望月の想い


 望月丈は世間では英雄視されつつあった。いっきに国中にその名と活躍が知れ渡ったのだ。もちろんそれは彼の好むと好まざるとによらなかった。その日を境にして仕事の依頼、問い合わせが相次ぎ、彼は一人でその対応に追われ、とても忙しくなってしまった。

 依頼内容のトップは人探しや事件の依頼、身辺調査、その他種々雑多で、ボディガードや会計事務の仕事さえその中に含まれていた。出来そうもない仕事は最初から断ったが、こんなに仕事があるのなら面接して人を採りたいところだが、今の望月には人の採用が躊躇された。だからその仕事をそっくり外注したりして場をしのいだ。


 須藤研一や伊藤理香をスタッフに迎えたいところだが、危険が彼らに及ぶかもしれないのでそれも出来なかった。望月はたった独り、事務所の窓から東京の寒々とした夜空をしばらくじっと眺めていたが、やがて瞑想でもするように目を閉じた。来たる四月十四日にあの決闘の日が控えている。今から二週間余りの先だが、相手は未知の強敵だ。必ず勝てると言う保証なんてないし、戦いを放棄してどこか異国にでも行ってしまいたい気持ちも少なからずあった。


 望月は以前黒川に聖獣の血を打たれてしまった時、自分が怒りや恐怖で黒豹に変身してしまうのをずいぶん悲観し、黒川の助手の仕事を辞めて船に乗った。船員にはなれなかったが甲板部員として働いたことがある。それはきつく慣れない仕事だったが望月の生まれつき持つ体力がそれを支えた。そして見知らぬ外国の地を目的もなくさまよった経験がある。その荒んだ時代に彼は自暴自棄になり、右腕に錨のタトゥを彫り込んだのだ。そういう昔をふと思い出す望月なのだった。


「敵を知り己を知れば百戦危うからず」これは、孫子(そんしは、中国春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書)の有名な一説だが、実はこの言葉を望月は座右の銘にしている。なぜなら望月は敵と戦う際に相手を知るどころか、ただ怒りだとか憎悪だとかで衝動的に戦ってしまう傾向が強いからだ。これまで彼が負けなかったのはただ運が良かっただけなのだ。しかし今度ばかりは望月も考えなければならないだろう。


 どうやって未知の相手に勝つか? 考えてみれば敵の力はまったくわからない。孫子では敵の力量が解らなければ戦うなと説かれてある。


 そんなことを思っていると、不意にドアにノックの音がした。こんな時間に誰だろうか。ドア越しに様子をうかがい、小さな覗き窓から外を見ると一人の男がそこに佇んでいた。紺のスーツ姿であった。


「どなたですか?」


 そう問うと男は警察の者だと言う。仕方なくドアを開ければ男は意外な程の低姿勢でこう言った。


「失礼します。私は警視庁から来ました。小布施直太朗といいます」


 そういって男は警察手帳を掲示してみせてから名刺を差し出した。歳の頃なら三十位だろう色白で面長の顔に理知的な大きな瞳が特徴的であった。髪は短めに刈り込んである。刑事らしいごつさはまったく感じさせない。まるでセールスマンみたいな物腰であった。


 名刺には警視庁刑事部・捜査課第一課長・小布施直太朗、そう書かれてあった。望月は多少うんざりした。というのも警察署でさんざん今回の事件の件で尋問みたいに質問攻めにあったからだ。


「今回の誘拐事件では大変、警察にご助力いただけまして感謝しております……」


「なあに、俺はただ妹さんに頼まれただけだから半分ビジネスですよ。それにもうお話しできることはことごとくお話してあるつもりなのですがねえ」


「ええ、しかしエリカさんを誘拐した怪人の正体が全く分からないのです。頭が痛いですよ。何しろ奴は客と警官三人に重傷を負わせ、腹を抉られた浜野というベテランの警部補は一昨日病院で死にました。彼はもう数か月で生まれる孫の顔を見ないうちに殉職してしまったのです。痛ましい限りです。なんとしても犯人を挙げなければ警察の威信に関わります」


「……」


「ところで望月さんは犯人に接触されたのですよねえ」


「はい、そうです」


「あなたは格闘の上、自ら傷を負いながらも彼らを倒した。相手は計四人、二人は気絶させたけれど、あとの二人は……」


「二人はおそらく死んだと思いますが、そのところはあまり思い出せないのです。思い出したくもないのです」


「相手を殺したのですか? どうやって? あなたは武器も何もお持ちではなかったですよねえ」


「俺には武道の心得があるのです。総合的な格闘技をマスターしています」


「……正当防衛ですか」


 小布施はそこでちょっと考え込んだようなそぶりを見せたが、すこし間をおいて言った。

「しかしそれにしても色々と不思議なのです。現場の警察が直行したときには誰もいなかった。あなたが現場から病院まで二十分ほどかかったという証言をそのまま信じて、そこから警察に連絡をいただいて三十分、合計五十分あまりの時間に犯人は消えた」


「それは気絶させた二人が意識を回復させ、死体が見つかるのを恐れてどこかに隠したのでしょう、死体が色々な事実を語る恐れがありますからねえ」


「そして須藤さんも危ない目に遭われた。偽の警官たちが彼の家まで来たんですからねえ。で須藤さんと伊藤さんは、望月さん。あなたが燃えた府中の洋館に監禁されたいたと証言している。そしてあなたはそこから自力で脱出して、あの二人まで助け出した。凄い。でもどうしてあなたはあの洋館に監禁されたのですか?」


「その辺の事はもう何回も話しましたが」


「そうですか。ところで二人は望月さんの事を憧れをこめて超人だと言ってます」


「……」


「で、話は変わりますが、あなたはクラブクリスタルで事件を起こした怪人を見たことがありますか?」


「いいえ」


「……あなたはこの事件の背後には、犯罪組織があると証言している」


「ええ、そうです」


「そこのところをぜひ、おうかがいしたいのです。その犯罪組織とはいったいどんな犯罪組織なんです? それに不思議な事がもう一つある。あなたはエリカさんを救急病院に運んだ時、肩口を負傷していた。肩から血が流れていたんだ。あなたを見た外科の医師が証言しています。なぜその時傷の手当をしなかったのですか? それに、それに今、お見受けしたところではあなたの肩の辺になんて傷なんてあるようにみえない。そぶりさえないじゃありませんか、もう完治しているのですか? もし完治しているならあなたは常人ではない。超人ですよ」


 刑事小布施の口調はあくまでソフトだったが、その裏側の鋭い洞察力と探究心を望月は直感していた。どうやらこの男は警視庁でも名うての刑事かもしれない、望月はそう思った。


 しかし望月はブラックナイトの名を明るみに出さなかった。これ以上関わりたくないと言う気持ちがそうさせたのだ。望月は窓から東京の夜景を眺めながらかたく唇をかんだ。



 

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