#12 きょうかぎりで辞めます!
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情報力と行動力を駆使して行方知れずのカサンドラを見つけだしたファハド。
ひと安心したところに新たなトラブル発生で急きょ帰国する。だが、空港で待ち構えていたマーガレットは、彼の頬をいきなりひっぱたく!
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マーガレットをあとに残して、イギリスを発った翌日。
ファハドは、ナディールの国際空港にある王室専用着陸エリアでプライベートジェットからおり立つと、砂漠の空気を大きく吸いこんだ。
待機させていたレンジローバースポーツSVRの後部座席に乗りこむと、車内から電話をかけて、あらかじめ指示しておいた内密の情報網から、それまでに集められた情報に耳を傾ける。
「ふむ、どうやらそこがカサンドラの潜伏先らしいな。そのまま監視を続けてくれ」
そう言うと、助手席に控える部下に指示を出した。
「家に到着したら、すぐに馬で出かけられるよう手配を頼む」
豪華な邸宅の車寄せに車をつけるなり、ファハドは使用人がドアをあけようとする前にもう車からおりて、敷地内にある厩舎に急いだ。
そこにはすでに、アルハテケ種の愛馬マレンゴが出発できるよう準備が整っていた。
「ぐずぐずしている時間はない。長老に挨拶する前に、カサンドラを見つけだしたほうがいいだろう? 悪いなマレンゴ、みやげ話を聞かせるのはあとだ。さ、出発だ!」
砂漠地帯を進むマレンゴ号の
久しぶりに愛馬の背に揺られていると、ファハドの脳裏には、初めて会った日のマーガレットの姿が浮かんできた。そして、アスコットで燃え上がった夜のことを。彼女のやわらかな肌の感触を。この腕のなかで、安心しきって静かな寝息をたてる彼女の寝顔を……
そんな彼女をベッドに残して、自分は黙って旅立ってしまった。
「いまごろ、どうしているのだろう……」
ロンドンに戻ったら、いま目にしている故郷ナディールの夕陽の美しさを、ぜひともマーガレットに伝えたい。そしてできれば今度は、ふたりでこの夕陽を見たい……。
そんなことを考えていると、彼女になにも告げずに帰ってきてしまったことが、本当によかったのかどうか、胸が痛んだ。
「許してくれ……これも大事な長老のためだ」
はるか遠いイギリスに向かって、ファハドは詫びの言葉をつぶやいていた。
ファハドの情報網がつかんだカサンドラの潜伏先は、彼女の女友達の別荘だった。
ファハドが別荘まで押しかけると、すぐにカサンドラが出てきた。
こんなにも早く自分を迎えに来てくれるなんて! これで、ようやくファハドとの結婚が決められる。
「ファハド、うれしいわ! やっぱり、わたしのことが大事なのね」
カサンドラが遠慮なく抱きついてくる。
「ああ、もちろん。一族の者は等しく大事だからな」
自分がしたことのせいで周囲にどれだけ迷惑をかけたか、想像すらしないカサンドラの身勝手さと幼さ。ファハドはカサンドラを押しのけようとしながら、腹立ちだけでなく憐れみさえおぼえていた。
「ねえ、この機会に、おじいさまを安心させたいの。あなたがこの国にいるあいだに、私を正式に第一夫人にすると宣言してほしいのよ」
「カサンドラ、きみは私にとってはかわいい妹も同然だ。だからと言って、妻に迎えることなどできない」
ようやくカサンドラを振りほどく。
「どうして? わたしほどあなたの妻にふさわしい者はいないわ」
カサンドラの美しい眉がゆがむ。
「……それとも、あなたが決意できないのは、あの卑しい女のせい?」
「いったい、だれのことを言っているんだ?」
「あの秘書のことよ! なによ、アスコットでのなれなれしい態度ったら……見ているこっちまで恥ずかしくなったわ!」
