#14 わたしの提案にのらないか?
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起業を急ぐあまり詐欺に巻きこまれてしまったマーガレット。打ちひしがれる彼女を強く抱きしめたい……その思いをファハドはぐっとこらえる。そして、意外な提案をもちかける。
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「ミスター・ファハド、なにか緊急のご用ですか?」
ファハドの勢いに
「実はいま、彼女の将来にかかわる大事な話をしていたところなんですが……」
「こっちこそ、彼女に大事な話がある。悪いがフィリップ、彼女とふたりだけにしてもらいたい」
フィリップはさすがにそれ以上強く出ることもできず、黙って厩舎内に戻ろうとした。
マーガレットもあわててまわれ右をしたが、無言のファハドが彼女の腕をぐいとつかみ、引き止めた。
彼に触れられた瞬間、マーガレットの全身を電流が駆け抜ける。
「痛いっ! はなして!」
思わず声が高くなる。
「なぜ会社を辞めるなんて言ったんだ? しかも、わたしには殴られる理由がわからない」
ファハドの顔には、すさまじい怒りがあらわれ、黒い瞳が燃えていた。
改めて向きあったマーガレットのことを、こんなにも愛おしく憎らしいという感情がおさえきれない。
「辞めるのは前々から考えていたこと……言うタイミングを逃していただけよ。殴ったのは悪かったわ、自分でもどうかしていたと思う」
いいえ、知らぬ間にあなたがカサンドラとの婚約を進めていたことへの怒りよ……などとはどうしても言えないマーガレットだった。
その胸のうちが読みとられることはなかったのだろう。ファハドの次の言葉が、マーガレットの胸にぐさっと突きささった。
「独立するのは簡単だ。問題は、独立してなにができるかだろう? きみは、わたしの前から消えてしまったあいだに、なにができたというんだ?」
「わたしには、なにもできないと思っているのね? おあいにくさま! もうすぐ大きな話がまとまりそうなのよ!」
口先だけの人間とは思われたくなくて、思わず先日紹介されたばかりのマルコビッチ氏のことを話してしまっていた。
「南アフリカとの強いパイプ? ジョン・マルコビッチだって? そんなエージェントの名前は聞いたことがない」
南アフリカとの取引も経験済みのファハドが、眉をひそめる。
調査不足を鋭く指摘された気がして、マーガレットは思わずこう反論してしまう。
「あなたが知らないひとだって、いるでしょう?」
「それはそうだ。だが、その話は妙ににおうぞ。すぐに裏をとったほうがいいんじゃないか? まさか、もう送金したなんてことはないだろうな?」
「それは……」
マーガレットはすでにマルコビッチから提示された金額を、指定された口座へ振り込んだあとだった。
「なんだって? いますぐ裏をとるべきだ」
「でも、できることはやったのよ」
「とにかく電話だ! 車のなかですぐにかけるんだ」
「でも……」
「ぐずぐずしている場合か、さっさと乗ってくれ」
マーガレットはしぶしぶファハドの車の助手席におさまると、携帯電話をとりだしてマルコビッチ氏の名刺にあった連絡先すべてに電話をかけた。
だが、どれもつながらない。
メールも送ってみたが、すぐにエラーで返ってきてしまった。
「そんな……まさか……」
運転席でその様子を見ていたファハドが、今度はロンドンに待機しているトマスに電話をいれて、マルコビッチの名刺に記されたオフィスの住所をすぐに確認するよう指示した。
ハンズフリーで通話するファハドとトマスのやりとりを聞きながら、マーガレットは頭のなかが真っ白になっていた。トマスが行く前から、結果はとっくに察しがついていたものの、万に一つの可能性を信じるしかなかった……。
〝競走馬の世界は、エージェント介在の取引が多いんだ。ひとつには、真の出資者をわかりにくくするためにね。だから、怪しげな儲け話や詐欺話はいくらでもある〟
以前、フィリップから聞いた話をマーガレットは思い出していた。
わかりきっていたことなのに。起業に焦るあまり、とんでもないことをしてしまった!
