魔法痕跡追跡不可能事案に対する考察

討伐依頼

 月明りが二つの影を照らし出す。

 少年――右手に杖。左手に短剣。人力車や馬車がギリギリすれ違うことができる程度の橋の中央で待ち構える。武器を持つ両手は脱力が行き届き、それは瞬時に臨戦状態へ突入できる構えである。

 対峙する影――少女を連想させる小柄な体躯。少年より頭一つ分は低い。月明りを反射するかんざし。艶やかな和服。国花である薄桃色の花が刺繍された下駄。どれもこれもが少年には見慣れぬ異世界の産物。

 少年にとって見慣れないのはそれだけでない。この街そのものが、多くの場所を旅してきた少年からしても目新しいものばかりである。碁盤の目のような建物の並びは珍しくはないが、木や瓦、あるいは他の植物たち――金属でもレンガでもないもので固められた建物は古代の人々の暮らしを連想させるが、しかしその詳細を観察すればするほど理に適ったある種最先端のものであると認識させられる。

 はやがてすぐに姿を現した。

 月が雲に隠れるのとほとんど同時に、少年の前に立った少女がゆっくりと、さながら上品な客を迎えるように深く頭を下げた。少女はこの国の接待業――マイコと呼ばれるその職業の女性そのものの雰囲気である。

 人間ではない――少年の直感。

 同時に脳裏に浮かぶ少年のものではない推測――師匠の言葉。“おそらく犯人は自立式の魔道具の類でしょう”。

 少女が顔を上げた。月が再び姿を現す。少女の表情が真っ白なのは化粧のせいではない。白樺か何か――少女のとなった木の色である。

 少女――人形の袖口から短刀が姿を現した。

 左右均一の刃渡り――無機質な殺意の象徴。少年がこれまでも体験してきた敵意の現れ。

 夜の帳、静寂の中。少女が地を蹴る。着物の袖を羽のように翻し、飛翔した。簪の飾りが揺れ、しゃらんと美しい音色を響かせる。

 少年が身を捻って第一の斬撃を回避した。“人形”は続けざまに短刀を振るう。人間離れした狂気の乱舞。

 第三の斬撃をかわすのと同時に、少年が短く詠唱――魔法の発現。「【風】!」鋭利な風の刃が少年の握る杖から発射され、“人形”はそれを左右の短刀で受け止める。

ギギギと“人形”が軋む音を立てながら崩れた体勢を立て直した。その直後顔面に少年の膝蹴りがめり込む――相当の勢いで叩き込まれた打撃だったが、“人形”の頭部を破損させるには至らなかった。

 斬撃――少年は身を屈めて回避、回避、回避――しかし次の瞬間には彼の左の耳たぶがバッサリと切り裂かれていた。

 全て回避したはず――少年の視界の先。“人形”が軋む音を立てている。稼動の直感。この人形は魔法で動く人型の殺人人形――特殊な仕掛けがしてあるに違いない。

推測と同時に事実が発覚した。

 少女の姿を模したその人形――返り血を浴びた鮮やかな色の和服。その袖口より先の腕が割れ、さながら四本の腕が生えているような印象シルエット

 ここに至るまでの道中、少年は師よりこの国の様々な伝承を聞いていた。

 阿修羅――少女の姿はまさに怒れる神の化身そのものである。一体誰がその“人形”を製作したのか。誰にしても相当の怒りや憎しみを抱いている人物に違いなかった。

 三名の殺害及び二人の負傷者――人間が造り出した“人形”が、唯一この世で生み出したもの。その内の四名が“サムライ”と呼ばれるこの国の騎士、即ち戦闘行為に精通した者であった。

 少女が再度跳躍した。少年を嘲笑うかのように彼の頭上を飛び越え、背後に回るのと同時に斬撃を放つ。

 少年は橋の上を転がるようにして斬撃を回避、続けざまに放たれる攻撃を、今度は少年のナイフが受け止めていた。しかし“人形”からはそれさえも予測の範囲であるようだった。あるいは反射的に、そう動くように設計されているのかもしれない。“人形”は受け止められた短刀をそのままに、他の三本の腕で代わる代わる斬撃を繰り返した。機械仕掛けの裁断機のように、あるいはかつて存在していた全自動オートマチックな拷問器具のように。

 少女の絶えるこのない無慈悲な斬撃が、ついに少年の杖を握る左腕をとらえた。艶やかな着物に使われる染料のような鮮やかな血しぶきが少年の肘先から吹き出し、その先の腕が宙を舞った。

 苦痛により顔をしかめる少年。しかしその動揺が彼の動きを鈍らせることはない。突き出された木製の腕の一本を残った右腕で抱えると、くるりと“人形”に背を向けその反動を利用して相手を投げ飛ばした。

 ガシャンと無機質な音を立てて“ 人形”の小さな身体が欄干に叩きつけられた。衝撃で“人形”の腕の一本が折られている。推測――関節部分は脆いのか?

