第13話 幽霊 参

 学校から出て、俺と謡は、目的も無くぶらぶらと歩いていた。

 というか目的を知らなかった。

 謡が『着いてきて』と言うので、着いてきてはいるが、まだどこに行くのかも知らされていないし、どこに行くのか、予想もできていない。


「で、どこに向かってるんだ?」

「え? 知らないよ?」


 おい。それは無責任が過ぎるだろう。


「あはは、嘘だよー。

 知らないわけではないけど、まずは謝らないといけないことがあるんだよね」


「なんだよ、すげえ怖いよ」


 謡の口から『謝る』という言葉が出てきたこと自体が、千年に一度、あるかないか、と言えるくらいの奇跡だ。

 謡は申し訳なさそうに、


「謡のお願い事はね、すごく重いお願いになってしまうかも」


「どんな感じに?」

 聞いてみたが、

「たとえることはできないね」

 きっぱりと言われた。


「人の死に関わってるけど、でも、どれくらい重いのかは、謡には分からないよ」


 ものすごく重い、という事だけは分かった。

 少なくとも、笑顔ではいられないだろう。

 ……うわあ、嫌な予感が的中しなければいいのだが。


「とは言ってもね、他人のことじゃないから、安心していいよ」


 謡が言う。

 だからって、なにに安心すればいいのか分からないけど。

 ……まあ、不安ばかり抱いていても仕方ない。気楽にいこう、なんとかなるさ。


「でも、さ。他人でないのなら、もう、一人しかいないと思うんだけど……」


「おお、さすがはうつろんろん。頭の回転が速い早い。風力発電のプロペラみたいだね」


 それは速いと言えるのか。俺としては遅いイメージしかない。


「もちろん、わたし、謡のことだよ。

 あまり気が乗らないかもしれないけど、わたしがどうして死んだのか、知りたいんだ」


 無邪気な笑顔で言われた。そんなことは……、知っていいのかどうかも分からないことを、謡は当たり前のように聞いてきた。

 教えてあげることができるのならば教えてあげたいが、もしも、もしも教えてしまえば、どうなるかくらいは、予測がつくものだった。


「どうしたの?」

 謡の顔が目の前にあった。

「……そうだよな……やっぱ、知りたい、よな」


「うん。記憶が全然なくて。どうして死んだのか、分からないんだよ。

 あ、でも、死んだ時のことは覚えていて――去年だったかな? で、家もこの辺だったはず」


 気づけば、ここは俺の家の近くだった。

 もしも謡が生きていれば、どこかで偶然、出会っていたのかもな。

 それは惜しいことをした。


「なんで死んだのかな……たぶん、誰かに殺されたんだろうけど」

 さらっと爆弾発言だ。


「それ、正確か?」


「なにが?」


 いや、だから殺人の件だけど。

 殺されたかもしれない、という言葉が出てきたということは、少なからず体験があるから記憶に残っているのではないか――と考えたが、体験していなくとも、可能性としては出てくる発想ではあるか、と思った。


「うーん、たぶん……たぶん、殺された、ような気が……。

 だって痛かったし、ナイフで刺されてたから……たぶんね」


 意外と鮮明に覚えているものなのか。何度も聞く『たぶん』というのが気になるが。


「じゃあ、とりあえずは犯人を捜すところから始めなくちゃいけないのか」


「なにそれ、探偵ごっこ?」

 そんな楽しそうなことじゃないだろう。


「逃げてる犯人を捕まえるんじゃなくて、刑務所にいる犯人を捜すってことだよ。

 人を殺して、半年以上も逃げ延びてる犯人は、あまりいないからな。もう捕まってるだろ」


 思うが、どうだろうか。

 中には、犯人が捕まらず、迷宮入りした事件だってあるはずだ。

 俺の家の近くで殺人があったのなら、事件として俺の耳に入っていてもおかしくはないのだが、俺の記憶には、まったくと言って、ないのだ。

 欠片もない。


 人の話を聞いていない俺のせいかもしれないけど。だからと言って、欠片もないということは、そもそも存在していないのか、警察が報道していないのか……だろう。

 近所での噂は、基本、無視する俺なので、そういう場所からの情報は絶対に記憶に入っていない。


「でも、どうして捜すの?」


「え?」

 俺は思わず声を出してしまった。

「だって、知りたいんだろ? だったら犯人を見つけて――」


「知りたいだけだよ。その……過程とか、どうしてそんなことをしたのか、とか。

 そんなことはどうでもよくて、知ったことじゃないんだよね」


 謡が、冷たい声でそう言った。

 謡は、記憶が曖昧だから、自分の死因がなんだったのか、それさえ見つけることができればそれでいい……らしい。


 なら、霊体である謡が頑張れば、一人でできそうなものだと思うけど。

 俺がいることで、行動範囲が狭まるのではないか?


