第59話 孤島の崎にて

「ジャポネェェェ~~~ゼ、やっと会えたな」

 一人のイタリア人が、哲人に声を掛けてきた。

 目を細めながら、声の主に視線を送った哲人は、やがて、その男がパリに到着した翌日に、真夜中のリュテス円形闘技場で、自分のことを襲った強盗と同一人物であることに気が付いた。

「いった……?」

 哲人が最後に発音しようとした「い」という一音を、何かが石畳を叩く音が打ち消した。

 弾丸が、理音の右先一寸の所を打ち抜いていたのである。

「そこの黒スーツの若いの、動くんじゃない、それから今、スーツの内ポケットから取り出した獲物を、こっちに寄越せ」

 もう一人のイタリア人、〈オッキオ〉が、イタリア語訛りの英語で、そう命じると、理音は特殊警棒を転がらせた。そして、坂道を転がり足下にまで来た警棒を、オッキオが拾い上げた。


「何人たりとも、このオッキオの〈千里眼〉をたばかることはできんよ」

 オッキオは、右手の人差し指で右眼を指し示していた。

「『千里眼』だとっ!」

 勝利を確信したオッキオは、無意識のうちに饒舌になっていた。

「そう、この右眼は、どんなに遠くの事物も見通せ、どんな動きもスローに見えて、いかなる些細な動きも見逃さず、まったき暗闇すらも昼のように見る事ができるのさ」

 

「おっと、そこの、ジーンズ・コートの若いジャポネ~ゼ、大声を上げようとしているみたいだけれど、別に叫びを上げても構わんよ。どうせ誰も助けに来ないし、無駄だから」

 オッキオは、雷太に英語で話し掛けた。

「この右眼は〈千里眼〉、そして、今は、黒レンズで封じている左眼は〈魅惑の魔眼〉なのさ」

 オッキオは、日本人たちには理解できないと思って、今度は、早口のイタリア語で説明し始めていた。

 あれっ!?  雷太は、イタリア語は第三外国語で初級文法を履修していただけなのに、オッキオのイタリア語が理解できていた。

「モン・サン=ミシェルの暗さと人気の無さ、島内が〈異常〉だとは思わないか?」

 オッキオは英語で述べた。

「たしかに、何かしたんすかっ!」

「邪魔な者は皆、島の外に出て行ってもらったのさ」

 オッキオは、左眼の〈魅惑の魔眼〉で「モン・サン=ミシェルに居たくない」という命令を掛けて、観光客と島民全員を、昼のうちに、ここから強制退去させていたのである。

「そういった次第で、今、この島には、俺たち二人とお前たち三人しかいないって分けなのさ」

 オッキオは英語でこう締めくくった。


「ちなみに、逃げようと思っても、無駄だからな」

 ナーゾが、イタリア語訛りの英語で、オッキオの説明を引き継いだ。

「貴様らは、もう詰んでいるんだよ」

「どおゆう意味だ?」

「島への入り口の王の門の鎖を切って、跳ね橋を上げて、門を閉じたのだよ」

「「「何だってっ!!!」」」

「そう、今のモン・サン=ミシェルは、革命後の監獄時代に逆戻りしているのさ」

「チェックメイトなんだよ、お前らは、ジャポネェェェ~~~ジィ」

 日本人たちの驚きに応じたオッキオの言を、ナーゾが引き継いだ。


「そこのイタリア人、君は、パリのローマの遺跡跡で、僕を襲って来た男だよな?」

「スィィィ~~~」

「あの円形闘技場の襲撃も偶然じゃなかったって分けか」

「逃げ場のない貴様らに、思い出として教えてやろう。

 我々は、カエサルの時代、紀元前から続く、二千年以上もの伝統を誇るローマの秘密結社の構成員なのだよ。

 我々はな、アレクサンドリア図書館から持ち出された〈本〉を、二千年の長きに渡って探し続けてきたのさ」

 ナーゾが英語で説明した。

「アレクサンドリアのグリモワールは、人の力では成しえない〈奇跡〉を起こしたり、術語の詠唱者に、それぞれの特性に合った〈権能〉を付与したりするのさ」

 オッキオが、イタリア語でナーゾの言を引き継いだ。

 「カエサル」に「アレクサンドリア図書館」だってっ!

