第11話 結婚相手の兄妹

「エディ」


背後から声をかけられてエディングと共に振り返ると彼によく似た顔立ちをした男性が立っていた。


「兄上」


声をかけてきた人物の名はエディングの兄。

ゲアート・グラニート・シュテルクス卜殿下。

シュテルクス卜帝国の第一皇子。そして皇太子。

年齢は二十七歳。

黒髪と群青の瞳はエディングとお揃い。軍人じゃないゲアートは背こそ高いが華奢な体格をしており、優しい雰囲気の持ち主。ただし頭が切れる人物と評判な人物でもある。


「レイチェル嬢、久しぶりだね」


垂れ目を柔らかく緩めるゲアート。顔の造形は違うのに笑った顔はエディングによく似ている。

そう思いながら腰を折った。


「お久しぶりでございます、ゲアート殿下」


ゲアートは皇太子だ。

友好関係を結ぶベシュトレーベン王国によく訪れている。その縁で知り合ったのだ。


「明日には家族になるんだ。義兄上と呼んで仲良くしてくれ」

「それは…」


無理ですと言う前にゲアート殿下が口を開いた。


「と言いたいところだけど愚弟が嫉妬するから今まで通りでいいよ」


楽しそうに笑うゲアート。

愚弟とはエディングの事だろう。隣に立っていた人物を見上げると顰めっ面になる。


「レイが他の男と仲良くするのは嫌だ」


私の視線に気が付いたエディングは拗ねたように呟いた。

これは独占欲というものなのだろうか。

それを見せているだけなのだろうか。

どちらか分からないが独占欲を吐露されて恥ずかしくないわけがない。顔が熱くなっていくのを感じる。


「二人とも仲が良いのは素敵な事だけど父上達が来る前に中に入ろう」


仲が良いわけじゃないのに。

ゲアートに促されて目の前のダイニングルームに入る。中には長机が一つ配置されており、夕食の準備が整った状態だった。

どこに座るべきなのだろうかと迷っているとエディングに腰を引かれる。


「レイは私の隣だ」

「僕もレイチェル嬢の隣に座って良い?」

「兄上は向かい側に座ってください」

「それは残念」


最初から私の隣に座るつもりなんてなかったのだろう。揶揄うような笑みを見せたゲアートはエディングの向かい側の席に座る。

その瞬間、ダイニングルームの扉が大きく開いた。


「エディお兄様の奥様はどこですか!ご挨拶しなくては!」


慌てた様子で入ってきたのは第一皇女ティベルデ・トゥラ・シュテルクス卜殿下だ。

年齢は十二歳。

ふわふわの銀髪にくりくりと大きな翠の瞳を持つ美少女。小さな身体を動かしきょろきょろする姿は愛らしく祖国にいる従妹を彷彿とさせる。

まだ社交界デビューをしていない彼女と会うのは初めてだ。


「あ、貴女がエディお兄様の奥様ですわね!」


目敏く私を見つけたティベルデは嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「初めまして、ティベルデ・トゥラ・シュテルクス卜でございます!第一皇女です!」


駆け寄ってきたティベルデは勢いよく挨拶をしてくれた。

淑女としては色々と間違っているがここは公式の場じゃない。大目に見た方が良いのだろう。それに周りも温かい目で見守っている。


「お初にお目にかかります。ベシュトレーベン王国から参りました、レイチェル・エルゼ・ツァールトと申します。よろしくお願い致します」


明日には妹となるといってもティベルデは皇族だ。適当な挨拶は出来ない。席を立ち上がり、祖国では完璧と称された淑女の礼をしてみせた。


「レイチェルお義姉様…。素敵な方ですわ」


顔を上げるとキラキラと目を輝かせる美少女と目が合った。

うん、可愛いわ。抱き締めたいくらい。

従妹を彷彿とさせる姿に愛らしさに悶えそうになる。


「ベル、お前もレイを見習って落ち着きを持て。淑女が走るな、まともな挨拶をしろ」


可愛いティベルデに厳しい視線を向けるエディング。

彼女の挨拶は完璧とは程遠かった。ただ十二歳の少女なのだから非公式の場くらいはしゃいだって良いだろう。兄に注意を受けたティベルデは泣きそうな表情でワンピースの裾を握り締めた。

