第十八話
柚原さんと一緒に向かったのは駅から少し離れたところにあるデパートだった。ガラス張りのエレベーターから見える川は太陽の光を星のように煌めかせていて、わたしは小さい頃家族で遊園地に行ったことを思い出していた。まだ地面を蹴って駆け回れた頃、わたしが走るたびに誰かが喜んでたのが、嬉しかった。
三階は食品の立ち並ぶ一階とは違い落ち着いたにおいだった。白と黄色を基調にした壁は目に刺激を与えない。見渡しても、遠近感が狂うようなことはなかった。
アクセサリーショップは、化粧品コーナーの奥にあった。こじんまりとしてはいるが、遠くからでも分かる特殊なライトが鮮やかさを演出している。
店員さんは二人いて、わたしたちが入ると、いらっしゃいませ。と小さな声で言った。頭も下げず、コンビニで習ったものとは大きく違ってはいたが、不思議とこの空間にはなじんでいる気がした。大きく声を張り、深く頭を下げることだけが正解ではないのだろう。
ガラスケースの中を覗くと、見たことのない宝石が埋め込まれた指輪が木目の付いた棒に引っかけられていた。藍色に輝くそれは、まるで夜空を見上げているかのように綺麗だった。
ブルーアンバーというらしい。その横にはオパールのペンダントがあった。糸のようなものが弧を描いていて、無限の奥行を感じる不思議な魅力があった。どうやら最近の流行は宇宙を模したような宝石らしい。ピックアップと描かれた広告ポップがいろいろな所に飾ってあった。
そこから隣のガラスケースを覗き込むと、より明るい色のジュエリーパーツが並んでいた。アクリルストーンのように淡い輝きを内包するそれは、保育園に置かれていたおもちゃが大きくなったかのようだった。そういえば、おままごとで宝石屋さんなんてものをやったこともあった。わたしは名前も知らない、黄色の石が好きだった。
イエロートルマリンというらしいネックレスを、わたしはじっと見ながら十何年ぶりにその名前を知った。なくした宝箱の鍵を、棚の後ろから見つけたような感覚だった。
「好きなんじゃん、そういうの」
ガラスケースに柚原さんの顔が映る。
「きれい」
「よかった。藤宮もちゃんと女子やってて」
「女子はずっとやってるよ?」
「いややってなかったでしょ」
柚原さんは肩を揺らしてくっく、と笑っていた。柚原さんの笑ってる顔、初めて見た。なんだかちょっと、子供みたいだ。
わたしが見ていたそのコーナーはいわゆる光物が並ぶ場所らしい。光物といえばコハダ、アジ、イワシ、キス、サンマ・・・・・・これは違うか。ゴールド、クリスタル、ラインストーン。昼間に付けたら光の中に溶け落ちてしまいそうなものばかりだ。
「藤宮のお母さんって派手なものが好きだったりするの」
「どうだろう。服は灰色とか、黒が多いから落ち着いたのが好きなのかも」
「ならこういうのは嫌なんじゃない? 大人の女性に合うような落ち着いた色にすれば? ほら、このブルートパーズとか、いいと思うけど。値段も手ごろだし」
浅瀬のような青白いそれは、確かにお母さんには似合うと思う。けど、わたしはその隣にあるパワーストーンというものが気になっていた。
「ラピスラズリですね」
わたしたちが身を寄せてガラスケースを覗き込んでいると、その後ろから店員さんが話しかけてきた。店員さんは柚原さんではなく、わたしを見ていた。
「ラピスラズリは濃いブルーが特徴の宝石で、若い人からご年配の方にも人気ですよ。勿論お祝いごとの式にも付けていけるものですし、贈り物としても失礼のない万人向けの宝石です」
「パワーストーンっていうのは、なんですか?」
「いわゆる神秘的な力があると言われている石のことですね。お守りにも似ていますが、パワーストーンはどちらかというと現状を打破したい、前に進みたいと願う方に多く好まれます。成就というよりは、試練を与えてくれる。そんな印象ですね」
「前に・・・・・・」
