第7話

七、

 その話をラムルが聞いたのは、仕事仲間の噂ばなしとしてだった。どこにでも事情通を自認する者がいて、あることないことを吹聴ふいちょうして回るのは世の常である。それでもその話はかなりの確度がある、とラムルは睨んでいた。役目柄、伝聞の取捨選択にはある程度の自信があったからだ。

 御隠おかくれになられた日の、ホーロン太守ユスナル・ロカンドロンの朝ーーといっても時刻としてはほとんど中午しょうごに近いーーは常にもまして大儀そうであったという。長引く御病おんやまいあつく、一向に回復の兆しも見えなかった。特にここふた月ばかりは、床から起き上がるのも辛そうな病状が続いていた。

 この朝も、太守はしんだいの上に並べられた朝食にほとんど手をつけずに下げさせた。宮廷料理長は腕によりをかけた食膳が、今日も出したままの状態で返されたのを見て、肩を落としたという。

 太守はそれから物憂げに鈴をふり、日課となっている侍医長カリムの診察を受けた。カリムは脈を取ると、いつものように薬を置いて下がっていった。いつもと違ったのは、太守は薬には手を着けずに、執務室へ向かうと侍女に告げたことだ。近ごろでは珍しいことであった。

 この時、食事こそ摂らなかったものの、今日は久しく気分がよい、と太守自身が洩らしたのを、侍女が聞いている。

 異変は、執務室に向かう廊下で起こった。

 小姓とともに歩いていると、ふいに太守がよろよろと足をもつれさせた。大丈夫で御座いますか、と小姓が駆けよるまもなく、太守はうずくまるように倒れこんだ。

 まるで、急に体中の力が抜けてしまったみたいでした、と侍女は語ったという。慌てて声をかけるも、すでに反応がない。

 すぐさま小姓が人を呼びに走った。そのあいだ、侍女は太守のそばで呆然としゃがみ込んでいた。小姓が、帰りしなのカリムをつかまえて戻ってきたときには、太守の息はすでに止まっていた。

 これが第三十五代ホーロン太守ユスナル・ロカンドロン二世の最後であった。享年五十二。平和な時代の、終わりの始まりであった。

 それから城内は、上へ下への大騒ぎだった。各方面に伝令がとび、太守一族、執政たち、上級士族連中が続々と宮城きゅうじょうに馳せ参じた。当面の問題は、もちろん後継者についてである。日頃の対立そのまま、黒獅子派、赤獅子派入り乱れて、侃侃諤諤かんかんがくがく激しい応酬があったようだ。

 だが長引くかと思われた議論は、意外にも下午ひるすぎには決着した。太守の次弟アデル候の即位ということに落ち着いたのである。決め手はルウン太子の年齢であったという。

 やはり、まだあまりにも幼くていらっしゃったということであろう、とこの話をしてくれた事情通はしたり顔で言った。

 ホーロンはいま、ゆるやかではあるが内憂外患ないゆうがいかんをかかえている。太守の命をうばった黄死熱おうしねつは、南方からじわじわと領内に拡散しており、人的な被害は今後より増えていくと思われている。

 また、東の強国、可兌カタイは、十数年におよぶ王朝交代劇の収束にともない、またもや西方への野心を露わにしはじめている。このような状況下、いざ太守が急死してみると、歳若い太子と高齢のサウル候では心もとない、という結論に達したということだろう。下手を打てば、可兌カタイに呑みこまれてしまうという恐怖を、黒獅子派が上手に煽ったとも伝えられている。形の上では、幼い甥御を助けるため一肌脱いだという名目で、アデル候が玉座につくことで、後継問題は手打ちになった。

 結局、赤獅子派の譲歩あるいは敗北ってことになるのかな、と事情通はしたり顔で続けた。一度手に入れてしまえば、後は太子を手なずけてしまえばよいのだからね。早々と黒獅子派に寝返った御仁もいるみたいだし、と。

 ともあれ。

 これが、あの日、銅鑼が打ち鳴らされる前に起きた出来事なのだった。

 

