#08 嫉妬か? まさか!

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カサンドラを追う気も見せないファハドに、詐欺めいた話を吹き込む輩がすり寄る。だがマーガレットの機転で危険は回避。感謝するファハドは、幼なじみの男性と再会のハグをするマーガレットを見て、複雑な感情をいだく。

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「いいんですか、追いかけなくて?」

 カサンドラの剣幕に、あっけにとられたマーガレットが言う。

「もちろん、必要ない。彼女の短気は昔からだ」

 ぷりぷりと怒りながら去って行くカサンドラを、ファハドが冷静な目で見送る。

 取り巻きたちがあわててついていく。きっとあの中の誰かが送って行くのだろう。

「さて、思わぬ邪魔が入ったが、われらがプライスレスジェム号に会いに行こう」


 勝利した馬の横で調教師が誇らしげに胸を張っている。ファハドは、馬からおりて検量に向かうジョッキーとかたく握手すると、今度は調教師にねぎらいの握手を求めた。

「フィリップ、よくやってくれた! さすがだ!」

「ありがとうございます。馬も騎手もがんばってくれました」

 興奮ぎみに答える調教師の顔を見て、マーガレットはあっと思った。

「フィルじゃないの!」

「え、きみは?」

「ああ、フィリップ。こちらは秘書のミズ・ローパーだ」

 ファハドが割ってはいり、彼女を紹介する。

「おい、ホントにマギーなのか?」

 フィリップは、目の前の美女が、幼なじみのマーガレットだとようやく気づいた。

「ワオ、驚いたな!」

「わたしもよ。まさかあなたの管理している馬だったなんて!」

 ふたりは手を取りあい、ぎゅっとハグして再会を喜んだ。

 幼なじみのフィリップ・モントレーは、ローパー牧場の隣人でマーガレットの兄と同い年、小さいときから兄妹同然に牧場で遊んで育った。

 乗馬の才能に恵まれて数々の馬術競技で優勝したあと、プロの騎手をめざしたが、体が大きくなりすぎてしまい、調教師に進路を切りかえた。

 もともと調教にも非凡な才があったから、独立後は有力馬を何頭も任されるまでになっていたのだ。

「まったく、見違えたもんだな」

 ハグしあったあとも彼女にぴったり寄り添い、フィリップが目を細めて言う。

「これも仕事なのよ」

 彼から離れないままで答えるマーガレット。

わらにまみれた、そばかすだらのじゃじゃ馬マギーが、こうも変わるとはね。まるで〝プリティウーマン〟だな」

「やめてよ、フィル。恥ずかしいじゃないの」

 ほがらかに笑うマーガレット。

 いつまでも体を離さないふたりを目の前にして、以前ギルバートのときにも感じた苛立ちが、そのときの倍以上になって、ファハドの胸に押し寄せてきた。

「すまないフィリップ、彼女にはまだやってもらうことがある。なにしろ彼女はわたしの有能な秘書であり、大切なパートナーなのでね。あとは任せたよ」

 ファハドはそう言うなりきびすを返した。

「はい、承知しました」

 フィリップは返事をしたものの、ファハドが言った「パートナー」という言葉に、内心ちくっと痛みをおぼえた。そしてなぜか、立ち去り際のファハドとのあいだに、見えない火花が散ったような気がした。

「え、もう仕事は終わったんじゃなかったの……?」

 マーガレットは内心戸惑ったが、さっさと遠ざかるファハドの背中を、あわてて追いかけるしかなかった。


 これは……嫉妬か? まさか!

 幼なじみがこんな場で偶然再会したなら盛り上がるのは当然だ……だからといって、人前であんな慣れ慣れしくハグするものか? いや、待て待て、おれはなにをいらついている……?