わたしと店員さんとの会話を、柚原さんは黙って聞いている。
「あの、わたしのお母さん病気なんです。全然治らない病気なんです」
店員さんは表情を変えず、笑顔のまま言った。
「ラピスラズリには病気を治す力もあると言われています。すごくいいと思いますよ」
じゃあ、と思い値札に目を向ける。七千円の倍ほどの値段だった。わたしの視線に気付いたのか、店員さんがガラスケースを開ける。
「これは大きいものですので、もしでしたらこれよりも小さなものを受注することも可能ですよ。プレゼント用のネックレスということですので、オーダーメイドにすることも可能です。その際は別途で千五百円かかってしまいますが」
店員さんは電卓を用意し、詳細をメモ紙に書き連ねた。
四千六百円。店員さんが出してくれた値段は、先ほどのものの半額以上になっていた。ラッピング用の包装箱の代金も、無料にしてくれたみたいだ。
家に帰ったらお母さんにサイズを聞いてみます。そう言って、明日またここに来ることにした。
「ご不明なことがありましたら、いつでもお聞きください」
名刺を受け取ると「お優しいんですね、お母さんにプレゼントなんて」と店員さんが言った。
「家族なので」
わたしはそう返して、いつのまにかいなくなっていた柚原さんを探した。
柚原さんは入口付近で紙袋を手にスマホを弄っていた。
「お、終わった?」
「うん。また明日来ることにしたよ。おーだーめいど? にしてくれるって。値段も、すごく安くしてもらった」
「よかったじゃん」
柚原さんはスマホをくるっと回して、手帳型のケースを閉じる。慣れた手つきだなって思った。
「柚原さんは目当てのもの買えたの?」
小さく頷く頭を追う。
「どうしてすぐ出て行っちゃったの?」
「あたし、この店は好きだけど、明るい照明が苦手なんだよね」
わたしが首を傾げると、柚原さんは渋い顔をして鼻先を指差した。
「毛穴が目立つから」
「そうかもね」
するとぽかんと頭を叩かれた。
「そういうときはそんなことないよーって言うんだよ」
「え、でも、そんなことなくはないよ」
「あんたね」
「だって、嘘はいけないんだよ」
言うと、柚原さんはわたしを見た。
「お姉ちゃんと、約束したんだ。昔」
「殊勝な心がけで」
柚原さんはそう言って、紙袋の中を漁った。
「何買ったの?」
「ブレスレット」
見ると、石が使われていない、ピンクの糸が編み込まれているものだった。
「あれ、そんなのあったの?」
「あったよ。レジの横。六百円」
手のひらに指を立てて、値段を表現する柚原さん。
「それからこれ」
わたしの髪に柚原さんの手が触れる。手のひらが邪魔をして、柚原さんの顔が見えない。視線をあげても、くしゃくしゃと撫でられる髪が邪魔をする。
視界が開けたころには、額のあたりがピリピリと痺れて、風が当たる。解放感のようなものが肌を撫でていき、生え際が引っ張られていくようだった。
「似合ってるじゃん。見てみなよ」
柚原さんに肩を掴まれて、服屋の大きな窓ガラスの前まで連れてこられる。遠慮のない引率に、わたしの足は何度も途中で挫けた。その様子を、通り過ぎていく人が何人も見ていた。けれど、そんな視線など気にしない様子で柚原さんは「ほら」と声をあげた。
わたしの前髪についていたのは、小さなヘアピンだった。
「藤宮は、そういう色が好きなんでしょ」
黄色に光るそれは、薄く反射した窓ガラスにも強く映る。
わたしの黒い髪を彩るそれは、夜闇に浮かぶ三日月のようで。
「・・・・・・うん」
小さい頃憧れたお姫さまに、ほんの少しだけ近づいたような、大人びたわたし。
ヘアピンに触れてみると、窓ガラスに映った柚原さんと目が合って。
淡く薄く映し出されたわたしは、窓ガラスの向こうで照れくさそうに笑っていた。
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