三の解 ……階段を上がった場合

第11話 幽霊 壱

「まずは上に行ってみるかな」


 という俺の選択に、


「まあ、妥当なところだな」と淡。


 なにが妥当なのか分からないが、

 淡が言うのならば、そう感じたというのならば、そうなのだろう。



 上は確か……、専門の教室ばっかりだったような気がする。

 詳しくは知らないが、化学室とか音楽室とか、そういうものばかり……まあ、合っていようが間違っていようが、俺にとってはどうでもいいことだ。


 学校生活や授業など、どうでもいいと思っている俺は、もちろん、どの教室がどこにあるかなど知るわけがない。覚えているとすれば、自分のクラスと職員室と古典遊戯部の部室くらいなものである。


 部室を覚えてしまっているあたり、俺自身、どうでもいいとは思っていないってことか。

 ……否定はしない。ただ、肯定もしない。

 まだ、迷いがあると言ったところだろうか。


「ん、鍵がかかっているな――」


 淡が教室の扉に指をかけ、がたがたと音を鳴らしながら言った。

 当然と言えば当然か。倉庫代わりの教室なら、鍵などいらない。

 誰かが入ったところで、盗む物などないだろう……捨てるにしても手間がかかる粗大ごみ置き場だったりもするのだ。


 逆に、邪魔なので持っていってください、と言った感じで置かれているものばかりだ。

 しかし、化学室、音楽室、資料室となると話は別だ。

 専用教室には貴重な物が大量に入っているらしく、誰かが入って勝手に持っていってしまうと困るのだ。だからこその鍵だろう。


「ふむ、邪魔で仕方ないんだが」


 淡がイラついた声を出す。鍵にイラつくとは、器の小さい妖怪だな。

 なんて言ったら殺されそうなので、開きかけた口には厳重に鍵をかけておく。


「うざいうざいうざい、鍵とはこんなにもうざいものだったのか。だとしたら、そうだな……こうすればいいのではないか?」


 言って、淡がぴょん、と跳んだ。

 いや、どちらかと言えば、飛んだ、と言った方が適しているかもしれない。

 それほど、綺麗で猛々しくて、芸術品のようだった。


 次の瞬間、


 彼女が教室の扉に、ドロップキックを喰らわせて破壊をしなければ。


 ……勇まし過ぎる。


「よし」

 その一言に、俺は思わず突っ込む。

「よし、じゃねぇよ! やるなら言えよ、びっくりするだろうが!」


「おぉ……、実行したことにはなにも言わないんだな。それはそれで、拍子抜けなんだが」


 それは知ったことではない。


「別に、この扉が俺の物ってわけでもないし。俺に不都合がないならどうでもいいことだよ」


 不都合がないならなんでもいい。

 俺の知らないところで誰が誰と喧嘩をしようが、別れようが、もっと言えば殺されようが、どうだっていい。俺はそういう人間だ。


 人はそれを冷めていると言うのかもしれないが、人間、誰だってこういう感情は少なからず持っているのだと思う。

 まあ、大体の人は世間体を気にして他人に合わせるから、どうでもいい、興味がないという感情は、押し殺しているのだろう。


 隠さざるを得ない環境だからな。俺みたいに全てをオープンにしてしまえば、人生が楽しくなると思うのだが、それは人それぞれ、俺がなにかを言うべきではない。


「確かにお前のものではないな。それに、私のでもない。ゆえに、私もどうでもいい」


 お前が主犯なんだけど、反省する気はなしか。


「反省なんて建前だろう?」

 嫌なところを突いてくる。俺もそれについては同感だけど。


「反省など、しゅん、と顔をうつむかせていればそう見える。たとえ表情をニッコリと満面の笑みに変えていたとしても、ばれなければ、ばれることはないんだからな」


 俺と思考回路がまったく同じだ。

 こういうところでは俺、淡と気が合うのかもしれない。