 パラパラと雨滴うてきが屋根で歌う声を、聞くとはなしにラムルは聞いている。官衛やくしょの引き落とし窓の外は銀色にけぶっていて、薄暗いのにどこかぼんやりと明るい。

 この時期の雨はまったくの季節外れであり、異常気象といえた。それは異変をーー重大な事態の変化が訪れることを暗示しているように思えるのだった。

 五日前の太守崩御によるホーロンの喪は、正式にはまだあけていない。しかし交易によって成り立つオアシス都市として、その機能を止めるわけにはいかなかった。実利を重んずるホーロンでは、喪章を掲げつつも商いはすでに再開していて、しばらくの間、雪の下で春を待つ花のように息をひそめていた城市まちは、活気を取り戻そうとしている。

 銅鑼の音によって中断された仕合は、再開されることはなかった。祭も終わった。

 内院なかにわは、蜂の巣をつついたような騒ぎになり、士族たちは、宮城に参内さんだいするため、そそくさと会場を後にした。おおかたの善良な人々はけていったが、一部の酔漢は口々に不満を吐き出して舞台に物を投げこみはじめる始末だった。

 意気込んでいた仕合がなくなったサラは、見るからに気落ちしていた。こんな時にこそ土産の一つも提げてサラを慰めに行けばよいのだが、そうした気ばたらきが、さらりとできない己の朴念仁ぶりが怨めしい。ジクロをだしにして訪問しようとしたが、気後れしているうちに、当人のジクロが戸部省のお役目で近傍のむらに出かけてしまった。

 それに、気にかかることもあった。

 今日の仕事は、先般、金吾衛に運んだ書類を引き上げることだった。

 そしてその書類は、再び記録を録られ、今度は御史台ぎょしだいへと渡った。御史台は、官吏を糾弾する強力な権能を持つ監察機関である。つまりホーロンの上つ方では、衛士令殺害事件は宮仕えの士族の仕業と判断されたことになる。

 それはそれで結構だ。ラムルの勤めは記録の管理であり、誰がそれを使おうと関知するところではない。

 だがしかしーー。

 この差配は、どこか不自然な気がするのだ。御史台ぎょしだいの連中は、能吏のうりかもしれないが、補吏とりかたのような捜査の専門家ではない。第一、あの権高けんだかな調子で城内を聞いて回って、手がかりを得ることなどできるのだろうか。

 それと、今一つ気にかかっているのは、衛士令殺害の状況についてである。金吾衛勤めの朋友ゆうじんに、進めていた調べの中身を聞いたのだが、殺害の手際があまりによすぎるのだ。〈ホーロン七剣〉を容易く屠っている。

 これには、何か尋常でない事どもが関わっているのではないか。有り体に言えば、〈とりかえばや〉によって引き起こされる〈異腹はらちがい〉が関わっているのではないかーー。それが朋友ゆうじんの見立てであった。しかし、朋友ゆうじんが引き継ぎをした限りでは、その点を御史たちが勘案するかはなは心許こころもとないらしい。どころか、金吾衛の面々は、今後一切事件に関わるのも外部に話すのも罷りならん、と申し渡されたのだという。

 斯様かようなキナ臭い動きをラムルは、好かなかった。政治的な辻褄あわせで道理が引っ込むのが、肌に合わないのだ。それで、勤めの合間に、〈異腹はらちがい〉についての資料がないかと、書院をあたったのだが、官衙やくしょの記録は、風俗習慣の資料としては、物足りない。むごいことだが、〈異腹はらちがい〉として生まれた者は、城市まちの外へ棄てられ、「なかった」ことにされてしまう。記録が残らないのはそういう訳である。城外に出た〈異腹はらちがい〉たちを、砂漠の盗賊が集めて住まわせているむらがあり、悪事に荷担させているという噂があるが、真偽のほどは定かではなかった。

(そうだーー)

