決闘


 ――冴え冴えとしたまばゆい程の満月が中天から下界を照らし出す。


 そこは静寂を極めた荒涼とした無人島だった。宮本武蔵と佐々木小次郎が決斗をしたのは今から四百年前だと言うが正確には諸説あってはっきりとはわかっていない。


 望月丈は海岸沿いを何度も行ったり来たり歩いていたが、約束の時間が迫るとは足を止め、夜景に映える関門海峡の雄姿をただじっと見つめた。その表情は微塵の隙もなく、神経は張りつめられ、戦慄を覚えるぐらいの凄さを秘めていた。


 その背中にはなにか哀愁のようなものが貼り付いていた。戦う戦士の哀愁、悲哀とでも形容すべきものだ。

 望月はこの島に泳いで渡った。望月にすれば朝飯前の芸当である。そしてこの小さな島の地形などの頭に入れた。下調べも怠っていなかった。この戦いが望月にとって生死を別ける恐ろしい決闘であることがうかがわれる。


 約束の時刻になると望月はまるで墓碑のように見える佐々木巌流之碑の前に立った。そして暫らく目を閉じて瞑想でもするようだった。すると途端に鋭い声が闇を切り裂いた。


「よく来た! 望月!」 


 望月が目を開けるとなんと怪人は黒い服の裾を風になびかせながら、大きな岩のような石碑に軽々と乗っていた。なんというバランス感覚だろう。怪人は片足で石碑に乗り、例によって人を喰ったように笑っているのだ。


「望月! 今日はおまえの命日だ!」


 怪人はそう言ったか思うと、ふっと闇に紛れるように消えた。望月は瞬時に黒豹に変身していた。迷うことなくそうする事を本能が知らせたのだ。ちょっとした隙や、油断は直ぐに勝敗をわける大きなポイントとなる。望月があたりに神経を集中させると、ざわざわと頭上で黒い梢が音をたてていた。


 上空に風がある。聞こえるのは波の音で、それ以外に音はない。潮の香ばかりで敵の臭いがない。相手がつかめない不安が湧き上がると同時に望月が走った。身を低く保って黒豹は疾駆した。


 しなやかな黒い毛並みが鏡のように月光を反射して青白く輝いた。耳をそばだてるが足音がしない。相手は恐ろしく速い奴か、さもなければ姿を消せるのだ――。


 走った。いつの間にか全速力で黒豹が走った。しかし後方に気配がある。確かに気配がある。それは背後にぴったりとついてきている。相手を振り切るのは不可能だった。


 その時、海岸にある外灯の明りが微かに揺らいだ。その途端に刃物のような爪が望月の身体に唸った。最初の一撃を望月は間一髪で交わした、しかし二回目のそれをかわしきれなかった。狙い澄ましたような一撃が望月の背中を襲った。

 血の混じった黒い毛が、バサッと切れて空中に吹き飛んだ。まるで悪魔の大釜で切り裂かれるようだった。

 間髪入れずに望月は身を反転させて牙を剥いたが、まったく相手には届かなかった。宙を踊って望月の身体が地面に転がった。途端に鋭い痛みが望月の全身を突き抜けた。その瞬間に望月の背後から牙が閃いて、悪寒を覚えるぐらいの牙が横腹に突き刺さった。望月は激痛をかみ殺し、呻き声を呑み込んだ。

 

 望月の動きが止まった。その場にうずくまるようだった。


「ははははははっ!! どうした望月、まるで形無しじゃねえか! どうやら勝負は決まったようだな。俺にはお前も歯が立たねえんだ。速さが違うんだな。俺にはお前が見えるが、お前からは俺の動きは見えねえ。聖獣の血を引くのは俺だけで十分だ。継承者は二人はいらねえ。死ぬんだな望月、兵頭なんて糞だ! そして俺がナンバーワンになるんだ!!」


 小延の吊り上がった目は尋常ではなかった。血走り、猛り狂う怪物の目こそが今の小延の目だった。望月はその嘲笑ちょうしょうをききながらずるずると後退していった。そこは海岸の公園のような場所だった。その横にこんもりとした茂みがあった。灌木の暗い茂みだ。そこに望月は這いながら逃げるようにして移動して隠れた。


 相手は強大な蝙蝠だったが、その体はしなやかに躍動していた。そして黒い顔から赤い舌がのぞいていた。おぞましい怪物の表情だ。


「そんなところに隠れたって駄目だぜ! 往生際が悪いぞ! 望月」


 黒い大蝙蝠はそう言い放ってじりじり茂みに近づいた。周到に最後のとどめを刺すかまえだ。と、その瞬間に思わぬことが起こった。望月が最後の力を振り絞って跳躍したのだ。力のまるでない気の抜けたような跳躍であった。


 一瞬目を見張った小延だったが、その期を待ち受けたように間髪入れずに襲いかかった。ぎらりと光る鋭い牙が黒豹の喉笛を貫いた。豹の首が異様な方向にねじれて地面に転がった……。


 が、それと同時のタイミングで蝙蝠の喉に黒豹の牙が深く喰いこんだ。

 完全に不意を突かれた大蝙蝠は苦し紛れにもがいたが、その牙は小延の急所を完全にとらえて放さなかった。完全に相手を仕留めたと早合点した蝙蝠に隙が生じた。そしてその一瞬の隙を望月は決して逃さなかった。


 しかし、黒豹の首は悲惨を極めて地面に這ってしまったのではないのか? まさか望月は二人いたのか? いや違う。大蝙蝠が襲いかかったのは黒豹のぬいぐるみなのだ。それも精巧につくられた剥製のようなぬいぐるみだ。


 実は望月は昨日にもこの島に来ていた。そしてあらかじめ等身大の黒豹のぬいぐるみを茂みに隠しておいた。そして巧みに相手をその場所に誘導したのだ。後はもう語るには及ばないと思う。望月はスピードでは相手が一枚上である事を予感していた。そして策を講じて相手を葬ったのだ。


 大蝙蝠、小延はやがて仰向けに寝たままついに息絶えた。恐ろしい怪物の哀れな最後であった。


 望月は勝った。策を弄したとはいえ、望月は勝った。しかし彼の胸には喜びより、憂いが渦巻いていた。

 人間に戻った望月の頬が満月に照り映えて青白く輝いていた。怪物の背後に強大な敵がいる。それは兵頭率いるブラックナイトだ。

 それを思うと望月の闘志がまた燃え上がった。凛々しい黒豹の眼光が鋭くきらめいて夜空を仰ぎ見ていた……。


        



                了

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聖獣の系譜 松長良樹 @yoshiki2020

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