後編 君の小指にコーティング

「絶景かな絶景かな!!渚、いい景色をありがとうな!!」

「そ、それはどういたしまして……優が喜んだくれてるのなら頑張った甲斐があるわ」


 バレンタインデー当日。

 幼馴染で彼女である海鳴 渚の家に招待されそのまま部屋に案内された斎藤 優は、それはもう大喜びであった。

 目の前に広がるのはチョコクリームが塗りたくられた渚の足。

 優自身が望んだ光景エデンが今まさにそこにあるのだから。



「ビニール気をつけてね」

「毎年のことだから流石に慣れたよ」

「そうね、毎年のことだもんね」

 足に塗られたチョコを汚さないようにベッドに座ったままの渚は遠い目をしながら優の言葉に続いた。


 しかしそれは、部屋の床一面に張り巡らされたビニールシートの事を思ってでは無く、むしろその後のことだった。

 これからどんな恥ずかしい事をするのか。

 そればかりが気になって仕方ないようだった。


「それで渚のお母さんたちは?買い物か?」

 彼女の足元でお預けを食らった犬のように欲しがる目をしながらも、優は家に上がる際に見かけなかった海鳴家の人たちの所在を渚に聞く。


「あぁ、ママたちは夜になるまで帰って来ないわよ」

「よ、夜まで!?」

「そ、夜まで」

「何というか……俺、信頼されてる?」

「そうね。ある意味信頼されてると思うわよ」

「……ある意味?」

「そ、ある意味」


 年頃の娘が同じく年頃の男を家に呼ぶというのに、両親不在は流石に信頼しすぎなのではと、途端に不安になる優。

 そんな優の様子に渚は密かに笑いを堪える。


 そう、渚の両親から信頼されてるのだ。

 優が年頃に男だという事を。

 そしてそれは昨日今日と始まったことでは無かった。


 事の発端は、昨日の夜のことである。

 渚はキッチンで偽造用のチョコと並行して、翌日の為のチョコレートクリームをせっせと生成していた。

 そんな最中さなか、背後から優しげな声が渚の背後から聞こえ出す。

「ナギちゃん、ママたち明日は朝から晩までいないからね〜」

「ママ!調理中は後ろから声かけないでよ!危ないでしょ!?」

「大丈夫よ。ちゃんと危なくないタイミングを狙って声かけてるから〜」

「そういう問題じゃないって……」


 ヘラヘラとマイペースにのんびりとした雰囲気を漂わせる自身の母親との会話にげんなりとした様子の渚。

 確かに渚が声をかけられて時は包丁を握っていなければ火のそばにいたわけでは無かった。

 だが、何もしてないわけではなくゴムベラでクリームを均一に整えてる真っ最中だったりした。

 しかも、愛しの優を想ってという乙女のボーナスタイムが付与されて、だ。


 そんな時に邪魔をされたのだからうんざりしてしまっても仕方ないと言えば仕方ない。

 とはいえ、話しかけられたからには反応せざるを得ないわけで

「朝から晩までって、パパと日帰り旅行にでも行ってくるわけ?」

 と、不機嫌さを隠す気の無い口調で渚は依然としてニコニコしてる母親に問いかける。


 その娘からの問いに答えると同時に、彼女は笑顔で右手の人差し指を横に振る。

「ノンノン!私たちの事はどうでもいいのよ」

「そっちから言ってきたのに……」

「今年も優くんとやるんでしょ?」

「やるって、何を?」

「何って、そりゃもちろん───」

 続きの言葉を言われるまでは、渚はまだ一握の望みを持っていた。

 バレンタインのチョコをあげる事を大げさに言ってるだけだ、と。


 だが現実はそう甘くなく

「優くんとの高度な遊びに決まってるじゃない」

 母親はお見通しであった。



 終わった。

 色々終わった。

 優とは清い付き合いをしてるよう演じてきた渚の心は反論する余地が無いほどに萎んでいった。

 そんな渚の様子とは裏腹に、母親は依然として笑顔だった。

「大丈夫よナギちゃん!ママは優くんなら心配ないと思ってるから」

「ママ……!」