ほどなく、トマスからファハドに連絡が入り、突きとめた住所にはマルコビッチとはなんの関係もない、小さな食料品店があるだけだという。
「やはりな……いや、いいんだ、トマス……ああ、もう戻ってくれ。ごくろうさま」
ファハドは執事をねぎらい、通話を切った。
マーガレットとファハドのあいだに、しばし沈黙が流れた。
突然、マーガレットが顔をあげた。
「そうよ、テイラー氏に電話したらいいんだわ!」
すぐに電話に出た相手に、彼女は早口で経緯を伝えた。
すると、テイラーはすかさずこう答えた。
「実は、わたしも、騙されてしまったんですよ」暗い声で答える。「あなたと同様、金を取られてしまった。あの男がエージェントだと信じて疑わなかったのです。競馬界ではよくある詐欺だと、わたしも気づくべきでした。プロとして情けない……」
テイラーは被害者のふりをしてマーガレットの抗議をかわしたが、それもこれもみんな、真っ赤な嘘だった。
青ざめた顔でマーガレットは電話を切った。ただただ呆然と黙りこんでしまっている。テイラーとのやりとりを隣できいていて、事の成り行きをすぐに察したファハドだが、あえて口をはさまず、マーガレットの様子をしばらく見守っていた。
やがて、彼は口をひらいた。
「おい、大丈夫か?」
「わからない……」マーガレットが力なくつぶやく。
そう、大丈夫じゃない、なにもかも。
あなたのことも、お金のことも。きっとこれからの人生も……。
急に熱が冷めたように小さくなったマーガレット。
ファハドはそのまま彼女を抱きしめて、なにもかも大丈夫だと言ってあげたかった。
だが、思いとどまった。
なにかボタンのかけちがいがあるような気がしてならない。それがなんなのかわからないうちに強引に抱きしめても、マーガレットの心は手に入らないだろう。
ファハドはマーガレットを、そしてマーガレットの心を丸ごと手にいれたかったのだ。
「起きたことは仕方がない。そのエージェントとやらはどんな人相風体だったんだ?」
一度見た顔は忘れないマーガレットは詳細に説明した。だからといって、それが役には立たないだろうことは、彼女自身にもわかっていた。
「……以上よ」
「こうした詐欺を立件するのは難しい。きみは起業を焦りすぎたんだ。それに、ひとを簡単に信用しすぎだ」
そうね、たしかにわたしは、あなたを信用してしまった……。
ファハドが続ける。
「はたで見ていると危なっかしくてたまらない。これはなにも、競馬界にかぎった話じゃない、ビジネスはそんなに甘くないんだ」
かちんときてしまったマーガレットは、つい反発してしまった。
「そんなこと、言われなくてもわかっているわ! わたしがなにに失敗しようが、あなたには関係ないでしょう? これ以上口を出さないで」
かっとなって車からおりようとしたマーガレットを、ファハドがまた引き止めた。
彼がまた手を離してくれないので、マーガレットは顔をそむけていた。泣きそうになっていることを知られたくなかったのだ。
「関係ないだと?」
かっとなった気持ちをぐっと抑えこむファハド。そのまま話を続けた。
「ここは一つ冷静になって、わたしの提案にのってみないか?」
ふいに離された手にさみしさを感じながらも、意外な言葉に彼女は興味を引かれた。
「提案って?」
ファハドがぐっと身を乗りだす。「わたしを共同出資者として迎えるんだ」
「なんですって?」
「きみに資金があとどのくらい残っているのか知らないが、大きく損失を出した以上、ずっと温めてきたプランを実行するには十分ではないはずだ。わたしはサラブレッドには詳しいが、それがすべてではない。きみの馬に関する情報力とわたしの資金力をあわせたら、よりよいビジネスがいち早くできる。お互い、いいビジネスパートナーになれるはずだ」
資金不足はいちばん痛いところだった。
でも、本当にそれだけ?
彼の真意をはかりかねてマーガレットは混乱していた。
「しばらく考えさせて……」
ファハドはいまほどマーガレットのことを愛おしいと思ったことはなかった。失意のなかにある彼女は、手を触れたらこわれてしまいそうだ。
手をのばし、彼女の頬に触れたかった。
だが、いま彼女は自分で歩きだそうとしたビジネスで、初めての大きな挫折を味わっている。これを自分で乗り越えられなければ、彼女はこの先だめになってしまうだろう。
しっかりひとり立ちしてほしいという、経営者としての心が、マーガレットを抱きしめたいという思いを押しとどめた。
「ああ、よく考えてくれ。さあ、結果はどうあれこの一件は警察に届けなくては。必要なら弁護士も紹介する。まずはとにかく、きみの実家まで送ろう」
「いえ、もう大丈夫。警察への届けも自分でちゃんとやるわ……」
マーガレットはそう言うと、ひとりジャガーからおりた。
ファハドは運転席から、マーガレットの後ろ姿が見えなくなるまでじっと見送った。
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