第2話「宙賊」

「レナ様、少々、よろしいしょうか? 」


 宇宙船「ベルーガ」の艦船運用支援AI、「デア」からそう呼び出しがあったのは、レナが船内の調理室で、焼きあがったケーキのスポンジに塗るためのホイップクリームを泡だて器で泡立てていた時のことだった。


「なぁに? デア」


 レナは泡だて器のスイッチを切らないまま、少しめんどくさそうな声でデアに答える。


「私、今、手が離せないの。せっかくケーキを焼くんだから、ホイップクリームはなるべくなめらかに、口当たり良くしたいのよ」

「申し訳ありません、ご主人様。ですが、不審な宇宙船が航行しているのを見つけてしまいまして」

「不審な、船? 」


 レナはボウルに入ったホイップクリームを泡立てる手を止めて、デアが自分のことを見ているであろう室内カメラの方を見上げ、軽く首を傾げた。


「はい。おそらくですが、宙賊の密輸船ではないかと」


 そして、デアのその言葉を聞いた瞬間、レナの顔色が変わった。


「そう。それなら、仕方ないわね」


 レナは小さく嘆息して、泡立ての途中だったホイップクリームを少し残念そうに見下ろすと、泡だて器を置いて、身に着けていたエプロンを脱いでたたみ、早歩きで操縦席へと向かった。


「デア。情報をちょうだい」

「かしこまりました、ご主人様」


 操縦席に腰かけるなりそう命じたレナに、デアはその命令を予期していたかのように可動式の3Dモニターをレナの正面に展開し、そこに画像を表示させた。

 そこにはベルーガを中心とした球体座標系が表示され、その1点にデアが言う「不審船」が表示される。


「拡大して」


 レナの指示でその不審船の映像が拡大される。

 その映像を見て、レナは不思議そうに眉をしかめた。

 それは、ありふれた船だったからだ。


 レナは、その船を良く知っている。

 何故なら、その船はレナの父親の会社、「ノービリス・グループ」の製品の1つだからだ。

 恒星艦航行が可能な船としては比較的小型だが、快速で操縦が容易な船として人気の高い船であり、人類が地球に住んでいたころに実在した船の種類の名前を取って「ブリッグ」と名づけられている、何度もマイナーチェンジをしながら販売されてきたロングセラー商品だった。


「ただのブリッグじゃない? いろいろ手は加えてあるみたいだけど、ほんとに宙賊の密輸船なの? 」

「そう思います。正規の航路を外れたところを航行していますし、安全運航に必要なレーダーなども作動させていない様です。人目につかない様にコソコソ航行している理由が他に思い当たりません」

「なるほど、ね。……いいわ、とりあえず確かめて見ましょ。デア、あの船と通信できる? 」

「もちろんです、ご主人様」


 レナにそう答えるのと同時に、デアはレナの口元まで通信機のマイクを移動させた。


「ありがと」


 デアは気の利いたところを見せたデアに微笑みかけると、通信機のスイッチを入れた。


「こちらは、人類連合政府公認の「賞金稼ぎ」、レナ・ノービリスです。そこを航行中の船、応答してください。貴船は通常航路を離れて航行しており、また、船舶の安全運航に必要なレーダーなどの機器を作動させていませんね? 何故でしょうか。もしトラブルならば、こちらでお手伝いできますが。どうぞ」


 レナは、頭ごなしに「宙賊だろう」とは言わなかった。

 ブリッグの行動はかなり怪しげなものだったが、まだ「クロ」と決まったわけでは無いからだ。


 しばらくして、呼びかけに応答があった。

 ややしわがれた、肝の座っていそうな女性の声だ。


≪あー、あー、こちらは民間運送会社「ラトロー」所属の貨物船。協力の申し出に感謝する。だが、心配しないで欲しい。確かにレーダーが故障中だが、この辺りはあたしらの庭みたいなもんなんだ。助けてもらわなくてもこちらは無事に航海を続けられるよ≫

「なるほど、故障ですか。事故ですか? 」

≪いいや、老朽化だ。会社の経営が苦しくてね、経理の連中がなかなか予算をくれないんだ。機嫌がいいと動くんだが、今は、ご機嫌斜めみたいでね≫

「それは、大変ですね。ところで、通常航路から外れているのは? 」

≪他の船とぶつからない様にさ。レーダーの機嫌が悪くて、こっちから他の船が見えないからね。なぁに、いつものことなんだ、こっちの外れの航路だって、あたしらは慣れっこさ≫


 ブリッグからの返答を聞いて、レナは困った様な顔になる。


「参ったわ! 怪しいけれど、一応、筋は通ってる」

「その様ですね、ご主人様。といっても、レーダー不調のままでの運航は整備不良、立派な犯罪ですが」

「でも、私みたいな賞金稼ぎの仕事じゃない。……宙賊相手じゃなければ、私たちの出番はないのよね」


 レナはそう言って黙り込み、しばらく悩む。

 そんなレナの耳に、ブリッグの女船長からの通信が届く。


≪ねぇ、お嬢ちゃん。もう行ってもいいだろう? こっちも毎日の食い扶持を稼ぐために必死で働いているだけなんだ。あんまり、手間をかけないでおくれよ≫


 船長からの言葉に、レナは「カマをかけてみようかしら」と呟く。

 そして、無線機のスイッチを入れた。


「分かりました、船長さん。ですが、一応、積み荷を確認させていただけませんか? 実は、宙賊がこの辺りで密輸を行っているっているタレコミがあったんです。ですから、念のため、そちらに乗り込んで確認をさせてください。もし、そちらが本当にただの民間船であったら、お詫びとして目的地までの護衛をさせていただきますから」


 レナの申し出に、ブリッグの女船長は答えなかった。

 その代わりに、船のエンジンを全開にして、猛烈な勢いで加速を始める。


「逃げますね」

「逃げたわね」


 デアとレナは同じタイミングでそう呟くように言う。


 それから、レナは、獰猛(どうもう)な笑みを浮かべた。


「デア! あの船を追いなさい! 絶対に、逃がすんじゃないわよ! 」

「かしこまりました、ご主人様! 」


 デアはレナからの指示に答えると、ベルーガのイオンエンジンの出力を全開にし、急加速用のアークジェットエンジンにも点火して、逃げるブリッグを解き放たれた矢の様に追いかけていった。

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