 ファハドは思いがけない感情に驚きながらも、頭を冷やそうと、ほかの馬のほうへと速足で向かった。

 そんな彼に、先ほどから視線を送る男がいた。

 モーニングコートにシルクハット姿。だが、よく見るとそのどれもが、ややくたびれた感じだ。男はさりげなさをよそおってファハドに近寄ってきた。

「先ほどは見事な勝利でしたな。ミスター・ビンジャーシム」

「これは、どうも。失礼ですが……」

 やや苛立ちをこめた声でファハドが返事をする。

「自己紹介が遅れました、エドワード・マキャフリーと申します。ランカシャーで代々続くマキャフリー家のものです。以後、お見知りおきを。いやなに、わたしも馬を数頭所有しておりますが、なかなか勝利に恵まれませんで。あなたのように恵まれた資金力と馬を見る目がわたしにも欲しいものです」

「お褒めにあずかり光栄です、ミスター・マキャフリー」

「ここでお目にかかれたのもなにかの縁、とっておきの情報があるのですが……」と、切りだしたマキャフリーは、さる種牡馬の種付け権を極秘で売りたがっている人物がいるのだが、自分を通じて買う気はないか、と話を持ちかけた。

「ふむ、ガリレオの種付けですか……興味がないわけではありません」

「おお、そうくると思ってましたよ! ぜひ前向きにご検討を。その気になったらこちらに連絡をください」

 そう言って、マキャフリーはビジネスカードを差しだした。

 ファハドはカードを受け取ると、相手が握手を求めて差しだした手を握り返した。やがて彼は、少し離れて立っていたマーガレットのほうに戻って行った。


 ファハドの馬は翌日以降も出走を予定している。調教師のフィリップは翌日にそなえ、久しぶりに再会したマーガレットに「また連絡するよ」と言ってすでに厩舎に戻っていた。

 先ほどファハドと見知らぬ男が話す様子を、遠目から不思議そうに見ていたマーガレットが、頃合いをみてファハドに尋ねた。

「あの男性、どこかで見かけたことがある気がするんですが……」

「そうか? 彼も馬を持っているそうだから、ニューマーケットによく来ているのかもしれないな。これが彼の名だ」

 ファハドが、受け取ったばかりのカードをマーガレットに預けた。

「E・マキャフリー……名前だけではピンとこないわ。ずいぶん熱心に話していたみたいだけれど……」

「ガリレオの種付け権を買わないかという話だった。なんでも彼の親しい友人が譲渡したがっているそうなんだが……」

「ガリレオの種付け権ですって? そんな権利が売りに出るはずないわ!」

 マーガレットはきっぱり言い切った。

「ずいぶん自信があるようだな」ファハドが驚きを浮かべながら言う。

「ええ、もちろん。ガリレオのオーナーは自分の馬の価値をしっかりと見極めています。もちろん種付け権もすべて自分で管理しています。これまで第三者が勝手に種付け権を売買したなんて聞いたことがないわ」

「そうか……となると、さっきの話はちょっと胡散臭うさんくさいな」


 レースが一つ終わったところで、上機嫌のマキャフリーが再びファハドに近づいてきた。

「先ほどの話ですが、実は検討したいというかたがもうひとりおりましてな、さほど悠長に構えているわけにいきそうにありません……いかがでしょう、本日中にお返事をいただくというのでは……?」

「そういうことでしたら、こちらは遠慮なく辞退します。いや、お気にかけていただいて恐縮です。では、失礼!」

 ファハドのきっぱりした物言いは、マキャフリーに言葉をさしはさむ余地を与えなかった。

 呆気にとられてファハドの背を見送るマキャフリー。

 マキャフリーは貴族ではあったが、すでに資産を失い、体裁だけの〝貴族〟らしさを保つために相当の負債を抱えている。競走馬のオーナーだったこともあるが、もちろんとっくに手放している。だからなおさら、富豪であり有力馬を何十頭も持っている〝よそ者〟ファハドがねたましく、陥れる機会を得ようとしたのだ。

「なんだ、さっきは機嫌よく話にのってきたくせに、あの無愛想な断り方は! ナディールの王族の末裔だかなんだか知らんが、おおかた石油で稼いだ金に物を言わせて馬を買いあさっているだけじゃないのか……まったく面白くない! だが、待てよ。なぜ、急に態度が変わったんだ?」

 ファハドが合流したグループのなかに見覚えのある顔があった。

「あの小娘、どこかで見たことがある……はて、あんな美人が社交界にいたなら、とっくに知っていてもよさそうだが……」

 それもそのはず、マキャフリーは、まだ十代だったマーガレットとローパー牧場で出会っていた。彼が没落する以前、持ち馬を彼女の父親に預けていたことがあったのだ。

 一方のマーガレットは、マキャフリーが父親のかつての顧客だったことには気づいていない。

「あの女、ちょっと調べてみるか……」

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