正論だけど怖いわよね。


「ティベルデ殿下」

「お義姉様…」


ティベルデの前に座り、握り締められた小さな手をそっと包み込む。手のひらに爪の痕が薄っすらと残っているのが痛々しい。


「走るのは良い事ではありません」

「それは…」

「殿下が転んで怪我をされたら悲しむ人がおります。誰かを悲しませるのは嫌でしょう?」


ティベルデは小さく頷いた。不敬も承知で頭を撫でながら「怪我を防ぐ為にも人が多いところや物がたくさんあるところで走るのはやめましょうね」と微笑む。

今度は大きく頷く姿にもうこんな事はしないだろうと予想出来る。


「それから淑女にとって挨拶は社交界を生き抜く武器です。誇り高き皇女殿下として立派な武器を手に入れられるように頑張りましょう」

「ですが、わたくしは挨拶が得意じゃないのです」


社交界デビューをしていない彼女は挨拶する機会も、見せてもらう機会も少ないはず。

それに一度苦手という意識が付くとなかなか抜け出せないものだ。


「皆が最初から上手く出来るわけではありませんよ」

「そう、なのですか?」

「私も十二歳の頃は酷い出来でしたよ。それはもう家庭教師を泣かせるくらいには不得意でした」


公爵家として王家の血を引く者として私に課せられた教育はかなり厳しいものだった。

淑女の挨拶一つ学び終えるまでに五年以上はかかったものだ。

苦い思い出が甦ってきたわ。


「私が十二歳の頃に比べると殿下の挨拶は立派ですよ」

「わたくしは教師の方を泣かせた事はありませんわ」

「あはは…」


うん、普通は泣かせないから。

私だって泣かれるとは思っていなかったし、あの時の罪悪感は酷かった。


「……あの、私もたくさん練習すればお義姉様のように完璧な挨拶を出来るようになれると思いますか?」

「殿下でしたら私よりも立派な挨拶を出来るようになりますよ」


ティベルデは笑顔で「頑張りますわ!」と胸の前で小さく拳を作ってみせる。

上手く出来たか分からないが背中を押せたみたいで良かった。

ティベルデはもう大丈夫だろう。残ると問題は…。


「エディ様」


立ち上がりエディングと向き合うと呆然とした表情で起立の姿勢を見せた。


「正論を言うのは構いませんが言い方を考えてください。相手は十二歳の女の子なのですよ、威圧感たっぷりで凄めば怖がられるに決まっています!」

「す、すみません…」

「謝る相手は私じゃないでしょう」


ティベルデに視線を移すとエディングは膝立ちになって軽く頭を下げた。


「ベル、怖がらせてすまなかった」

「えっと、大丈夫ですわ…。わたくしが悪かったのですから…」

「次からは言い方を考える」

「え、ええ…」


動揺するティベルデを見るにこんな風に謝られたのは初めてなのだろう。

入ってきたの様子からして二人の仲は悪そうに見えなかったので叱る事も滅多にないのかもしれない。


「ぶはっ…!」


振り向くとお腹を抱えて笑っているゲアートの姿が目に入った。小さな声で「エディの奴、叱られてるよ」と呟く彼に私は顔色を青くする。

不味い。皇族を、明日には夫となる人物を敬う事なく叱りつけてしまった。


「あの、エディ様」

「何だ?」

「ち、調子に乗りました。申し訳ありません…」

「君は悪くないだろう。むしろ注意をしてくれて感謝する」


また頭を撫でられてしまう。

やっぱり既視感のある感覚だ。気持ち良さに飲み込まれそうになる。このままで居たい。

そう思うが強い視線を感じて下を向くとティベルデがこちらをじっと見つめていた。


「お義姉様はエディお兄様と仲良しなのですね!素敵です!」


子供というのは切り替えが早い。落ち込んだままで居られるよりは元気になってもらえて嬉しいけど。

純粋な眼差しで仲良しと言われると騙しているような感覚になる。


「お義姉様、わたくしのことはベルとお呼びください!」

「ベル様ですね」

「いいえ、ベルですわ!」


これは呼び捨てにしろって事なのかしら。

兄妹揃ってとんだお願いをしてくるものだ。

断りたいところだけど期待した目を向けられては断り辛い、それに幼い彼女を傷つけるような真似はしたくない。

どうしたら良いのか分からずエディングを見た。


「レイ、呼んでやってくれ」

「……えっと、ベル?」


私が名前を呼ぶとティベルデは愛らしい笑顔を見せて抱き着いてきた。

本当に可愛いわ、癒される。


「わたくし、ずっと姉の存在に憧れていて…。怖い人だったらどうしようと思っていたのですが…レイチェル様のように優しい方がお義姉様になってくだってとても嬉しいです!」


正確に言うとまだ姉じゃないのだけど。

明日には姉だし、嬉しい事を言ってくれるし、構わないだろう。あと可愛いから全部許せる。


「私もベルみたいな可愛い妹が出来て嬉しいです」

「あ、あの、わたくしもエディお兄様のようにレイお義姉様と呼んでも良いですか?」

「ええ、もちろんです」

「ありがとうございます!」


天使のような笑顔を見せるティベルデ。

本当可愛過ぎない?部屋に連れて帰りたいわ。

あまりの可愛さに失神しそうになった。


「ぶはっ……エディ、妹にまで嫉妬するなよ」

「うるさい…」


後ろでされていた会話は聞かないふりをした。

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