 ラムルは、そうした方面の資料が取り揃えてある場所に心当たりがあった。ベルン修練場の書庫である。あそこならば、剣聖ラウドの収集した資料があるかもしれない。それにーー。

 退庁時刻を待ってラムルは、いそいそと武館どうじょうへと向かったのだった。

 

「いらっしゃい。珍しいね」

 いつ見ても少し眠たげなアルキンは、ラムルを快く迎えいれた。お邪魔いたします、と入りかけたラムルはそこで、すでに毛氈もうせんに腰を下ろしているサラと出くわした。

 それは心密かに期待していたことでもあったのだが、いざ顔を見ると、口が重くなった。サラも少し決まり悪そうに、もぞもぞとしている。

 そんな二人の様子を、知ってか知らずかアルキンは、ラムルに茶をふるまった。口をつけると、井戸水を使っているからか、ほんのり冷えていて、のどに心地いい。

「それではわたくしは……」

 と腰を上げかけたサラをアルキンが押し止める。今きたばかりじゃないか、と自身も茶をすする。それでガイウス様の若いころの話が聞きたいのだったね、と勝手に進める。

「イリア姉さんはね、初めガイウス様が苦手だったんだよーー」

 年ごろの子どもが父母のなれそめを訊きたくなる、というのはラムルにもわかるのだが、先般の出来事のあとでは、サラの狙いをつい慮ってしまう。おそらくは、ガイウスの若かりし時分の話から、縁談ばなしに対する反ばくのテコでも探ろうというのではあるまいか。

 そんなに強固に反対しなくてもーーと哀しくなる反面、それこそがサラだという気もするのだった。

 アルキンのお喋りは、いつの間にか、自分のことに移っている。サラの母イリアが、ガイウスと接近する契機きっかけは、アルキンが親の小言を受けてもめたとき、ガイウスが間を取り持ってくれたことにあると言う。サラの母方の祖父母はとうに亡くなっているが、話によるとたいそう厳格な家庭だったようだ。

「いつまでもふらふらしているなって、よく怒られたものだよ。もちろん、全然直らなかったけどね」

 三人は、なんとはなしに微笑みあった。

「親子なんてそんなものだよ」アルキンは、片目をつぶってみせた。「そんな僕ですら、いまでは親のありがたさがよくわかる」

「ふうん……」

 サラはあまり納得がいった風ではなかった。アルキンが、茶のおかわりをつぎ足した。

「父上にも、そんな若い頃があったのかしら?」

 サラがこちら見やって、目をぐるりと回した。ラムルもつい吹き出して、笑い返した。確かに、今のガイウスからはそんな青臭い姿を想像するのは難しい。尤も、ラムルが笑ったのは、話題よりもサラの親しげな態度が嬉しかったからなのだが。

「うーん。どうかな」

 アルキンは、腕を組んで考える仕草になった。

「ガイウス様は、ラウド様をたいそう尊敬してらっしゃるからね」

「へえ……」

 サラが興味深そうに相づちをうつ。ガイウスの口からラウドの話題が出ることは、ほとんどないらしい。アルキンが記憶をたどる遠い目になった。

「尊敬、というよりも畏怖に近い印象だったな」

「父上は、あまり外公おじいさまの話をしてくれないからーー」

 他所の家の事ではあるが、幼馴染みでもあるラムルの知る限り、ガイウスとラウドは没交渉に近かったはずだった。むしろ自分からラウドと距離を置いていたようにも見えた。

 断片的な話から想像するに、ラウドという人は、また特異な意味で、家庭をかえりみない人物だったようだ。

 ラウドは、〈父親〉や〈士族〉という範疇でなく、徹頭徹尾、〈剣士〉としての人生をまっとうした。晩年、世捨て人のように隠遁生活を送るラウドを、ガイウスはけっして訪ねようとはしなかった。そこにどのような確執が存在したのかは分からないがーー。