 哲人は思った。

 パリのセーヌ河沿いの深緑色のブキニストの老店主は、白い筺と、それに入った巻子本の由来を、カエサルがアレクサンドリアを襲撃した際に、燃え上がる大図書館から持ち出された本だった、と語っていた。

 まさか、それが、老店主の与太話ではなく真実であったとは!

「それじゃ、僕が闘技場で鼻を潰したイタリア人、お前は、その時から既に、僕がセーヌ河沿いの古本屋から買った巻子本、それを、二千年前にアレクサンドリア図書館から持ち出されたグリモワールだと思い、それを狙って、僕を襲撃したって事なのかっ!」

「スィィィ~~~」

 ナーゾは、その時の鼻の痛みを思い出しながら、憎々しげに〈諾〉の返答を哲人に返してきた。


「ナーゾ、そろそろ、白い筺とグリモワールを回収して、イタリアに戻りましょう」

「そうだな、オッキオ、駐車場で留守番をしている〈オレッキオ〉も待ちくたびれているだろうしな」

 そう言いながら、勝利を確信したオッキオとナーゾは、日本人たちとの間の距離を詰め始めた。

 イタリア人が一歩進むと、日本人も一歩退いた。

「くくく、逃げても構わんぞ、ジャポネ~ジ、どうせ、門は閉じられ、やがて、モン・サン=ミシェルは水に囲まれる。かつて監獄でもあった、この脱獄不可能な絶海の孤島からは、何人たりとも逃れることは叶わんよ」

「あとは、狩猟場で狩人が獲物をゆっくりと追い詰めてゆくのと同じさ。どこに行こうが、我々からは逃げ切れんよ。特に、このオッキオの右眼からはな」


 やがて、三人の日本人は、サン=ピエール教会の手前まで後退していた。

「そろそろ、観念したらどうだ。くくく」

 オッキオは苦笑を漏らしながら、理音から奪った特殊警棒を右手に握って、左肩をトントンと叩いていた。

 理音は、口を動かさずに、二人の耳に届く程度の声の大きさで、日本語で何かを語った。

 今だっ!

 理音は、右手の前に左手首を近付けると、左手首の右横にディスプレイが来るように着けていたスマート・ウォッチの小さな画面に、右手の指で素早く四桁のコード番号を打ち込んだ。

 そして、四桁目を打ち込み終えると同時に、オッキオの左頬の脇にあった理音の特殊警棒が強烈な光を放った。

「オッキオ(眼)がぁぁぁ~~~、オッ……」

 二度目の叫びを上げている途中で、特殊警棒の取っ手部分から高圧電流が流れ出し、オッキオの意識は断ち切られてしまった。


「先生、サンダー、目を開けたら、脇道へっ!」

 三人の日本人は、サン=ピエール教会の脇の細道を通って、ガブリエルの塔とサン=オベールの礼拝堂がある島の沿岸に向かって駆け出した。

 走りながら、雷太が理音に問うた。

「リオンさん、いったい何をしたんすか?」

「実は、あの特殊警棒は、ワザと奴に奪わせたんだよ。

 で、あれには、奪われた時のために、スマート・ウォッチのリモート操作で発光したり、スタンガンみたいに電流が流れるって細工が為されているので、それを、使ったって分けなのさ」

「すごいっすね。

 しかも、あのイタリア人たち、ムッシュみたいな〈昭和〉よりも遥かに古い、〈古代ローマ〉の人っすから、腕時計がリモコンになるなんて想像もできず、全然、俺らを警戒してなかったっすね」


 ナーゾは、発光によって奪われた視力が回復すると、自分の腰のベルトから取り出した巻物を開き、〈感覚強化〉の術言を詠唱して、嗅覚を強化すると、特殊警棒に付着している理音の匂いを覚えた。