「うつろんろんには、謡が取り乱した時に止めてほしいんだよ。

 ついでに、抱きしめてほしいんだよ?」


「ついでの要求が大き過ぎる」


「あはは、もちろん嘘だよ」


 知ってる。

 今でこそ笑っている謡だが、謡自身が、『取り乱すかもしれない』と予想しているということは、ある程度の死因に、心当たりがあるのだろうか。


「謡の家……、そこを調べてみる必要があるよな――でもなあ……」


 家の中が空だとは限らない。母親だって、父親だって。

 もしかしたら、兄弟きょう姉妹だいがいるかもしれないのだ。


 不法侵入をする気満々だった俺だが、家の中で家族に鉢合わせするシチュエーションを想像した瞬間、ものすごい勢いで、やる気が削がれていった。


「うん、帰ろうか」


「待って待って! さっきまでのやる気はどうしたの!?」

 いやさっきも、そこまでのやる気はなかった気がする。

「大丈夫だよ。お父さんもお母さんも仕事で、兄弟姉妹はいないから」

 なら、いいんだけど。


「でも、謡がいないから、食費が減って、お母さんは仕事をしてないかもしれない……」


「お前の家って、一軒家?」

 俺の問いに、謡が答える。

「一軒家。リフォームしたての」

 それはいらない情報だった。

「一軒家なら、二階から侵入してもばれなさそうではあるかな」


「ばれると思うけど」

 という鋭い指摘が謡からきた。

 そうだけどさ。そうなんだけど、


「外からは丸見えだから、そこを注意するとして。

 母親はだいたい、一階で家事をしているものだろう?」


 うんうんと謡が頷く。俺は続ける。


「だから二階で何かガサゴソと行動をしていたところで、あまりばれないと思うんだ」


 保証などまったくないけどな。


「へえ、大胆なことを考えるなあ。さすがはうつろんろん」


 くるくると、俺の周りを飛ぶ謡。邪魔だなあ。


「というわけで、お前の家に案内してくれないか?」


「ん。そこ」


 そして、謡が真っ直ぐ、指を差した。そこは、そこは、そこは――。



 家だった。一軒家だった。

 普通の一軒家なのだが、俺がすぐに反応できなかったのは、見たことがあり過ぎる景色だったからだ。


 指を差した家の表札には、『幽山』と。

 隣の家の表札には、『志木宮』と。


「おい……、俺んちの隣じゃねぇかよ!」


 思わず謡を殴ってしまったが、すぅっ、と謡の体を、拳が透けて通り、奥にあった塀にがつんと当たる。結構な力を入れていたので、止めることができず、自ら痛い目に遭ってしまう、という恥じを晒してしまった。


 絵に描いたような自業自得。


「…………」

 なにも言えない。なにも言いたくない。

 声をかけないでくれるとありがたい。


「……すごいパンチだね」

 ちくしょう。空気を察せない奴が、目の前にいた。


「俺の傷口を抉るんじゃない……」


「打撲だよ」


 そういうことを言っているんじゃないのだが、もう、いいや。

 傷なんてすぐに治るだろう。心の傷も含めて、全部だ。

 唾をつけておけば治るはず。ばあちゃんの知恵を馬鹿にしてはいけない。


「まさか、俺の家のお隣さんだったとは……気づかなかった」


 もしかして、会っていたんじゃないだろうか。

 いや、ないな。記憶にないし。俺が人付き合い、苦手だし。


「謡も知らなかった」

 そりゃ……そりゃ今のお前は覚えていないだろうな。

 自分がなぜ死んだのかすら、知らなかったのだから。

「お隣さんか……、お前の母親って、仕事熱心だよな。毎日毎日」


「え? 仕事、今でもしてるの?」

 してるしてる。俺の部屋の窓から見下ろすと、いつも家を出て行くところを見るんだよ。

 しかも、すっごく朝早くに。


「お前が死んでも、仕事は続けてるみたいだ。

 落ち込んでる様子はないから、もう乗り越えたのかもな」


「そっかぁ」と、謡が安心したようだった。

 けど、本当に謡の母親が『死』を乗り越えたかどうかなんて、知るわけがない。

 それは母親にしか分からない。


 俺なんかが、知ったかぶって言っていいことではないのだ。

 でも、まあ――謡に嘘を言うくらいは、いいのかもしれない。

 コイツは心配し出すと、どこまでも心配するから。


 にしても、


「……つくづく、俺は世界を」

 どうでもいいと思っているのだろう。


 お隣の娘が死んだ。それくらい、耳に入ってもいいはずなのに。

 異変に気づいてもいいだろうに。

 俺はまったく気づかず、耳に入ることもなかった。


 それこそが証拠だ。

 俺が、自分自身にしか興味がないクズ野郎という決定的な証拠だ。


 そんな自分が嫌ではない。

 こんなことだから、俺はいつまで経っても――、

「変わることがないのだろうな」


 そう呟いていると、

「うつろんろん、今、お母さん、家にいないみたい。チャンスだよ! ほら、鍵を開けたし」


 どうやって開けたのか。ああ、すり抜けて中から開けたのか、そんな簡単なことなのか。

 どうやら俺の頭はよく回っていないらしい。暑さもあるけど、お隣の娘が死んだ、というショックが、今頃になって俺を絶望に似たなにかに突き落としたのかもしれない。

 俺にしては珍しい。

 ここから抜け出すのには、少しばかり、時間がかかりそうだった。

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