ファハドはひとつ息をつくと、やれやれという表情で言葉を続けた。
「カサンドラ、きみはいつまでたっても変わらないな。彼女のことなど関係ない。きみのように、大切なひとの苦しみが理解できないふるまいをする人間を、妻にすることはできない。きみはもっと大人になるべきなんだ」
「大人ってどういうこと? わたしはもう立派な大人よ!」
これまでもそうだったが、カサンドラに理屈は通じない。
ファハドは、自分の思い通りにならなくて泣きわめくカサンドラを、回り道をして到着した部下の車に乗せて、無理やり長老の元にひっぱっていった。
ファハドに家まで連れもどされ、むくれた顔をしていたカサンドラだったが、心配のあまり伏せっているサシャークを見るなり真っ青になった。
孫娘の身を案じる余り、長老はついに寝込んでしまったのだ。
さすがのわがまま娘も、長老の衰弱した姿に愕然として、枕もとに駆けよった。
「ごめんなさい、おじいさま! もう二度とこんなことはしません!」
カサンドラは泣いて詫びた。
孫娘が心から反省している姿を静かに見守る長老。従者に支えられるようにしてベッドから上体を起こすと、孫娘にきっぱりと言いわたした。
「カサンドラよ、今度という今度は、許すわけにはいかんのだ」
カサンドラは、出国禁止の謹慎処分を言いわたされてしまった。
長老と孫娘のやりとりを見届けて、ようやく自らの邸宅に戻ったファハド。
するとロンドンにいるギルバートから緊急連絡が入った。彼の持ち馬プライスレスジェム号が、一カ月間の出走禁止処分になったというのだ。
「出走禁止? いったいどういうことだ、ギルバート!」
フィリップの厩舎に所属する一頭がレース後のドーピング検査にひっかかり、厩舎で預かっている馬がすべて検査されたところ、プライスレスジェム号からも陽性反応が出たという。
「なんということだ……これから急いで帰国する!」
ファハドは呆然としながらも、すぐに帰国準備にかかった。
ファハドとの電話を切った直後のギルバートに、マーガレットが声をかけた。
「あの、社長は現在帰国されているとのことですが、こちらにいつ戻られるかご存じですか?」
「ああ、向こうでの用事が済んだようだから、明日の朝にはロンドンに着く予定だ。彼になにか連絡があったかい?」
「いえ、別に……あちらでの用事とはなんだったのですか?」
努めて淡々とした声でマーガレットは尋ねた。
「うん、長老との大事な会議だったみたいだ。直接でないといけない案件だったそうだが……実はぼくも、よくわかってないんだ」
ギルバートは、ファハドから今回の帰国の理由を口外しないよう厳命されていた。ビジネスとは関係のないことだから……と言って。
マーガレットは、それ以上追及するわけにもいかず、部屋を出て行った。
翌朝、プライベートジェットからおり立ったファハドを、マーガレットが待ち構えていた。てっきりギルバートがいると思っていたから、ファハドは彼女の姿に驚いたものの、すぐに恋しい気持ちが勝って笑顔を浮かべた。
だが、近づいてきたマーガレットは、そんなファハドの頬を思いっきりひっぱたいたのだ。
ファハドはあっけにとられながらも、彼女の手首をつかむと思わず声をあげた。
「な、なんなんだ!」
彼女に頬をたたかれるのはこれで二度目だ。だが、今回ばかりは理由がわからない。
「その手を離してよ!」
マーガレット自身、もっと冷静に向きあうつもりだったのに、自分の意外な行動に驚いていた。
だが、ここで自分の思いを伝えなければ、その場で崩れおちそうな気がしたから、周りのことも気にせずいっきにまくしたてた。
「あなたが帰る前に姿を消すほうがよかった。でも、それじゃ自分が許せない。公私のけじめはしっかりつけたいから、直接会ってお伝えします。きょうかぎりで会社を辞めさせていただきます!」
「なんだと? いきなり辞めるとは、どういうことだ?」
