第44話 ブルターニュの郷土料理とモン・サン=ミッシェルのオムレットゥ

 フランス北西部に位置し、西に向かって突き出ているのが、ブルターニュ半島である。

 ブルターニュでは、ブリトン語系ケルト諸言語の一つである〈ブルトン語〉が今なお話されてはいるものの、ブルトン語は、ユネスコによって、言語のレッドブックに入れられている〈絶滅の危機に瀕している〉言語である。ちなみに、そのブルトン語では、ブルターニュは〈ブレイス〉と呼ばれている。

 歴史的に言うと、ブルターニュは独立国だったのだが、十六世紀にフランスに併合された。だが、フランスの一州になったものの、ブルターニュは、フランス大革命までは自治権と特権を保持していた。

 地理的には、フランスと地続きで、歴史的には、フランスの一部になったものの、ブルトン語を話すケルト人が住んでいたブルターニュの独自性は、その郷土料理、食文化にも表われている。


 ブルターニュの代表的郷土料理が、ガレットとシードルである。

 日本でも、原宿などで見かけるように、小麦粉の生地を薄く大きく焼いて、その生地に、生クリームやフルーツ、チョコなどを添えた甘い食べ物が、いわゆる、クレープなのだが、これに対して、そば粉の生地で作る、塩味が効いたクレープが〈ガレット〉である。

 ブルターニュは土地が痩せているため、そばが主食であり、そのため、そば粉でクレープが作られた。つまり、そば粉の生地にハムやチーズ、卵などを添えるのが、ブルターニュのガレットなのだ。

 そして、土地が痩せたブルターニュは、ブドウの栽培にも適せず、結果、ワインの製造にも不向きで、葡萄酒の代わりに製造されたのが、林檎のお酒である〈シードル〉なのである。

 かくして、リンゴ酒であるシードルと、そば粉のクレープであるガレットが、ブルターニュを代表する郷土料理の組み合わせとなる。


 すなわち、小麦とワインというフランスと、そばとシードルというブルターニュは、食文化という点において、明らかに異なる地域だと言えるのだ。


 モン・サン=ミシェル行きのバスに乗り換えたレンヌは、このブルターニュ地方に含まれ、モン・サン=ミシェルは、行政区分こそノルマンディー地域圏のマンシュ県に含まれるのだが、マンシュ県は、ブルターニュに隣接しており、それゆえに、モン・サン=ミシェルでは、シードルもガレットも頻繁に飲み食いされている。


「てなわけで、夜は、ホテルのレストランで、ブルターニュのガレットとシードルにする予定なんだよね」

「ムッシュー、そのそば粉のクレープとリンゴ酒って、あんまり聞いた事ないんすよね。日本でも何処かで食べられたりしないんすかね?」

「神楽坂にブルターニュ料理の専門店があるんで、日本に戻ったら行ってみたら」

「あとで調べてみるっす」


 王の門のすぐ傍にあるレストラン「ラ・メール・プラール」に入って、コースを頼み、前菜を待ちながら、哲人は、夕食の予定を雷太と理音に語ったのであった。

 ちなみに、この店名は、直訳すると〈プラール母さん〉という意味になるのだが、日本では「プラールおばさん」という名で知られている。

 ラ・メール・プラールは、一八八八年に創業された老舗の料理店で、この店の名物が、モン・サン=ミッシェルの伝統料理である、ふわっふわっなオムレツである。

 そもそも、日本で〈オムレツ〉と呼ばれている卵料理の名称は、〈オムレットゥ(omelette)〉というフランス語に由来する。だから、フランスで食べるオムレツは、本場のオムレットゥと言えるであろう。


 溶いた卵に少量のクリームや牛乳を加えて掻き回し、その卵液を、油を引いたフライパンで焼き、折り畳んで、形を整えた料理が〈オムレツ〉で、具材を何も入れずに、卵液に味付けをしただけのオムレツが〈プレーン・オムレツ〉である。

 日本では、明治・大正時代以来、家庭にも普及したオムレツは、日本人の味覚に合わせるために、炒めた玉葱や挽肉を溶き卵で包むようになったのだが、これが、典型的な日本風の〈オムレツ〉である。

 これに対して、本場のフランス、特にモン・サン=ミシェルの伝統料理になっている〈オムレットゥ〉は、卵を泡立てて、大きく焼き上げるのが、その特徴になっている。

 聖地として巡礼地であった頃のモン・サン=ミシェルは、海に浮かぶ小島であった。そのため、野菜や肉といった食材が手に入り難かった。そこで、とにもかくにも、モン・サン=ミシェル修道院を訪れた、空腹な聖地巡礼者のために、栄養価が高く、見た目だけでも大きな料理を提供するために、量が多い料理が考案されたのかもしれない。だからなのか、モン・サン=ミシェルのオムレットゥは、日本人が知っているオムレツよりもサイズが大型なのである。


 モン・サン=ミシェルのレストラン、「ラ・メール・プラール」では、単品でのオムレットゥの提供はなく、前菜、主菜、そしてデセールという、まさに、伝統的なフランス料理の提供法であるムニュ、つまり、コース料理の主菜として、オムレットゥは供されている。


