第Ⅴ章 モン・サン=ミシェルの史上最大の大潮

第50話 日本人たち、驚愕す

 モン・サン=ミシェルの「王の門」の手前に在るオムレットゥ専門レストラン、「ラ・メール・プラール」から出た哲人、雷太、理音の三人は、その門を潜り抜け、ついに、モン・サン=ミシェルの島内に入った。

 その三人の視界に入ってきたのが、モン・サン=ミシェルでも最も人通りが多い、島の中心的な通りである〈グランド・リュ〉と呼ばれている目抜き通りである。


 この〈グランド・リュ〉というフランス語は「大通り」と和訳されている。しかし、その呼称と矛盾するように、道幅は二メートル程度で、人がようやく二人並んで通れる程度の狭さである。この細い上り坂こそが、王の門と修道院を繋いでいる島の幹道であり、かつ、この目抜き通りの両脇には、料理店や土産物屋が軒を連ねており、グランド・リュは、日本で言う所の「門前町」にもなっている。


 門前町とは、有力な神社仏閣の周囲に形成されている町のことで、特に、神社の場合には「鳥居前町(とりいまえまち)」と呼ばれている。数多くの参詣者が訪れる神社・寺院の前には、社寺関係者向けや参詣者向けの商工業者が集まって町が形成される。これが門前町である。

 例えば、京都市の東山区の祇園や、奈良市の春日大社、東大寺や興福寺の奈良三条通り、伊勢神宮の宇治山田、広島の嚴島神社の宮島などが、門前町・鳥居前町などに当たる。

 このように、門の周囲で、参拝者や観光客向けの商売が営まれるのは日本の寺院や神社においても、そして、フランスにおける教会においても同様であるようだ。


 そんな話をしながら、日本人の三人は、グランド・リュをゆっくりと上っていたのだが、ふと、雷太がこんな疑問を呟いた。


「お寺とか神社って、神や仏を祀るような神聖な場所で、その宗教関係者の衣食住を支えるための商工業が、神社仏閣の周囲で営まれるのは、まだ納得できるんすよ。だけど、遊興目的の観光客向けに商売をするのって、質素を旨とする宗教と矛盾するように思えるんすよね。ぶっちゃけ、神様に対して失礼とかにならないんすかね?」

「うっ、うぅぅぅ~~~ん。その辺りのことは、調べてみるか、専門の人に訊いてみない、と明確なことは言えないかな。

 でも、神社仏閣の前で行われる商売では不正を行わない、という商道の信仰があったり、喧嘩や押売などの狼藉は御法度だったりして、暗黙のルールみたいなものは、他よりも厳しい印象なんだよね」

「先生、そう考えると、逆に、門前町での商売は、商売人にとっても客にとっても、安全という事になるのでしょうか?」

「理屈では、そういう話になるかもね」


「中学の修学旅行で奈良や京都に行った時や、高校の時に宮島に行った時にも思ったんすけど、宗教施設とその周りの土産物屋って、セットってイメージなんすよね。

 でも、一体いつから、そんな風に、神社仏閣の周りに土産物屋があるって風になったんすかね?」

「たぶんって話になるんだけれど、近世になって、社会が安定してからだと思うよ」

「先生、社会が安定ですか? それならば、江戸時代辺りかな?」

「そもそも、社会が不安定だと、参詣目的の旅とかできないって話っすよね」

「サンダー、庶民の神社仏閣の参拝や巡礼が盛んになると、増加した訪問客のニーズに応えるために、宿屋や飲食店が、門前町や鳥居前町にできて、さらに、観光的な性格を強めていったって事なのかもな」

「ムッシュ、モン・サン=ミシェルのグランド・リュの形成も、日本と同じ感じなんすかね?」

「モン・サン=ミシェルは、十八世紀末のフランス大革命の後は、脱出不可能な監獄として利用されていたんだけれど、その後、十九世紀に入って、巡礼地として復活、というか観光地化した際に、日本の門前町みたいになったのかもな。