 少年が息を整えながらゆっくりと立ち上がった。相手を投げ飛ばすために手放したナイフには既に目もくれていない。杖を握ったまま地面に転がる、もはやただの物体と化した左手を見下ろしながら、を閉じたり開いたりして感覚を確かめた。

 不死身の人形――たとえ全身をバラバラにされても数秒で完全に回復してしまう特異体質。少年もまた他者に造られた殺しのための人形に過ぎなかった。彼の師に出会うまでは。

 二対の殺人人形が跳躍した。少女は直進、少年はその突進を回避するように欄干の上へ。

 斬りかかる少女に対して少年は欄干を蹴り、反対側の欄干へ。少女の短刀が少年のローブの端を切り裂いた。少年は器用に欄干の上へ着地すると、背後をとった利点を活かして少女の右腕を捕まえた。“人形”とはいえ関節の可動域は限られている――真後ろへの攻撃性能はないに等しかった。

 少年の拘束を振りほどこうと、少女が凄まじい力で身を捩った。振り回される形になるが、少年は一向に少女の腕を放そうとしない。

 少女がその身体を大きく右へ捻った。少年の足が地面を一瞬離れ、少女の前は引きずり出される。しかしそれと同時に少年は少女の腕を起点に、先ほど投げ飛ばしたのと同じ要領で少女の身体を持ち上げていた。少女の生み出した遠心力を利用して、さらに大きな力を生み出した少年の投げ技は、少女の二本目の腕を破壊するのには十分であった。

 短刀を構える左腕が二本残った。依然少女の殺意が衰えることはない。

 今度は少女が欄干の上へ飛び乗った。上部からの攻撃が有利と判断した結果だった。満月を背中に背負い、少女が跳んだ。

 少年はやはり身を屈めて回避しようとするが、少女の太刀筋の方が鋭かった。切り裂かれた少年の背中が血しぶきを上げ、真っ赤な羽を生み出した。

 苦痛に顔を歪める少年。脳内は限りなく冷静クリア。武器を持たない方向、すなわち相手の右側へ。斬撃と回避。継続される両者の戦いは、即ち自身に有利なの奪い合いだった。少年は相手の残りの武装を破壊するため。少女は相手の気力を奪う致命的な攻撃を加えるため。絶えず動き続け、東洋の頭脳戦“ショーギ”のように相手の思考の一手先へ、一瞬でも早く辿りつた方が勝者となるということは明白であった。

 打開策――少年は思い切って相手に突撃することを選んだ。相手が人間であれば動揺を誘えたかもしれない。しかし相手は“人形”である。躊躇のない刺突が少年目掛けて発射され、凶刃が少年の心臓を貫いた。

 口から血を吐き出す少年だったが、そこで彼の動きが止まることはない。不死身――瞬時に心臓を復元していく。逆に動きが停まったのは“人形”の方だった。少年を貫いた短刀は、少年の血と肉と骨がぴったりと固定し微動だにしなかった。

 少年がゆっくりと手を伸ばし、自身に刺さっていない方の短刀を握る腕を掴んだ。関節部を起点に本来曲がる方とは逆向きに、力任せに“人形”の腕を曲げていく。そして悲鳴のように軋む木の音を立てながら、ついに三本目の“人形”の腕が破壊された。

 短刀が少年の胸から引き抜かれた。少年はよろめくように後ずさり、血を吐き出した。胸にぽっかりと開いた穴はすぐに縮小していき、数秒で元通りになった。腕を三本失った“人形”は確かに動きが鈍っていたが、しかしその殺意は留まることを知らない。あるいは“人形”ではなく人間の暗殺者であれば撤退という選択をとることもあったかもしれないが、ただ命じられたままに人を殺す少女にはそのような考えは微塵もない。

 今度は少年が飛びかかった。少女の襟元を掴み、自身の遠心力を利用して相手の足を払った。倒れこむ人形の残った一本の腕に対して少年の関節技がしっかりと極まった。少女が手先だけを回転させることでデタラメに短刀を振るうが、しかし不死身の少年にしてみればそれは些細な抵抗でしかなかった。どこを切り裂かれようとも瞬時に回復してしまう少年は、一度関節を極めたが最後、絶対に離すことはない。

 間もなくして鈍い音と共に少女の最後の腕がへし折られた。少女――“人形”は損傷が限界に達したのだろう、がっくりと項垂れ、動かなくなった。


「対象――確保」


 少年は自身にしかできない仕事を完遂した。

 絶対に暗殺対象を始末する殺人人形――何度殺されても甦る人造人間。

 少年のかつての異名――“再来する悪魔ディアブル・レブナント”。

 現在の仕事は魔法犯罪の取り締まりと研究である。

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