聖者の本性

 「マリベル、ごめんね。」

 父は最後まで病床で、情けなく眉を下げていた。

 「一人にして、ごめんね。」

 「お父様、お父様…!」


 あの時ばかりは、マリベルは『聖者』ではなかった。

 人目も気にせず、父親に抱き着いて、泣いた。


 父からは少しずつ、体温が失われていき、完全に体が冷え切ってしまった。それでもマリベルはずっと父にしがみついていた。




 その父のぬくもり再びを感じ、神に感謝したのは、わずか1週間前。

 この1週間、目覚めるたびに実感する。

 

 本当に、世界は、自分が8歳の頃に戻ったのだ、と。


 「マリベル、ほら、マリベルの好きなグレープフルーツだよ!お父様がカットしてきたんだ、ほら、食べて。」

 「あ、あぁ…はい。」

 「あ、ごめんごめん、スプーンがないね、持ってくるからね。マリベルはそこから動いちゃだめだよ!」

 「いや、あの、お父様、」

 「すぐ持ってくるから!」


 あれからわずか1週間。

 あれほどまでに再会に涙した父親の存在が、すでにうっとうしい。


 「はい!持ってきたよ!ほら、マリベル、あーんして。」

 「はい、あーん…って……流石にもう邪魔ですね、お父様。」

 「え!?グレープフルーツ嫌だった?レモンのハチミツ漬けもあるよ、そっちを持ってこようか?」

 「いや、うるさい!もう邪魔!」


 この父、コルーダは娘、マリベルのことが大好きだった。

 母親が死んでからこの2年、涙一つ見せることなく気丈にふるまっていた娘の涙に動揺し、仕事まで休み、異常なまでに世話を焼いている。


 マリベルだって父は好きだ。

 すきだが流石にうっとうしい。

 父親が邪魔すぎて、普段なら1日で読める10冊ほどの本を読むのに、1週間もかかってしまった。

 

 「お父様、私病人ではないんです!ほっといていいですから、いい加減仕事に行ってください!」

 「で、でも、」

 「でもも何もない!私も本を返しに王宮図書室に行きますから!」


 父に借りてきてもらい、1週間かけて読破したのは、すべて『神獣』にかかわる本だった。

 

 何故自分が殺されなければならなかったのか。

 あの時、何故青狼が現れたのか。

 時が巻き戻ったことと、神獣は何か関係があるのか。


 読めども読めども、具体的なことは書かれておらず、何もわからなかった。


 「あ、返しに行く必要はないよ!」

 「でももう1週間も借りてますし…」

 「いや、その本全部、買ったから。」


 コルーダは、言葉を発すると同時に『しまった』と言わんばかりに視線を泳がせた。


 「…買った…?これを、全部…?」

 マリベルはほほ笑んだ。以前は『聖者スマイル』と言われていた笑顔を浮かべただけであるにも関わらず、その顔を見たコルーダはぶわっと汗を浮かべた。

 「私は、借りてきてほしい、といいましたよね?」

 「あ、うん、あの…でも、図書館に向かう途中の本屋さんから、本が売れないと店が潰れちゃうって言われて…」

 「…それで買った、と?この高そうな本を?10冊も?」

 「う、うん。でも本屋さんも、これで店が潰れずにすむって、」

 「本10冊の売り上げで潰れないんなら、買わなくても潰れないでしょ!!!」


 全く、この父親は。


 「この本10冊分のお金があれば、家のひびだらけの窓ガラス直せたでしょ!パンだって買えたでしょ!」

 「あ、でもほら、今は庭のジャガイモがたくさん…」

 「そんな毎日芋ばっかり食べてられるかぁ!!!」


 どんな時でも穏やかに笑みを浮かべ。

 どのようないじめを受けても、静かに耐える。

前の時間軸で『聖者』とまで言われたマリベルの、本性は、これである。


 「本なんて借りれば十分!一回読めば頭に入ります!本屋だってただの営業トーク!何かい騙されたら気が済むんですか!」


 マリベルは思う。

 自分が、心の中身まで、『聖者』のようになれなかった一つの原因は、この父親であると。


 父は極度のお人好しで、困っている人には簡単に手を差し伸べる。

 それ自体は悪いことではないが、それゆえに騙されやすい。

 幼いマリベルが、『人を疑う』ということを覚えなければ、バレリー男爵家の金銭はすべて詐欺師に流れ、毎日毎日芋をふかして食べる生活を送る羽目になる。


 それゆえ、マリベルは童話の聖者マリーのように、純粋無垢ではいられなかった。

 人を疑い、言葉の裏を読み、金銭感覚もシビアなしっかり者に育ったのだ。


 「あ、え、えっと、それなら、そうだ!孤児院にでも持っていったらどうかな?読み終わった本。」

 「…それはいいですけど…。」


 孤児院、そうだ、孤児院。

 マリベルの頭からすっかり抜け落ちていた。


 本に夢中になり、すっかり忘れていたが、8歳の頃といえば、ほぼ毎日孤児院に通っていた。

 「そうだ、いかなきゃ。みんな、大丈夫かしら…」


 マリベルは数冊本を抱えて、慌てて立ち上がった。


 「まだ駄目だよ、安静にしなきゃ、」

 という父親の手を振りほどく。

 「お父様も仕事に行ってください!本10冊分、いつもより多く給金もらわないといけませんからね!!」

 マリベルの鬼のような形相に、父親はぴよっと目じりに涙を浮かべた。


 しつこいようだが、これが、前の時間軸で『聖者』と呼ばれた女性の本性である。

 

 


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