「どうせ反省なんてしないんだ。だったらフリをするのもしないのも、同じだろう?」


「それもそうだな」

 納得する俺。

「だから反省はしない。

 扉を壊そうが、不法侵入をしようが、お前に蹴りを入れようが、反省はしない」


「俺に蹴りを入れる、のところは反省しやがれ」


 思わず、うん、と頷いてしまうところだったじゃないか。

 危ない危ない、まったく気が抜けない毎日だ。


「……ちっ、頷いておけばいいものを」


 そう言って、淡が俺よりも先に部屋に入った。

 化学室――、

 薬品の臭いが、僅かだがある……最近、この部屋に誰かが入ったということなのか。


 少なくとも今日ではない。

 いや、そう断言できる証拠があるわけではないが。


 しかし、そう断言できたのは勘だ。

 なんとなくに近いもの。


「ならば、待てよ?」と俺は思いつく。


「少なくとも、俺は今日、ここに誰も入っていないと思っている。

 俺の勘だけど、俺は俺の勘を信じているから、必ず当たるはずだ」


「自意識過剰か」

 淡が冷たい目線を向ける。そういうのじゃねえよ。


「普通に考えてさ、鍵がかかっているのに、どうやってここに入るんだよ。

 ここに逃げ込む奴なんていないだろ。完全に無駄じゃないか。

 お前も、無駄に扉を壊しただけだぞ?」


 すると淡いが、

「ああ、言っておくが無駄ではないぞ」と否定した。


「無駄ではない。私のストレスが発散されたから、無駄ではないのだ」


 たちが悪い。

 俺、コイツに関わりたくないよ。

 ストレス発散で扉を壊すって、人格がヤバいだろう。俺も人のことは言えないが。


「なんだ、お前も扉を壊すのか?」


「んなわけあるか。俺は物に当たったりしないんだよ。

 強いて言うなら、人に対して当たる感じかな」


「私より最悪じゃないか」


 淡が厳しい一言を俺に告げる。まあ、そうなのだろう。

 最悪とまで言われるとさすがに傷つくが、傷つくべきことをしている、と自覚をしているのでなんとか堪えることができた。


「その内、私に当たってきそうで怖いのだが」


「お前に当たるわけないだろ。つーか、他人、友達、親族、恩人には、俺は当たらないよ」


 すると、「?」と淡が、

『なに言ってるんだコイツ?』とでも言いたそうな視線を向けてくる。


「他人友達親族恩人と言ったら、お前、他にいないじゃないか。

 全部出てるよ、お前は一体、誰に当たっているんだ?」


 うん? 案外、気づかないものなのか。

 別に、意図的に隠したわけではないが、しかしこうもばれなかったというのは、案外、嬉しいものである。なんだか人の上に立っているような、高揚した気分だった。


「ま、それはもういいじゃないか」


 そうはぐらかすと、「言えよ」と淡の殺意が飛んできた。

 こんなことで向けられるものじゃないと思うのだが……。

 やっぱり淡は、どこかずれているのだろうなあ……、人間よりも斜め上に、ずばーんと。


 俺はこれ以上、隠す気もなかったので素直に言う。

「自分だよ」


「は?」

 予想通りの反応があったところで、さてどうしようか。

 説明するべきなのか、だとしたらどう説明するべきなのか、どうすればいいのか。

 誤魔化せないし、あしらうこともできないし、もちろん、嘘などつけるはずもない。


「えーと」と言い淀む。

 言わなければ良かったなあ、と自分の口と喉を恨むが、もう過ぎてしまったことに文句を言っても、こっちが疲れるだけだった。

 無駄なことはやめよう。それよりも、今は現状打破することを考える。


「だから、自分自身。もちろんドMなんかじゃない」

 それだけは勘違いしてくれるな?


「えーと、つまり、自分自身にきつく当たるってことなのか? 

