#17 ファハド、無茶しないで!

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詐欺を未然に防いだ礼として女伯爵に馬を紹介する幸運を得たマーガレット。同じ頃、ファハドは所有馬の出産間近の知らせを受けて牧場に向かう。ふたりが事業の進め方をめぐって議論中、夜陰に乗じて不審な男たちが現れる!

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「ありがとう、おかげで助かったわ」

 にこやかな笑みを浮かべたマージョリー女伯爵が戻ってきて、ファハドに握手を求めた。

 彼女の手の甲に敬意のキスをあてるファハド。

「礼なら、わたしの共同経営者に言ってもらえるとうれしいです」

 マージョリーが振り向く。少し頬を染めたマーガレットが立っていた。

「あなたのおかげよ」さらににっこりとマージョリーが笑いかけた。

「いえ、もちろんファハド氏の助力がなければ、こんな結果は出せませんでした」

「婚約にふさわしい贈り物にキズがついてしまうところだったわ。感謝してもしきれなくてよ」笑みを浮かべたまま、マージョリーが言う。

「ぜひ、なにかお礼をさせてくださいな」

「あの……それでしたら」思い切ってマーガレットが言った。

「婚約祝いの馬を、ぜひわたくしにご紹介させてもらえないでしょうか」

 やりとりを続ける女性ふたりに気づかれぬように、ファハドの顔に笑みが広がっていた。


   * * *


 テルフォード牧場から、今夜メイクドラマ号が出産しそうだという連絡を受けて、ファハドは夕暮れのなか、ハーパー牧場へと車を走らせた。

 牧場にはマーガレットもいる。彼女はこのところ、ニューマーケットの競走馬関係者と会うことも多く、実家を拠点にしたほうが時間の節約になっていたのだ。

 マーガレットが詐欺被害に遭ったことを父や兄はフィリップから聞いたらしいが、少なくとも彼女の前では彼らが話題にすることもないという。

 彼女からそんな話を聞いていたので、ファハドももちろん話題にするつもりはなかった。


「どうだ、ビジネスは順調か?」

 牧場に到着したファハドは、マーガレットの顔を見るなり真っ先に尋ねた。

「ええ、順調と言ってもいいと思うけれど……」

「マキャフリーのほうは、うまく立件できそうだということだ」

「よかった」

 マーガレットのほうは、ニック・テイラーが知らぬ存ぜぬを通すかぎり、事態の進展はのぞめそうもない。

 だが、少なくともこれ以上の被害者が増えなければ、それだけでもいい。

 あらためてファハドを見る。

 いつ会っても、いつ見ても、愛しさはつのる一方だ。

 だが、彼は結婚を控えている身だ。

 あのメール以来、マーガレットはファハドとは二度とそういう関係にはならないと決めていた。時折ふっと、なぜあんなメールを送ったのか、聞いてみたい衝動にかられることもある。

 でも、それを蒸し返したところでどうなる、という思いがいつも勝っていた……。


「つまり、順調じゃない部分もあるということか?」

 ファハドは相変わらず鋭い。

 マーガレットのあいまいな言い方をスルーする気はないのだ。

「ええ、マージョリー女伯爵は、ラッキーカラーだという理由で鹿毛かげを希望されているけれど、こちらがおすすめしたい最高の馬は漆黒なのよ。額に幸運の白星がついていて、そこをうまくアピールできればと思っているわ。もちろん血統も脚力も申し分ない馬よ」

「そうか。まあ、あまり焦らないことだ」

「焦ってはいないわ」

 少しつっけんどんな物言いになったのは、思いを振り払おうとしすぎたせいだった。

「どうした? きょうは、ずいぶんつっかかってくるじゃないか」

 面白そうにファハドが言う。

「そんなつもりはないわ」

 さらに素っ気ない言い方になってしまった。マーガレットは、あわてて言葉をつないだ。

「それより、今夜はメイクドラマの出産のために来たのでしょう? はやく父さんたちのところへ行ったら?」

「なんだ、その言い方は。きみがうまくやれているか心配だったから……」

 彼のやさしい声かけが、むしろマーガレットの心を苦しめる。だからついつい、反発した言い方で返してしまうのだ。

「ねえ、あなたが出資してくれたり、ひとを紹介してくれたりしたことは、心の底からありがたいと思っている。でも、もとはと言えば、これはわたしのプランよ。あまり口は出してほしくない」

