1-2 江戸時代
この日ノ本で20年しか存在しなかった時代が江戸時代である。
これは佐伯斉雲が朝廷に征夷大将軍に任命され江戸に幕府を開いたためこの呼称で呼ばれる。
元々民による国家を目指していた斉雲は征夷大将軍職を受けるつもりは無く朝廷を解体し、新政府による政治体制確立を目指していたが当時の情勢的に高度な中央官僚団を形成していた佐伯斉雲ですらそれは不可能であった。
その為斉雲は征夷大将軍職を用いて強権的な政治、内政、軍政改革を行うことになった。
多くの専門家は日本史ではここが最もこの列島が変化した時期と言う。
ここでは、佐伯斉雲が新政府へ移行するために行った政策を見ていこうと思う。
日ノ本が民主国家へと向かうために最も必要なことは教育であった。
当時はある程度の身分の者しかまともな教育が受けられず、また教えられることも
千差万別であったため教育格差が生じている状態であった。
それを佐伯斉雲は既にモデルケースとして既に江戸で実施されていた学校教育制度を全国に普及させ、全国国民に対して初等教育を行った。(小6、中3制)
この時の教育指導要領はとても優れており一部を改良され現在も使われている。
なおこの中には(特に数学、理科分野)では世界で発見されていなかったことを教えており世界でも使われているものは多い。
また学校教育制度施行当時はまだ子供を学校へ通わせるということに否定的な親が多かった、これはまだ子供は労働力であると考える親が多かったからである。
このため早急な農業改革を迫られることになった江戸幕府だが幕府はこれに対しての対応を先送りにし、これに対する解決策を出すのは新政府へ移行してからとなる。
次に行われた政策はインフラ整備であった。
各都市を結ぶ街道が整備されどんな山村でも可能な限りの上下水道が整えられた。
この時の浄水設備は現代で考えれば幼稚な物であるがこれによって疾病があまり流行せずに国民の健康へ繋がるのを考えれば画期的なものだった。
それ以外にも各地を繋ぐ郵便制度が創られ各地に住所が割り振られると物品の流通が活発化し経済発達が加速することになる。
佐伯家の支配下にあった地では既に行われていたが身分差を無くしどんな者でも自由に好きな職に就く事が出来るようにしたのが江戸幕府の最大の功績であろう。
最後は外政である。既に軍としての体制を整えていた幕府軍は征夷大将軍佐伯斉雲の命により琉球仕置及び樺太仕置を開始した。
樺太は支配者が居なかったため占領し、
琉球王国国王尚氏に対しては日本皇国(海外に対しては日本皇国を名乗っていた)の支配下になるよう通達、これを許諾したため占領軍による一時的な軍政を開始した。
そして征夷大将軍 佐伯斉雲は民主国家へ向けた土台は整ったとして独立機関新政府準備委員会を設立し朝廷に対し「あなた達の最後の仕事だ」と言って将軍職の返上を
申し出た。
国民同士で100年以上争っていたのにいきなり民主国家は無理だよね、ということで20年だけ江戸幕府を登場させました。ああ、士族の反乱は幕府軍が叩き潰してます。
さて、次回は朝廷の公家さん達に最後の仕事をしてもらって大日本帝国を建国しようと思っております。ご意見、ご質問等ありましたらどんどんください。
しっかり応えさせていただきます。 海野快斗
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