長屋の密室

 その事件現場はかつて見たこともない奇妙なものであった。ウェーブ・ペンタミラーは首を傾げ、その師であるレイ・ルーン・ペンタプリズムは興味深く頷いた。

 殺人事件――おそらくそう思われる。少なくとも自殺や事故で片付けるわけにはいかない現場。

 木造平屋。長屋の一室。引き戸式の扉は内側からつっかえ棒で閉じられていた。室内は血まみれ。出血量からして間違いなく室内で殺された


「戸の周りには古典的な物理トリックに利用できそうな穴や隙間はありません。現場に遺留された魔力紋は?」


 少年の問いかけに和服姿の壮年の男が答える。帯刀された日本刀の鞘には豪華な装飾が施され、上品な顎髭を生やしていることもあって彼がこの国の上級の位置にいるのは明らかであった。


「それが、なぜか上手く採取できないでいるのです」

「魔力紋が見当たらないということでしょうか」


 この国では異質なローブ姿の少年――ウェーブ・ペンタミラーの疑問。果たしてこの国の魔力紋採取の技術はそこまで低いのだろうか。


「いいえ、魔力紋自体はそこら中にあるのですが、その数があまりに多すぎるのです」

「多すぎるって、ここは一般の住宅ですよね。被害者のものも含めて十名分程度なのでは?」

「とんでもございません。現場に残された魔力紋はですよ!」

「数百人? 被害者は魔法に関する仕事をしていたのですか?」

「いいえ、ごく普通の商人でございます」

「それじゃあ、なぜそんなに大量の魔力紋が見つかるのです?」

「それが、皆目見当がつかないのです。ですからお二人をお呼びした次第であります。例の殺人人形の捕り物の直後で申し訳ございませんが、何卒お知恵をお貸ししてはいただけませんでしょうか」


 もちろん――答える代わりにウェーブが笑みを浮かべる。調査協力に関する決定権を持っているのは彼の師の方であるが、その人物がこのようなユニークな事件を見過ごすとは思えなかった。ましてや遥々東端の小国へ足を運んだのだ、興味対象である事件は多いに越したことはない。


「実はこの現場と類似した事件がここ数日の間で三件も発生しておりまして。おそらく魔法を使った犯行だとは思われるのですが、何分魔力紋の採取がこんな状況ですから、被害者の死因もはっきりとは分かっていないのです」


 壮年の男はすっかり落ち込んでいるようで顎髭を撫でながらがっくりと項垂れた。男はこの街の奉行所の人間であり、レイたちの来訪を知って二人に事件調査の依頼をしたのだった。

 三件の事件現場はいずれも密室状態であり、被害者の知り合いが訪問したことで事件が発覚した。施錠された状態の扉は全て蹴破られたもので、そうでもしなければ現場に入ることすらできなかったであろう。


「室内にはそれぞれ血を流して死亡した死骸がありました。死後間もないもので身体的特徴から家族が身元を確認しております」

「死因は何だったんですか?」

「医者の話によるとどれも失血死だろうということでしたが、失血の仕方がいずれも異なるものでした」

「というと?」

「最初の事件では全身を刃物か何かでズタズタに切り裂かれた上での失血死、次が頭部を鈍器で殴られたため発生した失血死、そして三件目は身体中で内出血が発生したための失血死だったということです。やや特異なのは三件目で、身体の外部への出血はほとんどなかったそうです」

「そして今回の事件――お医者様は遺体を見て何と?」

「やはり失血死だろうと。全身を刃物か何かで切り裂かれており、一件目と酷似しているという話でした」

「いずれの犯行も人力で行うにはかなり大変ですね。おそらく犯人は何らかの魔法的手段を用いたのでしょう。そうなれば密室もさして問題ではありません。問題は――」

「なぜ現場に大量の魔力紋が残されていたのか」


 室内を興味深く観察していたレイが顔を上げて答えた。青色の髪の毛を掻き上げ、黄金の瞳で再度現場を見渡す。その小さな体躯には不似合いの頭脳と経験則が、奇妙極まりない事件現場の分析を開始していた。


「先の三件と今回の被害者の情報を頂きたい」

「まとめた書き物がございます」


 こちらです、と壮年の男が懐から巻物を取り出してレイに手渡した。開かれた書物をレイの頭の上からウェーブが覗き込む。


「すみません、会話は翻訳魔法で問題なくできるのですが、僕たちはこの国の文字が分かりません」

「ああ、これは失礼を。それでは私が読み上げさせてもらいます」


 一つ咳払いを挟んで、壮年の男が巻物の内容を読み上げ始めた。

 第一の事件。被害者はタナカ・サエモン。三十二歳。大工の頭領。遺体の発見場所は仕事道具がしまわれている小屋で、内側から閂で閉ざされていた。死因は全身を切り刻まれたことによる失血死。傷跡から推測するに全身の傷はほとんど同時に発生しているということだった。職人気質の男で部下には理不尽に厳しく、恨みを買っていた。

 第二の事件。被害者はササキ・キョウシロウ。この国で多大な人気を誇る“カブキ”と呼ばれる演劇の看板役者であった。遺体が見つかったのは楽屋の一室で、死因は頭部を鈍器で無数に殴られたことによる出血であった。ファンの女性をかなり食い物にしており、その件で多数の人間とトラブルになっているところが目撃されている。

