夕方のことで、陽はすでに傾きはじめ、空に雲が広がりだしていた時分のことだった。

 北のはずれに、邨人が粗朶をひろう灌木のまばらな雑木林があって、そこでシナハが薪ひろいをしていると、旅装の士族スキュロを目にしたのだった。シナハはガイウスに面識があったが、声をかけるには遠く、足が悪いことも手伝って、とくに声もかけずに、作業にもどったのである。

 これが、生きている父を見た最後だった。

 その晩は〈黒夜〉であった。新月でもないのに、西風にのった砂塵によって空がおおわれ、あたりがぬばたまの闇に包まれる現象を、邨人たちは〈黒夜〉と呼ぶ。生温かい、気持ちの悪い強風が家々の屋根をゆすり、邨人はそれを凶兆と考えていた。

 そんなわけで、嵐が過ぎ去った後の翌日、ぬけるような青空を見上げても、シナハの悪い胸騒ぎはおさまらなかった。導かれるように林の小道をのぼり、そして父を発見した。

「ガイウス様が倒れていたのは、草堂いおりの裏手の空き地で、あたしはおったまげて駆けよったんですが、もう冷たくなられてました……」

 シナハは、神妙な顔で話を引きとった。シナハの証言は、先日のアクバの話を裏づけるものだったが、それ以上のものでもなかった。

 ラムルが、目顔をサラに向ける。無理をする必要はない、と。だがサラはキッパリと言い切ったのだった。

「父上が亡くなった場所に案内してください」

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