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 生母が亡くなったと聞いたのは、わたしがちょうど19歳になった誕生日のことだった。家族からは本当に心配されたし、行きたくなければ行く必要なんてないのだとも言ってもらえたけど、幼い数年間一緒に過ごした記憶に決着をつけたくて、私は遺品整理のために十数年ぶりに生家を訪れた。


   * * * * * * *


 正直、生母との暮らしは思い出しただけで吐き気がするし、もう生母はいないと言われても鳥肌が立ってしまう――そういう意味で、わたしは全然彼女を断ち切れていなかったのだと実感させられた。


 普通の親は、寝ている娘の隠れている場所を触ったりしない。

 普通の親は、娘を捕まえて舌を絡め合うようなキスをしない。

 普通の親は、眠る間を惜しんでそういうことをしない。

 普通の親は、痛がる娘を押さえつけて無理やりしたりしない。

 普通の親は、自分の理想通りにならない娘をフライパンで殴ったりしない。

 普通の親は、ただ外での話をしただけの娘を浴槽に沈めたりしない。


 普通の、普通に、普通な、普通というものを知ったのは、わたしが生まれた直後に家を追い出されていた父の手で助け出された後だった。正直当時の記憶は痛みと恐怖と嫌悪感に塗り潰されてしまっていてよく思い出せないけど、それ以来わたしは父の親戚と共に暮らしている。

 平穏な暮らしを受け入れられるようになるまでに要した時間は短くなかったけど、そのおかげでわたしは生家を訪れて生母のいなくなった現実と向き合う勇気を手に入れることができた――そう思いたい。


 だけど、わたしは見てしまった。

 生母の遺品の中から、見つけてしまった。その瞬間わたしの中に生まれたものは、とても“普通”とは呼べないもので。

 わたしの、ううん、わたしの中にあるもののどれを使っても覗けないような奥深く――わたしの内側の更に内側の、ずっと奥で、悟った。


 わたしの人生は、“彼女”を愛する為にあったのだと。


 そこにあったのは、2枚の肖像画。

 1枚は、257年前のある画家が描いたという、天使のように微笑む女の子の肖像画。

 もう1枚は、71年前に戦地の少女が描いたという、とても艶めかしい娘の肖像画。


 亜麻色の髪に、緋色の瞳。

 年代は違うはずなのに、どちらにも同じ少女が描かれている――それを不思議なことだとは、思えなかった。

 こちらに向けられた表情はまるで生きているようで、人を救う天使にも、人を堕とす悪魔にも見えるその“少女”に、わたしは魅入られてしまった。

 きっといつまでも、わたしはこの少女を追いかけ続けるのだと思った。何年でも、何十年でも、ううん、そんな単位ではなくなっても。

 わたしが、わたしでなくなっても。


 わたしは肖像画を引き取って、生家を後にする。家に帰る途中、思わず口に出していた。


「おかえり、やっと会えたね」

 全て見ていたはずの月は、ただ静かに夜空で輝いていた。

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Die Geschichite von einem “Liebe” 遊月奈喩多 @vAN1-SHing

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