 哲人と、雷太と理音が前菜を食べている時、三人から少し離れた席にいた、卒業旅行で来ていると思しき、日本人の大学生のカップルが、出されたオムレットゥの大きさに驚きながら、英語に身振り手振りを交えて、ギャルソンに取り皿を要求した様子が、三人の視界に入ってきた。

 彼氏と彼女で、別の味のオムレットゥを注文したので、二人で取り分けよう、と考えたのであろう。

 しかし、その男性給仕に、取り皿はない、と拒絶され、そのカップルは、フランス人には分からない、と思って、日本語で罵詈雑言を放っていた。


「先生、どうして、あのカップル、取り皿をもらえなかったのですか?」

 リオンが、小声で哲人に尋ねてきた。

「あっ、それは、フランスでは、料理のシェアがマナー違反だからだよ」

「えっ! ムッシュー、取り分けなんて普通じゃないっすかっ!」

「日本ではな。フランスでは、出された料理というのは、個人のものであって、その皿の料理を取り分けたり、他人とシェアするっていうのは、品のない行為なのだよ。特に、『ラ・メール・プラール』は、コースしか提供しないうような名店だし、店の品格を下げないためにも、客に取り皿を出すような妥協は絶対にしないんじゃないかな。君らも、フランスでは、料理のシェアみたいな、ダサい真似はしないでね」

「危なかったっす、ムシュー、自分、リオンさんと別の味のオムレツにしたんで、一口ずつ、交換しようって思っていたんすよ」

「サンダー、やめて、フランスでは、そんな見っともない事」

「分かったっす」

「でもな、日本って、居酒屋がその象徴だけど、取り分け文化で、一人一皿文化じゃないじゃん」

「そうですね、先生」

「このモン・サン=ミシェルは、日本でも人気が高い世界遺産で、数多くの日本人が来ているんだけれど、取り分けやシェアが、日本では常識的な普通の行為なので、マナー違反だなんて、知らずに来ている人が実に多いんだよね」

「自分もそうだったっす」

「この『ラ・メール・プラール』では、取り皿禁止を貫いているけれど、島の外のホテルでは、ちょっと事情が違うみたいなんだよね」

「どおゆうことっすか? ムッシュー」

「五年前に来た時に、自分が泊まったホテルで食事をした時、日本の高校生の修学旅行生の集団と同席したんだよね」

「修学旅行でフランスっすかっ! 驚きっす」

「最近では割と多いよ」

「その時、自分が『驚きっす』ってなったのは、ピザみたいに、超大きく焼いた、スペイン風オムレツみたいなオムレットゥを、高校生がシェアして食べていたんだよ」

「まじっすかっ!」

「そう、まじなんですよ。フランスの食文化の文脈で考えると、明らかなマナー違反だけれど、きっと、ホテル付属のレストランは、日本の観光客を数多く迎えてきて、幾度も、取り皿を求められてきたんだろうな。だから、シェアという概念が、モン・サン=ミシェル島外のホテルに入って、そんな変化をホテルに及ぼしたのかもな、知らんけど」


 そんなフランスの食事マナーと給仕法の変化に関して話している内に、主菜であるオムレットゥが三人に提供された。

 哲人は、塩気があるスモーク・サーモンとポテトのオムレットゥ、リオンは、海老とラタトゥイユのオムレットゥを注文したのだが、サンダーは、食材を素のままに活かしたオムレットゥを頼む事こそが通である、と考えて、プレーンなオムレットゥを頼んでいた。

 雷太が、ナイフとフォークで切り取った卵料理を口に入れたその瞬間、オムレットゥは口の中で溶けていった。

 モン・サン=ミシェルのオムレットゥは、大きくふわふわに仕上げるために、空気をふんだんに含ませる。だから、口中で、瞬く間に溶けるような食感になるのだ。

 だが、サンダーは、そこはかとなく微妙な顔付きをしていた。

「どうした? サンダー」

 既にその理由を察しているらしき哲人が面白がって、雷太に訊いた。

「あ、味が薄いっす。ケチャップとかないっすかね?」

「フランスのレストランだと、客が勝手にシェフの味を変えないように、ケチャップやソースみたいな調味料は準備されてはいないよ」

「先生、それも、シェア同様にマナー違反なんですね?」

「かもね。

 で、伝統的なモン・サン=ミシェルのオムレットゥは、いわゆる、巡礼者のための精進料理だから、〈昔ながら〉のオムレットゥは、現代の日本人には、味が薄くて物足りなく感じられるんだよね。だから、リオン君みたいな、ラタトゥイユのオムレットゥぐらいが、日本人の味覚的には丁度よいんだよ」

 夏野菜とニンニクをオリーブ・オイルで炒めて、それにトマトを加え、香草やワインで煮たフランス料理がラタトゥイユなのだが、これは、元々、南フランスのニース地方の郷土料理である。だから、冬のノルマンディー地方で食べるのは、季節も場所も合っていないように思えるのだが、トマトを使った濃い味は、日本人の味覚と実にマッチするのである。


 このようにサンダーに語りながら、哲人は、自分も、伝統の古の味こそ浪漫だと考えて、プレーンなオムレツを頼んで物足りなさを覚えた、若さ故の過ちを犯した時の事を思い出していたのであった。

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