「はやく独立したいだけです。それ以上でも以下でもないわ」
「そんな理由だけで納得できるはずがない。くわしい話はオフィスに戻ってからにしようじゃないか」
「いいえ、もうあのオフィスには参りません。この場で失礼させてください!」
「ちょっと待て……だいたい、きみは……」
ファハドが言葉を継ごうとしたところに、ギルバートが走ってきた。
「遅れてすまん! 事故渋滞に巻きこまれた」と詫びながら。
ギルバートは、秘書のマーガレットが先にいたので驚いた。おまけにふたりのあいだに険悪なムードが流れていたことも……。
ギルバートの登場に虚を突かれたファハド。
マーガレットはそのタイミングで、「では、失礼します」と言って走り去ってしまった。
よほど追いかけようかと思ったファハドだったが、彼女の一瞬の気の迷いかもしれない、この件はあとでじっくり彼女と話しあおう、いまはほかにも問題が山積しているのだと自分に言い聞かせた。
空港から、プライスレスジェム号を預けているフィリップの厩舎へ車を直行させる間に、ファハドは助手席にいるギルバートから、ドーピング騒動についてくわしい説明を受けていた。
どうやら、数日前の深夜、フィリップの厩舎に何者かが忍びこみ、馬房にいる馬たちの飼い葉にカフェインを混入させたらしいのだ。
馬の感染症を防ぐため、日ごろから厩舎へのひとの出入りは厳重にチェックしていたはずだった。ところが犯人は、ほんのちょっとの隙をついて、悪事を働いたらしい。
「くそ、長老が言っていた隙間とは、こういうことだったのか?」
ファハドがつぶやく。
「隙間って、なんのことだ?」
ギルバートが尋ねる。
「いや、なんでもない……。ひとはどこで足をひっぱられるかわからん、という意味だ。とにかく、フィリップから話を聞くのが先だ!」
前もってファハドが訪問する旨の連絡を受けていたフィリップは、厩舎の敷地内に車が入ってくるや飛びだしてきた。出迎えるなり、管理の不手際を詫びた。
「いいんだ、フィリップ。こんなことが起きるとは、こちらもしっかり想定しておくべきだった。きみもいろいろと落ち着かないだろう? ほかの馬の世話だってある。だから当分は、プライスレスジェム号をよそで休養させようと思う」
「本当に申し訳ありません」
うなだれるフィリップの肩を、ファハドは軽くたたくと、馬の様子を見るために馬房へ急いだ。
* * *
「ふん、うまくいったものだ」
没落貴族のマキャフリーは、このところ毎朝タブロイド紙を開くのが待ちきれなかった。そしてこの朝、ついに楽しみにしていた記事が載っていた。
それは、フィリップの厩舎で発覚したドーピング騒動を伝える記事だ。
「あいつの馬もこれをきっかけに、調子をくずしてくれたらなおよしだな……」
ファハドにもちかけた架空の儲け話をあっさり断られて以来、マキャフリーは彼への憎悪をつのらせていた。
そして自分に同調してくれそうな、志のやや低い貴族階級の馬主たちをけしかけることにしたのだ。
表向きはグローバル化が進む競馬界とはいえ、やはり、競馬発祥の地であるイングランドで台頭する‘新勢力’をおもしろく思ってない人間はいた。
イングランドにルーツをもつ上流階級の我らこそが、競馬界のリーダーでなければならない、と。
そんな考えをもつ者たちの心理に巧妙につけこんで、マキャフリーは「あの粗野な連中に煮え湯を飲ませてやりましょう」と、誘いをかけたのだ。
その計略第一弾が、自分の手下をフィリップの厩舎に忍びこませ、プライスレスジェム号たちの飼い葉にカフェインを混入させることだった。
「わたしの差し金だとは、よもや気づくまい……」
成功報酬として、マキャフリーは貴族たちから大金をせしめることになっていたのだった。
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