 それとも自分で自分を傷つけたりするのか? それはそれは……、妖怪の私から見ても、かなりやばいと思うぞ?」


「自分で自分を傷つけたりするか。そんな痛いことしねぇよ。

 でもまあ、そうだな、今までやったことは、一週間、なにも食べないとか、ストレスが溜まった時に、そんなことをしていたような……していないような。

 あとは寝ないとか。体に無理をさせるって感じかな」


 痛みがなくて、少し気怠いくらいがストレス発散にしてはちょうど良い。

 これは俺のやり方なので、危ないとか気持ち悪いとか、しない方がいいとか、そんなことは分かっているので、言わないでくれるとありがたい。

 あなたがしなければそれでいいじゃないか。俺を止める人には、今までそう言ってきた。

 なんであんなにも心配してくるのか……、親切も度を越せばうざいのだ。


「しかし、そんなもので本当にストレス発散などできるのか?」

 淡が聞いてきた。


「人によるだろ、これは。

 俺は大丈夫だけど、お前じゃ無理だろう?」

「それは……まあね」


 淡いは対抗せずに返してきた。


「分かりやすく言えば、いや、分かりやすいかは分からないけど、たとえるとしたら、雨みたいなものだと思うけどね――」


 淡が不思議そうな顔をする。

 無視して俺は続けた。


「雨って、少し濡れただけもうざいだろ? 一か所が湿っていると、そこだけが周りと違くて、肌触りとか、ムカつくと思うんだよ。それに、他の場所との統一感もなくなって、見た目にもイライラする。

 だったら、いっそのこと全身が濡れてしまえばいいんじゃないか? そうすれば、濡れた場所が増えていき、見た目にも統一感が出るし、肌触りも全身まで染まれば、それが普通だと認識できるようになる……と、説明したけど、たぶん伝わってないよな?」


「そりゃな」

 短く簡潔に返してきやがった。


「とにかく、自分を追い込むとか、あえて苦しむことで発散していると、そう思ってくれていればいいよ。だから俺は自分に当たってるんだ」


「お前の感覚は理解できないよ」

 されても困る。

「しかし、私はそういうお前を気に入ったんだ。これを聞いて文句なんてなにもないよ」


 されたところで、変えるつもりも毛頭ないが。

 ただまあ、受け入れてくれるのならば、文句はない。受け入れられないのならば、俺はそいつとの関係を切ると思うが、受け入れてくれると言うのならば、俺は、淡とは今後も縁を切ることはなさそうだ。


 長い付き合いになりそうだな、と淡の横顔をチラリと見て、すぐに前へ戻した。


 淡によって破壊された扉は、化学室の壁に当たって大破していた。

 これ、後で問題になりそうなのだが、大丈夫かよ……。


「私のしたことだ。怪異現象ということで済むだろう」

 俺が入った形跡が残っていれば、疑いは俺に向けられるんだよ。


「そんなことか。別にいいじゃないか」

 おいおい、良くないから言っている。


 俺の熱量とは反対に、淡はもうその話についてどうでもいいのか、意識がまったく別の方にあった。


「私、あれやりたいな――フラスコに液体を入れて、ボンっ、てなるやつ」


 爆薬を作る気か、コイツ。


「できないことはないと思うけど、俺、分からないぞ? 知識なんてなにもないんだからな」


「授業で聞いていないのか、お前は」

 え? 変なことを言う奴だな……。


「聞いてるはずがないだろう。淡は馬鹿だなあ」


「……だろうなあ」


 なんだか納得している様子だったが、これは俺、馬鹿にされているのか?

 別に構わないけどさ。


「ふむ。じゃあ漁って漁って、ぐちゃぐちゃにしましょうかー」


 淡が流れるように歌った。


「こんなところにいるわけないと思うけどなあ」

 だが、思うだけで証拠などなにもない。

 いるかもしれないし、いないかもしれない。


 二択だ。一択ではなく、二択。

 この時点で、なにもせずに引き返すという手は存在しない。


「せっかく入ったのだから、遊ぶのは常識だろう?」


「気持ちは分かるけど……」

 俺としては頭を守らなければいけないわけで、遊んでいる隙にやられる、というのが今、一番恐い。とにかく恐怖だ。だから気が抜けない。遊ぶことも中途半端になってしまいそうだ。


「遊ぶなら危ない薬品とか――は……」

 

 と、俺の口が無意識にゆっくりと開いていく。

 言葉が口から出せない。

 なんだ、なんだろう……? 俺の目の前にある光景が、理解できない。


 それは淡の方も同じだったが、しかし俺よりも慣れているのか、すぐに行動に移した。


「ふふふ、勘は当たっていたのかもしれないな。

 ――いるぞ、うつろ。ここにうたいがいるっ!」

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