第45話 高速でモン・サン=ミシェルへ

 モン・サン=ミシェルに向かう、哲人と雷太が、ブロカ通りのアパルトマンを出たのは、朝の六時ぐらいの事であった。


 そして、二人と入れ違うかのように、イタリア人が、哲人のアパルトマンに忍び込んだ。

 しかし、半時間ほど家探しをしたものの、目的の物を見付け出す事が出来なかったイタリア人は、手掛かりとして、〈Mont Saint-Michel〉の文字が白く浮き出たメモ用紙だけを手に持って、アパルトマンを飛び出した。

 だが、そのイタリア人がモンパルナス駅に到着した時には、モン・サン=ミシェルに向かう旅行客が利用する、パリ発・レンヌ行きのTGVの始発便は、既に出発した後であった。

 そこで、イタリア人は、イタリア語対応の駅の窓口で、次に出発するTGVを予約しようとした。だが、直後の便どころか、この日のレンヌ方面行きの列車は全て満席で、乗車券を取る事ができなかった。

 そこで、そのイタリア人は、列車での移動を諦め、方針を転換させた。

 列車が駄目ならば、別の方法を使えば良いだけの話なのだ。

 彼は、パリの拠点に待機している仲間に電話を掛け、モンンパルナス駅まで車を回すように指示を出した。


 自動車で、高速道路を使って、パリからモン・サン=ミシェルに向かう場合、大きく分けると、二つのルートがあり得る。

 一つは、北回りのルートで、そして、もう一つが南回りのルートである。

 純粋に距離だけの問題で言うと、北回りのルートを使った方が、移動距離は短い。

 具体的に言うと、パリからモン・サン=ミシェルまでは、北回りが三六〇キロ、南回りが三七五キロメートルで、その差は約十五キロ、北ルートの方がやや移動距離が短い。

 しかし、仲間を待つ間、イタリア人は、ルート・マップを広げると、ほぼ直感で、南回りのルートを採る事にした。

 それは、そのイタリア人が今居るのがモンパルナス駅というパリの左岸、すなわち、セーヌ河を挟んだ南側であった事が心理的に作用したのかもしれない。

 また、イタリア人たちがパリの拠点にしていたのが、左岸の十三区に在るイタリア広場の付近に位置しているアパルトマン式ホテルであり、組織の者とモンパルナス駅で合流した後、渋滞し易いパリ市内を縦断するよりも、南からパリを抜けて、そのまま高速に乗った方が良いように思えた事も、南周りのルートを選んだ理由の一つであった。


          ※


 午前七時十分前――

 監視役として理音だけを残し、二人の日本人はモンパルナス駅を後にした。

 十四区のモンパルナス駅から二区の事務所に戻るのではなく、駅の周辺でレンタカーを借りて、即座にモン・サン=ミシェルに向かう方が、時間の無駄もなく効率的なのは確かなのだが、彼ら二人もまた、理音同様に、フランスに不法滞在している〈ノワール〉であったため、パスポートの提示を求められるレンタカーの借用はリスクが高かったのだ。

 かくして、二人のガーディアンは事務所の車を取りに、メトロでオペラ座界隈に向かった次第なのだが、その途中で、モンパルナスに残した理音から、ショート・メールが入った。


 理音は、哲人たちの尾行を続行するべく、七時六分にモンパルナス駅を出発したTGVに、そのまま無銭で乗車してしまった、との事であった。

 〈ホウレンソウ〉を怠り、独断専行した理音への小言は後回しにするとして、とまれ、これで、理音を拾うために、車で、モンパルナスに引き返す必要はなくなった。

 そこで、二人の日本人は、北回りのルートで、モン・サン=ミシェルに向かう事にしたのである。

 

 事務所に戻って、車庫を確認してみると、この時、使える車は、ドン・シンイチの愛車であるシトロエンしかなかった。

 ミッションの為とはいえども、ドンに無許可で、この車を勝手に乗る分けにはいかない。

 だが、ちょうどその時、ドンから、ガーディアンのリーダーの携帯に電話が掛かってきた。ドンが有栖川に貸しているアパルトマンが何者かに荒らされており、状況を問い合わせてきたのであった。

 ガーディアンのリーダーである〈ゴゲン〉が現状を報告すると、ドンから、すんなりとシトロエンの使用許可が下りたので、ゴゲンは、相棒の〈ニシカワ〉と共に、ピングがかった赤色のシトロエン「2CV」に乗り込み、即座にパリを発ったのであった。


 ドン・シンイチの愛車である「シトロエン2CV」は、第二次世界大戦後の一九四八年に発売されて以降、四十年以上もの長きに渡ってロングセラーとなった、フランスの〈国民車〉である。

 しかし、日本人にとって「シトロエン2CV」と言えば、宮崎駿監督・脚本のアニメ映画『ルパン三世 カリオストロの城』の冒頭のカー・チェイスの場面で、ウエディング・ドレスを着たクラリス嬢が乗っていた車として知られている。

 二区の車庫にあるシトロエンは、カラーリングも可能な限りアニメに寄せた、ルパンの大ファンであるドン・シンイチが大切にしている一台であった。


 『カリオストロ』は古い作品であるため、若い世代のゴゲンとニシカワは、キャラの名前や名台詞は知ってはいるものの、ドンの部下になるまでは、きちんと観たことがない、いわゆる、古典的〈名作〉であった。

 だが、ドン・シンイチの組織に入る際の研修プログラムに、『カリオストロの城』の視聴が組み込まれており、組織では定期的に『ルパン』の上映会が行われるため、必然、ドンの部下は皆、いつの間にかルパン通になってしまうのだ。


 カリオストロの城、それ自体は、物語の中に出てくる架空の欧州の小国の城なのだが、そのモデルの一つは、リヒテンシュタイン城であるらしい。だが、物語終盤の水の中に浮かぶ建物のイメージは、今、ゴゲンとニシカワが向かっているモン・サン=ミシェルと重なり、それゆえに、モン・サン=ミシェルもまた、カリオストロの城のモデルの一つだとみなされている。

 だから、ドンの親友のガードという任務とはいえども、クラリスが乗っていた、チェリーピンク色のシトロエンで、モン・サン=ミシェルに向かっているというシチュエーションは、ゴゲンとニシカワのテンションを、いやが上でも昂めていたのであった。


 だがむしろ、それ故にか、話に夢中になっていたゴゲンとニシカワは、北回りでモン・サン=ミシェルに向かうには、セオーのラ・ショッセで高速の「A84」を出てから、国道の「N175」に入らなければならなかったのに、この降り口を素通りしてしまったのである。

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