 そして、グランド・リュにオッキオをそのまま残して、ナーゾは、理音の匂いを辿って、三人の日本人を追跡するために、彼も脇道に入って行った。


「先生、奴等、追ってきますかね?」

「多分な。どうやってか分からないんだけれど、真夜中のパリで僕が襲撃されたって事は、僕らの居場所を突き止める手段があるのだと思うよ」

「それに、今、十九世紀の監獄の頃みたいに、自分ら、この島から出られないっすからね。でも、俺ら、どうやって、ここから脱出したらいいんすかね?」

「サンダー、そこは、岩場から降りて、砂地を渡って対岸に……」

「リオン君、それは無理だ。今、モン・サン=ミシェル湾は潮が満ち始めているから。しかも、今夜は、十八年ぶりの〈世紀の大潮〉で、潮位は史上最大となる。今、このタイミングで、湾に降りるのは、それこそ自殺行為だよ」

「万策、尽きたあああぁぁぁ~~~」

 理音は、思惑が外れ、思わず頭を抱えてしまっていた。


 三月二十一日、新月の翌日の「二日月」の、糸のような細い月が地上にもたらす薄い光を頼りに、三人の日本人は、サン=オベールの礼拝堂がある岩場まで戻って来た。

「先生、礼拝堂に行きましょう」

 まるで〈超直感〉が理音にそう告げたかのように思え、哲人も雷太も、その理音の言に従い、岩場の上に続く階段を昇って行った。


「それで、これから、どうする?」

 哲人が二人に問うた。

「ムッシュ、自分、思うんすけれど、イタリア人らが狙っている、アレクサンドリアのグリモワールの〈権能〉って〈空間移動〉なんじゃないっすかね? だからこそ、俺ら、コンコルドから凱旋門まで一瞬でテレポートしたのではないか、と」

「でも、サンダー、あの後、何度か同じ文言を唱えてみても、瞬間移動は再現されなかったじゃないかっ! さっきも別に何も起こらなかったし」

「先生、サンダー、もしかして、写本の場合は一回しか機能せず、さらに、黙読ではなく、白い筺の本自体を〈音読〉することが重要なのでは?」

「「それだっ!」」


 サン=オベール礼拝堂の前で、哲人は、巻子本を巻き開いた。

「あれっ! ムッシュは、ヒエログリフを読めないのでは?」

「大丈夫、シャン=ゼリゼ大通りで、サンダーに書いてもらった振り仮名を、今、ここで完全に再現できるから」

 巻子本を開いた哲人は、指読みで象形文字を追いながら、それらをゆっくり発音していった。雷太と理音は、その哲人の詠唱を復唱した。

 その音読の途中、階段を昇ってくる足音が三人の耳に届いてきた。

 しかし、彼らは、そのまま詠唱を続け、巻子本に記されている術言を唱え切った。それは、ナーゾが岩場の上に姿を見せたのと同時であった。


 ナーゾの目には、日本人の後方にあった建物に、突如、扉の形の黒い空間が出現したように見えた。

「ムッシュ、移動先を具体的に思い浮かべながら扉に飛び込むっす。グリモワにそう書かれていましたっ!」

「貴様等、いったい、何をしようとしているっ!」

 三人の日本人は、礼拝堂の扉と思しき影に飛び込んでいった。


「ま、待てえええぇぇぇ~~~! ジャポネェェェ~~~ジィ!」

 イタリア人は、礼拝堂に向かって全力で駆け出した。

 しかし、水気のせいでツルツルになった岩の表面のせいで、イタリア人は途中で転倒してしまった。

 立ち上がったナーゾは、閉じられていた礼拝堂の扉を開けると、その中に足を踏み入れた。

 しかし、狭い屋内には、一体の聖母像が置かれているだけで、日本人の姿は何処にもない。

 おかしい、この建物の前までは、たしかに警棒の持ち主の匂いはある。なのに、屋内には、その匂いが認められないのだ。

 何らかの隠し扉などの仕掛けがあるかも、と思って、しばらくの間、床や壁を調べていたのだが、結局なにも確認できなかった。

 あきらめて、仲間の元に戻ろうと思ったナーゾが岩場の端まで至った時、潮位が上がっていて、完全に階段が水没している事に気が付いた。

 これでは、ここから抜けられん、そう思ったナーゾが、礼拝堂の方を振り返った時、凄まじい勢いで迫ってきた水が、礼拝堂がある岩場を完全に飲み込んでいったのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る