義兄上あにうえは、今でもお忙しいね」

 アルキン殿は、今でもガイウス様を〈あにうえ〉と呼ぶのだな、と妙なところが気になった。

「先日も、調べものがあるからと、ふらりといらっしゃって、差し入れを持ってきてくださったんだ」

 そのときアルキンが乞われて探した書類は、過去にベルン修練場にいた門人を記した門人録であった。書類を貸し出す際にアルキンは父にいろいろとたずねたのだという。というのも、門人録には、門人が印可を授けられた技が記されていたからだった。

「たとえばほら、ベルンの技には、〈ひたき〉とか〈つばくろ〉とか、鳥の名がついているものが多いだろう」

「そういえば、そうですね」

 当初のもくろみも忘れてラムルは、興味津々思わず身をのりだした。

 ベルンに伝わる技術は、言うまでもなく流派の開祖たるラウドが体系化したものだ。ラウドは隠居するに際し、生涯をかけて築いた剣技を後進に伝えるべくまとめ上げた。それが伝書でんしょとして、今も稽古に活用されている。

「でも、その取捨選択のさいに、とりこぼれた技法も多くあったらしい。目録を眺めていて、聞いたことのないのがいっぱいあって、どうにも興味がわいてね。たとえば〈黒烏からす〉って知っているかい?」

「〈黒烏〉?」

 サラが首をひねった。それは師範代のサラでも、はじめて耳にする名だったようだ。

「そう、どうやら、ガイウス様にもはっきりとは、わからないみたいだったよ。そういう、もう失伝しつでんしてしまったもの、わからなくなってしまったものに、僕はなんだかとても気持ちがそそられるのだけどね」

 いかにも文人のアルキンらしい言葉だった。

 だがそれにしても、ナリン砂漠で、災いを齎す鳥ーー別名〈夜の翼〉ーーといわれている黒烏からすの名をつけたところが、なんとはなしに禍々しいものを感じる。そういうとアルキンは、

「まあ、まったくなんの手がかりもないわけじゃないよ。ガイウス様のいうには、おそらく〈黒烏〉というのは、だいぶ後ろ暗い剣じゃないかといっていたけど」

「後ろ暗い?」

 ガイウス様の推測では、とアルキンは芝居がかったようすで、声をひそめた。

「夜陰に乗じて相手の首を刎ねる行刺あんさつ剣だったらしい」

 なるほど、と納得がいく。そういった類の技なら、伝書でんしょから抹消されてもおかしくはないだろう。ラウドが引退したのは、戦乱も遠くなり、太平の世を迎えようとしていたころだ。また当時ベルンは、城市まちでも指折りの武館どうじょうに成長してきていた。不吉な行刺あんさつ剣などは、時流にそぐわないものとして切り捨てられたのだろう。

「そうそう、そんなふうに、色々と話をしていかれたとき、ガイウス様が突然、『自分は父の不肖の弟子だった』なんて言い出したんで、とてもびっくりした覚えがあるよ」

「不肖の弟子? どういう意味でしょうか」

 サラが訊く。

「うん、僕も訊いてみたんだ。そうしたらポツリと『父はわしにすべてを伝えてはおらなんだ』と仰っていた」

 巷間こうかんの一部には、ガイウス・アルサムは、名人ラウド・アルサムに遠く及ばす、それゆえ剣術指南役でなく、捕吏とりかたとして身を立てたのだと、まことしやかに囁く者がいる。だがガイウスを知る者で斯様かようそしりを取り合う者はいないだろう。ガイウス様ほどラウド・アルサムの剣を受け継ぎ、その域に迫った者がいないのは明らかだった。武館どうじょうを人に任せているのも、ガイウスの技量が不充分だからなのではなく単に金吾衛の仕事を取ったというだけにすぎないと思われていた。

 だがガイウス様の述懐が真情しんじょうならば、ガイウス様にとってそのことは、心中最大の無念事むねんじだったに違いない。あるいはそれが、ガイウス様とラウド様とのあいだに溝をつくった一因だったのかもしれない。

 ところで、とラムルが茶をすすったとき、急に話題を転じた。

「結局、二人は婚約するの?」

 ラムルは思わず茶を吹いた。

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