「早く孫が見れるに越した事はないものね!」

 どうやら、頭が狂ってるらしい。

 まだ高校二年生である娘に向けて発する言葉ではないものを意気揚々と口にするのだから、相当だろう。


 結局、その日の晩、渚は母親に弁解する事は無く、当日になりただ一言「パパには内緒で」と告げただけだった。

「任せて!」と言わんばかりにキメ顔さながらのウインクを見せた母親は、事情を知らない父親を連れ出し、どこかへと出かけていった。



 そして、現在に至るのだが、海鳴家で何があったのかをまるで知らない優は未だに悩んでいた。

「なぁ、ある意味信頼されてるって一体どういう……」

「答えまでは教えられないわよ?優の頭で考えなきゃ」

「ふーん……そういうもんか」

「そういうもんなの」

 流石に、「実は全部ママに今までの事バレてたみたい、てへぺろ!」なんて事は是が非でも言えない。

 それに母親にバレたからといって、今からする事を止めるかと言われたらノーである。


 優だけで無く、渚本人も楽しみにしてるのだから、止める理由は無い。

 なんなら親公認で出来るのだから、むしろやらないという選択肢が無いも同然だった。

 それぞれ今からする事に対するモチベーションは異なるがそんな事は些細な事。


 ───特別な時間を味わえるのなら、それでいいのだから。




「そ、それじゃあ、舐めていいわよ……?」

 言葉を発すると同時に背後に用意していた、チョコレートクリームと新品の洗面器を優に手渡す。

「あぁ……!毎年ありがとうな!!」

「今年は足に感謝するのね……」

「今から渚の足を美味しく頂くんだから、当たり前だろ?」

「当たり前なのね」

 相変わらず、変態の考える事は渚には分からない。

 毎年の事なのに一向に慣れる気配は無い。


 いや、慣れたら負けだろう。つまり実質、渚の優勝である。

 そんな優勝者に挑戦者は果敢に、舌で応戦する。

「ここの親指と人指し指の間とか美味しそう……ぺろぺろ」

「どこを舐めても味は変わんないってばっ!あぁぁ、くすぐったいぃぃ!!」

「いやいや、これが変わるんだって。あっ、足の甲とかちょっとしょっぱい」

「そんなわけ無くない!?昨日と今日で入念に洗ったのよ!?」

 まるで犬のように恋人の足のチョコを舐めとる優の様子に、渚はただただ気を動転させる。


 だが変態犬の猛攻はこれで収まるわけが無かった。

「つまりこれで渚がどこを入念的に洗ったのかが分かるわけか。これは唆るぜ……。あっ、ここはほろ苦い」

 洗面器に溢れ落ちたチョコで渚の踵をコーティングし、それを優は余す事なく舐めとる。

 笑顔。紛うことなき笑顔を浮かべる優。


 そんな恋人の笑顔に渚は戰慄する。

「怖い怖い怖い!これ終わった後ででいいから、病院いこ!?」

「病院は嫌だ!」

「そんなキメ顔で言われても……。因みに理由は?」

「注射と苦い薬が無理」

「子供か!!」

 コロッと子供のような無邪気な笑顔を見せる恋人に、元気よく突っ込む。


 だがそれがいけなかった。

「じゃあ、子供みたく親指しゃぶっちゃお」

「彼女の足の親指をチョコをつけてしゃぶる子供なんて聞いた事ないよ……っ!」

 変態はどこまでいっても変態なのだから。


 油断などしてはいけなかったのだ。

 本人にはその気がないにしても、変態のペースに乗せられた時点でそれはもう油断に他ならないのだ。


 そして変態は有言実行し、恋人の親指をチョコを塗りたくって口に含み始める。

「ん……んぅ……」

「ちょ、優……そんな強く吸わないで。なんか、今日はいつも以上に変だよ!?」

 思わず出てしまった艶らかな声を誤魔化すかのように、渚は大きな声を出す。

「そりゃ、こんなこと出来るのは今年で最後だからな。ちょっとばかり、許してくれ」

 そう言って、ヨダレを引きつらせながら彼女の親指から口を離した優の顔はどこか寂しげだった。

「今年で最後って……来年もまたやればいいでしょ?」

