#15 触れあう手と手
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出資するというファハドの提案に、マーガレットの心は揺れる。
二度と失敗したくない思いが強すぎて決断できない彼女に、ファハドは日本の競馬界に詳しい有力者を紹介。これが彼女の再始動のきっかけになるのだろうか……?
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いまはとにかくひとりになりたい。
ファハドの前で気丈に振る舞ったとおり、無駄と思いつつも警察への届けを済ませたマーガレットだったが、その後しばらくは実家の自室に閉じこもってしまった。
自分のしでかしたことや、フィリップからの突然のプロポーズ、さらにファハドからの共同経営の提案話と、どれをとっても人生を左右しかねない大事だ。
それがいっきに押しよせてきたことで、自分で自分をどうコントロールしたらいいのか、わからなくなっていた。
「この先、どうしたらいいんだろう?」
自尊心も失いかけていた。
ファハドの提案が何度もマーガレットの頭をよぎった。
けれども、自分がただの戯れの相手に過ぎなかったことを思うと、今回の投資もどのくらい本気なのかわからない。
もしも、また失敗したら……もう一度裏切られたら……?
わたしは二度と立ち直れないだろう。
とはいえ、馬との暮らしはマーガレットをいやでも戸外にひっぱりだす。
実家に身を寄せているあいだは、彼女も牧場の一員として日々の作業を手伝った。
父も兄も、なにかあったことを感じ取ってはいたものの、あえて彼女に聞こうとはしない。
そんな状態が続くある日、牧場にファハドが訪ねてきた。
プライスレスジェム号の様子を見るのを口実に、マーガレットのことを気遣っての訪問だった。
「あれから、なんの連絡もなかったが、もう大丈夫なのか?」
「大丈夫なはずがないわ。きょうはなんでいらしたの?」
マーガレットは彼の配慮すら気づく余裕がなかった。
「この前話した、共同経営の件は考えてくれたかい?」
「ごめんなさい。まだ考えがまとまっていないのよ」
いったいなにを信じたらいいのか。マーガレットは自分すら信じられない精神状態だけに、相変わらず決心がついていなかった。
なによりも、ファハドの結婚話を聞いてしまっている自分が、彼のビジネスパートナーとしてやっていけるかの自信がない。ただ、そんな不安は絶対に、彼には言えないことだけれど……。
「起業に大事な要素の一つは決断力だ」
言われなくてもわかっているという表情を浮かべるマーガレットに、ファハドがたたみかける。
「もちろん、それには十分な情報分析があってのうえだが……まあ、とにかくきょうはきみの決断を後押しするために来た。これから、一緒に行ってもらいたい場所がある」
「そんな、いきなり……日をあらためてではだめなの?」
「思い立ったら行動だ。とにかく、一緒に車に乗ってくれ!」
ファハドにせき立てられるようにして、マーガレットは彼のジャガーに乗りこんだ。
やがて車は、とあるホテルの前に停まった。
マーガレットを連れてファハドが訪ねたホテルのロビーに、アジア系らしき男性が待ち構えていた。
「紹介しよう、こちらはミスター・トガシだ」
「え、あの?」
トガシ氏はイギリスに拠点を置く日系人で、日本の競馬界と強いパイプをもつ人物としてイギリスの競馬界では有名だ。
近年、日本でも優秀な競走馬が育成されていることにマーガレットもおおいに関心をよせていた。けれども彼女には日本とのパイプもまったくなかったのだ。
ファハドの話をきいていると、トガシ氏とも懇意であることがわかって、いまさらながら、その人脈の広さに舌を巻く。
呆然としている彼女に、トガシ氏が声をかけた。
「日本のサラブレッドに高い関心がおありだとか。具体的にどういう点に関心がありますか?」
マーガレットはこれまでに自分が集めた情報をあわてて頭のなかで整理し、日本の育成牧場にいる馬を何頭か挙げてみた。
「ほう、ずいぶんと勉強されていますね。いまあなたが挙げた馬のなかには、わたし自身も関心をもっている馬がいますよ」
「本当ですか?」
「ええ、もし本気で馬をイギリスに呼びたいのなら、お力になりましょう。なにしろファハドさんの全面的な協力があれば、これほど心強いことはありません。もちろん、あなたのご実家、ローパー牧場の育成能力がこの国でもピカイチだという点も考慮してのことですよ」
トガシ氏は満面の笑みをたたえて、マーガレットに語りかけた。
「マーガレット、ここは一つ話にのってみないか?」とファハドも笑顔で言った。
三人はそのまま、アジア圏の馬の近況など、さまざまな情報交換をした。
トガシ氏だけでなく、マーガレットもファハドも馬好きにかけては引けをとらない。このままいつまでも話していられそうなくらいだった。
「では、詳しいことがわかりましたらすぐにお知らせしましょう。きょうはお会いできて有意義な時間がすごせました」
トガシ氏としっかり握手を交わしたマーガレットは、ファハドとともにホテルをあとにした。
初対面ながら意気投合したトガシ氏から、日本の優秀な新馬を空輸できると言われたこともあって、気がつけばマーガレットは、ファハドと共同で事業を続けることに承諾してしまっていた。
でも、これでよかったのだろうか。実家に送り届けてもらうファハドの車のなかで、マーガレットはまだ逡巡していた。
けれども、ニューマーケットに広がる夕焼け雲が見えてきたころには、確信をもてるようになっていた。
「もしここで決断できないくらいなら、この仕事をする意味がないじゃない」
起業のアイデアはたしかに自分のものだ。そして、ファハドはそのアイデアに賛同して資金を提供すると言っている。これは正当なビジネスなのだ。
不安がある一方で、今度こそ、という思いもあった。
* * *
しばらくしてトガシ氏から、めあての馬が日本から到着したとマーガレットに連絡が入った。
同様に連絡を受けたファハドも、ローパー牧場に向かった。調教師のフィリップにも立ち合ってもらうことになった。
「すばらしいわ。血統から見てまちがいはないと思っていたけれど、実際に見るとそのよさがわかりますね」
牧場に先に到着していたマーガレットは、ミスター・トガシに笑顔で言った。この馬がすっかり気に入ってしまったのだ。
あとから到着したファハドも、ひと目馬を見るなり「すごい馬だ」と納得する。満足そうに馬を見つめるその目が、マーガレットに向けられる。
ふたりは思わず手をとりあって喜びあった。
ファハドの目が一瞬で熱を帯びる。
久しぶりにあたたかな手に包まれたマーガレット。はっとして手を離してしまった。
その様子を背後からじっと見ていたフィリップが馬に近づいた。
「脚もしっかりしているし、筋肉のつきもいい。うん、いい馬ですよ」と言うと、ファハドのほうに向き直って尋ねた。「あなたがお買いになるんですか?」
「いや」ファハドは答えた。
「では、競りに出されるのですか?」
誰に買われるかわからない競りには出さない、とファハドは返すと、マーガレットのほうを見た。
「この馬は、きみが初めて売買を仲介する馬だ。どんな相手にいくらで買ってもらえるか、手腕が問われるぞ」
マーガレットの瞳を見つめて彼は言った。
「ええ。ミスター・トガシとあなたの期待にこたえられるよう、がんばるわ」
ファハドの視線をそらすことなく引き締まった表情で答えるマーガレットを、フィリップは無言で見つめていた。
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