 さっき入った、ラ・メール・プラールも創業は、たしか一八八八年で、この事は、少なくとも十九世紀の末には、モン・サン=ミシェルの参道が現在のような形になっていた事の証拠かもな」


 モン・サン=ミシェルの参道であるグランド・リュは、王の門から修道院まで長さ二五〇メートルほどの短い道なのだが、時期によっては人でごった返し、王の門から修道院まで至るのに一時間以上かかる場合もある。

 十八年ぶりの〈世紀の大潮〉が翌日に迫ったこの日、グランド・リュは、そのような状況にあり、修道院に向かうために上る人、修道院から出てきた下る人、あるいは、土産物屋を訪れる人で、この日は史上最大級の人の多さであった。


 三人の日本人は、一メートル進むのに一分近くかかるような状況下、牛歩のように、ゆっくりと歩みながら、坂道を上っていたのだが、雷太は、その際に、とある事実に気が付いた。


「ムッシュ、なんか、坂を下っている観光客、日本人が多くないっすか?」

 そんな風に雷太が指摘したことで、理音も坂を下っている人達の顔に着目してみた。

 東洋人、というか、日本人が多いように思えるし、耳に届いてくる言葉にも、多くの日本語が混じっている。

「たしかに、多いな」

「でしょ? リオンさん」

 それはまるで、ここは浅草寺か伊勢神宮かよって言うほどの日本人の多さであった。


 修道院に向かう列が、もう少し進んだ辺りで、哲人が二人に言った。

「サンダー、リオン君、あれを見てみなよ」

 哲人の視線の先には、見慣れた文字による土産物屋の掲示があった。

「ま、まじっすかっ! ム、ムッシュ、あれ、日本語じゃないっすかっ!」

「そうだよ」

「すごいですねっ! 先生、でも、どうして、日本語の表示まで、あるんですかね?」

「ですよね。ところで、あれって、何すか?」

「さっき、僕たちがオムレットゥを食べたラ・メール・プラールで出している〈ガレット・クッキー〉だよ。あれが、まあ、モン・サン=ミシェルのお土産の定番かな。

 で、あの日本語の表示は、その〈モン・サン=ミシェル・クッキー〉の掲示って分けさ」

「ムッシュ、それって、喩えてみると、伊勢神宮の赤福とか、宮島のもみじ饅頭を売っている店に、日本語以外の、例えば、フランス語の表記があるって話っすよね」

「先生、サンダー、自分、伊勢の内宮の赤福に行ったことがあるのですが、日本語以外の表示があった記憶がないのですよ。仮に他の言語の表示があるとしても、それは中国語や英語で、フランス語ではないと思います」

「えっと、表示言語の問題ってデリケートでさ……」

 と哲人は話を切り出した。


 モン・サン=ミシェルの土産物屋が日本語の掲示を出している事を知った人の中には、これを「言語の差別だ」と主張する人もいるであろう。

 差別でないのならば、この世界に存在する全ての言語で表記すべきだ、と。

 しかし、モン・サン=ミシェルの土産物屋で、日本語の表記がされているのは、日本語以外の他の言語を貶めている意図がある分けでは決してない。これは、ただ単に、日本人観光客が多いために為された対応であろう。

 こうしたモン・サン=ミシェルの変化は、島外のホテルが、オムレットゥのシェアに対応するようになったのと原因は同根であるように思える。


「ところで、ムッシュ、あそこの土産物屋でクッキーを売っているのって日本人じゃないっすか?」

 雷太が指差しながら驚きの声をあげた。

「だな。五年前に来た時にも日本人の売り子さんは既にいたし」

 日本人観光客が多いため、日本語対応の売り子も必要なのだろう。


 日本語の掲示があったり、日本人の売り子がいたり、数多くの日本人観光客の姿を目にして、思わず、雷太は呟いてしまった。

「ここは嚴島神社かよ」

 これに理音が反応した。

「でもな、サンダー。宮島もそうかもしれないけれど、奈良・京都とかも、外国人観光客だらけだから、そこはお相子じゃん」

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