 わたしは大丈夫。ひとりでも。

 そう、いつかひとり立ちすることになるのだから、その日のためにも、自分の足で立っていたい。

 ファハドは驚いた顔をしたが、すぐに反論した。

「共同出資者として意見を言うのは当然だろう? きみがもっとしっかりしていたら、こっちだって黙っていられるというものだ」

 マーガレットは、ぐっとこらえた。図星だったからだ。

「ごめんなさい、言いすぎたわ。まだまだ未熟なのはたしかだし」

 いっそメールのことを言いだせたら……。もう少しだけ心に余裕がもてるかもしれない。

「わたしのほうこそ、少し言いすぎた」

 てっきり反発が来るかと思ったが、意外なほど素直な反応をされて、ファハドも一瞬戸惑ってしまった。

 それだけ彼女はこのビジネスに賭けている……。

 それがファハドにも伝わってきた。

 いいぞ、がんばれ!

 それでこそ、自分が大切に思っているマーガレットだ――ファハドは自然と笑みがこぼれるのを隠すため背を向けて、窓から夜闇に目を向けた。

 すると、暗がりのなかを、人間と馬がうごめくシルエットが浮かびあがった。

 窓辺にいたファハドは、その視力のよさから、すぐさまその不審な動きをとらえた。

「日本馬を連れだそうとするやつがいるぞ!」

 ファハドが窓の隙間から外の様子をうかがいながら、ささやき声で手招きしたマーガレットに告げた。

 出産準備に追われる牧場スタッフの隙をついて、日本馬を連れだす不審者がいるのだ。

「いまなら追いつく。ちょっと馬を借りるぞ!」

「やめて、ファハド! 警察を呼ぶわ」

 マーガレットの小さい声に怯えがにじんだ。

「それじゃ、間に合わない。手遅れになったら、困るのはきみだ!」

 マーガレットの制止もきかず、ファハドは足音を殺して裏からまわり、レキシントン号にまたがると、不審者を追って森のなかへと消えていった。

「起こして悪いな、レキシントン」

 ファハドは以前行った秘密の小道の先に幹線道路が見えていたことを思い出した。

 あの道路まで行かせてはならない。運搬車が用意されているとしたら、あの位置だ。載せられてしまったら、救出できなくなってしまう!

「少し速度をあげるぞ!」


 ファハドが危惧したとおり、幹線道路ぞいに馬を運ぶための専用車が、すぐに出発できるようアイドリングしたままで停車していた。

 ファハドは、日本馬が運搬車に運びこまれる寸前で追いついた。

「その馬をどうする気だ!」

 不審者は、勢いよく駆けてきた馬のひづめの音とファハドの声に仰天して、思わず引き綱を握る手を緩めてしまった。

 その拍子に、日本馬が驚いて前足をぐいと引き上げた。

「あっ!」

 そろって声をあげたのは、不審者と停車中の車内で身を潜めていた男だった。

 ファハドの携帯したライトに照らしだされた大柄な男は、赤ら顔で右頬のほくろの横に、大きめのあざがあった。

「おまえは!」

 ファハドはまず不審者に一撃をくらわせて意識を失わせると、車内にいた男を有無を言わさず引きずりだした。そして隠し持っていた短剣をすらりと抜き、相手ののど元に無言であてた。

 そのとたん男は、体から空気が抜けたようになり、へたりこんでしまった。


 あとから別の馬で追いついたマーガレットが、暴走しかけていた日本馬を落ち着かせて無事に確保した。

 不審者はすでにファハドが縛り上げている。

 日本馬は幸い無傷だった。

 けれどもファハドは格闘した際に、手とあごに軽い傷を負っていた。

「無茶しないで!」

 ファハドの負傷に気づいたマーガレットが駆け寄り、彼の両頬に手を当てた。

 マーガレットの顔が思い切り近い。

 ああ、このまま抱きしめてキスを奪おうか。

「大丈夫だ、この程度の傷くらい、実戦で鍛えているからな」片頬でにやりと笑う。「それよりも馬が無事でよかった」

「馬も大事よ。でも、あなたになにかあったら、どうしていいかわからない!」

 こらえきれず、マーガレットの本音が口から飛びだしていた。

「うれしいな。そんなに心配してくれるのか?」

 黒い瞳がきらりと輝き、その奥に情熱の炎が浮かんだ。

「も、もちろん! あなたは大事なビジネスパートナーだもの」

 その炎の強さにひるみ、マーガレットは心にもないことを言ってしまった。

 彼女が心から心配してくれていることがわかって、うれしさがこみ上げる。だが、「ビジネスパートナー」と言われたことに寂しさをおぼえるファハドだった。

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