 第三の事件。被害者はヤマダ・カオルコ。街一番の地主の娘である。遺体は彼女の自室で発見され、この辺りでは唯一西洋風の建築技術を取り入れて建てられた豪邸であるから、当然彼女の部屋は内側から施錠できるようになっていた。死因は全身で同時多発的に引き起こされていた内出血による失血死。ただし遺体の外側にこそ血液は流れていなかったが、彼女の全身は内出血で真っ青な状態になっていた。地主の娘という立場を利用して、召使だけに飽き足らず、あらゆる街の人間に横暴を言っていた。無論、そのことで恨んでいる人物も少なくない。


「つまり被害者は全員、周囲の人間に少なからず恨まれていたということですね」


 オオヤスの首肯。しかし周囲の人間同士に繋がりは見えない。


「被害者の住居や持ち物に何か特徴は?」

「気になる点は特には……」

「三人の共通の持ち物などはありませんか?」

「そうですね……」


 オオヤスが書類を捲り、三人の持ち物などを再度確認した。


「これといって……ああ、一応普段使用している杖が共通していますね」

「杖が?」


 魔法を発現させるための道具――“杖”。

 魔法の種類と方向を決定させるために必要不可欠なもの。

 使用者の魔力や魔法技術、用途によって使用すべき杖は異なっている。


「職業もバラバラの三人が同じ杖を持つのは、あり得ないわけではないですが、少し妙ですね」


 ウェーブの疑問にレイが頷く。オオヤスがすぐに答えた。


「ああ、いえ、大したことではないのです」


懐から一本の杖を取り出した――三十センチメートルほどの木の棒。日常用の杖。ウェーブの持っているものと似ているが、原料となっている木の種類が異なっている。


「この国で有名なサクラという花が咲く木を利用した杖です。我々はそのまま<サクラ>と呼んでおります。私も被害者三人と同じくこの通り使っております。最近発売された新型なのですが、安価で高性能なためほとんどの町民が使っておりますよ」

「となると被害者同士の共通点には数えられないかもしれませんね」

「ええ……ですから捜査が行き詰っているのです」


 そして壮年の男はちらりと思案するレイの方を見た。この小さな少女のような人物が本当に世界的に有名な魔法犯罪捜査官なのか――初めは疑っていたが、例の殺人人形の捕り物の功績を考えればもはや疑いなどははるか彼方にすっ飛んでいた。今はただこの奇々怪々な事件の手がかりを、この目のまえの大賢人が掴むことを祈るばかりだ。


「何かお分かりですか?」


 壮年の男の問いかけにレイは軽く頷いて、助手であるところのウェーブを見た。


「今から約三十年前、ガラリア大陸のとある大国で似たような事件が起こっています」

「ああ! 資産家令嬢の連続殺人事件ですね」


 ウェーブが納得したように手をぽんと打った。レイの脳内にはこれまで世界中で起こったありとあらゆる魔法犯罪の情報がインプットされている。その教えを受けるウェーブもまた、レイほどではないがかなりの事件情報に精通していた。その中でも「ガレリア大陸資産家令嬢連続殺人事件」はある種特異な事件として強く記憶に残っていた。


「ナムダという国で資産家令嬢が次々に殺害される事件が起こったんです。被害者の数は七人。師匠が止めるまで被害者は増え続けました。しかし師匠、あれは密室殺人ではなかったと思いますが」


 蒼の髪の毛、黄金の瞳――エルフ族。あるいはハーフ、もしくはクォーター。長寿族であるエルフの血が流れるレイは、若い頃から見た目の変化が少ない。三十年前の事件を解決した時、彼女はまだ大学生であった。


「七件のうち二件が密室殺人でした。残りの五件は密室でこそありませんでしたが、厳重な警備の中の殺人で、今回の事件と最も類似している点としては、現場に多数の魔力紋が残されていたということが挙げられます」

「なんと!」壮年の男が驚いて身を乗り出す。「して、犯人は一体どんな手口で?」

「魔法的方法を用いて殺人を行ったのは想像通りでしょうけれど、その魔法の使い方がかなりユニークなものだったのです。被害者に恨みを持つ容疑者は多数に上りましたが、犯人はだったのですよ」


 資産家令嬢連続殺人事件――逮捕者三十四名。

 犯行方法――全員が魔力を少量ずつ提供。蓄えられた魔力は、新種の超級魔法を発現させ、遠く離れた被害者を殺害していった。故に現場には多数の人間の魔力紋が残され、犯人の特定を難しいものにした。


「犯罪捜査で最も重視すべきはではなく、なのかもしれませんね。そしてそれはおそらく今回の事件にも当てはまると思いますよ」

「つまりレイ先生は、今回も魔力紋の持ち主全員が犯人だとおっしゃるのですか?」


 壮年の男の問いかけに、レイは静かに首を横に振った。

 まだ結論を出すのは早い。


「それに、たとえ魔力を多数の人間が提供していたとしても、それが自発的に行われたかは分かりません。仮に何者かに強制されたとして、果たして彼らを責めることができるでしょうか」

「我らの法では、おそらく全員は裁けないでしょう。しかし全員が偶然そのような事態になったとは考えられません」

「その通り。ですから事件の首謀者を捕らえます」

「して、その算段は?」


 レイがにやりと笑って答える。


「私には実に誇れる弟子がいるのですよ」

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