 どこか嫌な気がしたのか、神妙な面持ちで渚は優の目をジッと見る。

 それに呼応するように優は口を開くのだが

「来年は、受験生だろ。流石に受験前にこんな事して───」

「ダメっっっ!!」

「んンンん……っ!?」

 彼が続きの言葉を口にするのを自らの足の親指を突き出す事で、無理やり抑える。


「……ぷはっ。びっくりするだろ!急に足を押し付けてきて!!」

 渚の押し付ける力より優が口から足を引き離す力の方が強く、彼女の抑え込みはあっけなく終わった。

 先ほどまで変態だった男はたちまち、真面目な表情へとなっていく。

 それを見て、渚の感情が昂ぶったのか

「急に真面目にならないでよ!」

 怒りをあらわにし始めた。


「は、はぁ……!?」

 あまりにも突然の事で、優は呆気にとられていた。

 それはそうだろう。優には怒られる心当たりはないのだから。

 さっきまでの変態行為に関して怒るのならまだ分かるが、それもそれでおかしな事だ。

 毎年恒例の事で、今年も渚はそれを了承してるのだから。


 だが、実際はそうでは無かった。優が急に真面目になったから起こったのだ。

 まるで意味がわからないだろう?大丈夫、優もよく分かっていない。

 しかし、それでも渚は自分の気持ち素直に感情を曝け出す。

「優はそのまま変態でいてよ!毎年、この時期、この時間、この部屋でいつものように変態してよ!!」

「いや、ずっとこういうわけにもいかんだろ……それに、いつまでも俺がこんなんじゃ渚も迷惑だろ?」

「迷惑?そんなわけないじゃない!私は変態な優だから好きなのに!!」

 告白。部屋中に響き渡る、大告白。

 これが渚による初めての告白というわけでも無いのに、それと似た感覚が彼女の胸にあった。

(あぁ、言っちゃった……!!つい勢い余って変態な優の方が好きって言っちゃったよ!)

 心の中で悶絶する渚。

 しかし口に出してしまった事はそう簡単には止まらない。

「優がどんな思いで、真面目になろうとしたのかは分からないけど、私の為ならやめて。嫌いになるよ?」

「……渚?」

「ほら、舐めてよ。まだチョコこんなにあるんだよ?ちゃんと責任とって全部食べてよ」

 まるで自分から変態行為をされたいと言っているようなものだった。

 いや、まるでと言うより、その通りだった。


(これじゃあもう誤魔化しようが無いじゃない!あぁ……優に変態だと思われる……!)

 類は友を呼ぶとはよく言ったもので、恋愛に関しても予め変態の近くに変態が配置でもされるのだろう。

 心の内を完全にさらけ出してしまえば、きっと納得できる事だろう。


「いいのか……?」

 恋人の目と足を交互に熱い眼差しを向ける優。その目に曇りは無く、ただただ愛に満ちていた。

 それに気づかない渚では無く、たちまち笑顔になり目の端の涙を拭う。

「いいも何も、元々そういうつもりなんでしょ?だったら最後まで楽しもうよ。私を美味しく食べてくれるんでしょ?」

「後悔しても、知らないからな……っ!!」

 そう言って、優は再び彼女の足を洗面器に溜まっているチョコにつける。

 持ち上げた恋人の足を親指、人差し指、中指、薬指と順に舐めていく。

 最後に小指。これでもかと言わんばかりに予備のボトルからもチョコクリームをかけていく。


 贅沢にコーティングされたそれを他の指とは比べ物にならないほどに、優は執拗に舐める。

 何度もコーティングし直し、時々他の部位に寄り道をしつつも、最終的には小指へと戻ってくる。



 男性にとって小指とは恋人の意味を持つ。

 優にとって、手の小指だろうが足の小指だろうが関係ないようだ。


 愛する人の小指なら、尚更───。



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君の小指でチョコフォンデュ こばや @588skb

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