第43話 日常の異化、馬車と橋と門

 レンヌを出発した、モン・サン=ミシェル行きのバスは、そのまま島には向かわずに、島から、二~三キロ離れた所に位置している駐車場に停車した。


「あれっ! 島から、こんなに離れた所で降ろされちゃうの?」

「どうしたんすか? ムッシュ」

「いや、五年前の二〇一〇年の春に、モン・サン=ミシェルを訪れた時には、島の直ぐ傍まで、バスが連れて行ってくれたような記憶があるんだけれど……」

「えっと……。『モンサンミシェル』『駐車場』っと」

 雷太は、ポケットからスマフォを取り出して、ネットで何やら調べ始めた。

「ヒットしたっす。どうやら、何年か前までは、島のすぐ傍に駐車場が在ったみたいなんすけど、環境保護とかの理由で、島の傍の駐車場は閉鎖されて、島から離れた所の駐車場を使う事になったみたいっすよ」

「それ、知らんかったわ。昔、行った事があったんで、最新の情報をを調べるのを怠っていたわ。って事は、こっからモン・サン=ミシェルまで、歩きになるのかな? 三十分は掛かりそうだけれど」

「待ってください。なんか他にも情報が……。どうやら、この駐車場から、シャトルバスが出ているみたいっすね」

「ビヤン(よし)。この駐車場からだと、島よりも、泊まる予定の島外のホテルの方が近いし、まずは、ホテルに荷物を預けて、身軽になってから、島に向かう事にしようか」

「オッケーっす、ムッシュ。ところで、島までは歩きにします、それとも、バスにします?」

「今日のところは、バスにしようか?」

「先生、バスは二種類あるらしいですよ」


 哲人は、フランス語の掲示を読んでみた。

 二つある、駐車場と島間のシャトルバスのうち、一つは、九十五人乗りの、〈パッサー〉という普通の外見のシャトルバスで、所要時間は僅か六分であった。

 そしてもう一つが、〈マランゴット〉という、五十人乗りの馬車で、所要時間は十五分である。

「これは、時間が掛かっても、馬車バス一択っすよ、ムッシュ」

「そうだな。馬車に乗る方が、ロマンがあるよな。それで構わないかい? リオン君」

「はい、私にも異論はありません」


 かくして、三人は、往復・四.五ユーロを払って、五十人乗りの馬車、マランゴットに乗り込んだのであった。

 マランゴットは、かつて、モン・サン=ミシェルまで巡礼者を運んでいた馬車を模したものであるらしい。

「先生、こういう馬車に旅行者が乗りたがるのって、京都で人力車に乗るのと同じ心理なのかもしれませんね?」

「そうだね、リオン君。旅ってのは、日常を〈異化〉、つまり、非日常化する物だから、普段の生活の中では利用する事のない人力車とか馬車に乗った方が、僕たちは、その異化された世界に入り易くなるのかもしれないね」

「異化された世界って、なんか、今から、私たち、馬車に乗って、ファンタジーな〈異世界〉に行くみたいですね、先生」

 ちょうどその時、馬車は、島へと続く橋を渡っていた。

「リオン君、それ、言い得て妙だよ。洋の東西を問わず、民俗学的に言うと、橋や門とかは、ある世界と別世界との〈境界〉と考えられてきたんだ。だからこそ、トンネルを抜けたり、橋を渡る場面から書き出される物語が多いんだよね。つまり、橋は、作中人物の日常を非日常化し、読者を現実世界から物語世界に誘う、恰好の舞台装置なんだよね。

 それに、あれを見てみなよ」

 馬車の上から、哲人は前方を指差した。

「あのモン・サン=ミシェルの威容、あれが、僕たちの日常と同じ地平にあるなんて、とても想像できないよね」

「ですよね、先生」


 やがて、馬車から降りた三人は、モン・サン=ミシェルへの入り口である〈アヴァンセ門〉の前に立った。

「ムッシュー、橋を渡ってから〈門〉を通るのって、なんか、いよいよ異世界に突入って感じで、テンションがあがりますね。〈モン〉・サン=ミシェル、ゆ・え・に」

「……。さて、リオン君、二人だけで向かおうか」

「ちょ、ちょっと待ってくださいよおおぉぉぉ~~~」

 哲人はサンダーを無視して、リオンと二人でアヴァンセ門を潜り抜けて行った。


 そして、モン・サン=ミシェルに在る門の中で、最も着目すべきが〈王の門〉である。

 王の門の建造は、百年戦争末期にまで遡る事ができるらしく、この門は、十五世紀当時そのままの形で現存しているのだそうだ。

 王の門は、その前にある跳ね橋と鎖で繋ぎ止められており、要塞として利用されていた百年戦争の時代には、この跳ね橋を釣り上げて、敵の侵入を防いだのであろう。そして、フランス大革命後に監獄として利用されていた時代には、島内の囚人の逃亡を防ぐ役目も果たしていたに違いない。


「昼時だし、まずは、腹ごしらえをしちゃおうか。島をぐるっと観て回るには、三~四時間もあれば、十分なんだよね」

「えっ! それ位で、回れちゃうんすか?」

「そもそも、そんなに広くないしね。たしか、約一万平方メートルだったかな? いずれにせよ、陽が暮れる前には宿に戻れるよ」

「それなら、モーマンタイっすね。

 ところで、ムッシュー、お昼は何を食べるんすか?」

「モン・サン=ミシェルと言ったら……」

「「いったら……?」」

「それは、オムレットゥ、一択ですよ」

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