第42話 モン・サン=ミシェルの大潮

 世界遺産は、文化遺産、自然遺産、複合遺産の三つに分類されている。

 文化遺産の場合、例えば、日本の「古都京都の文化財」や「古都奈良の文化財」などのように、都市や地域が、世界遺産に登録されているケースも少なくはなく、フランスでも、「リヨン歴史地区」や「パリのセーヌ河岸」といった領域が、文化遺産として登録されている。

 もちろん、神社仏閣、城や教会といった歴史建造物が、単独で文化遺産に登録されている場合もあり、日本では、「姫路城」や「嚴島神社」が、フランスでは、「ヴェルサイユの宮殿と庭園」や「シャルトル大聖堂」などが、このケースに該当し、たしかに湾も含めると、その領域は広いのだが、「モンサンミッシェルとその湾」も、単独で世界遺産として登録されている事例に当てはまる。

 日本の嚴島神社もそうなのだが、モン・サン=ミッシェルの場合、この歴史建造物を取り囲む水域と、その潮の満ち引きという〈自然現象〉込みでの世界遺産、と言えるかもしれない。


               *


「先生、パリのモンパルナスからレンヌまでのフランス新幹線は、早朝にもかかわらず満席で、レンヌからのバスも、こんなに何台も増便されているのですが、モンサンミシェルは人気の世界遺産だし、いつも、こんなに混んでいるのでしょうか?」

「前回、と言っても、五年も前の話になるんだけれど、僕が前に全く同じルートでモン・サン=ミシェルに行った時には、今日みたいには混んではいなかったかな。だから、多分、いつもって分けじゃないと思うよ。

 あっ! そうだ。サンダー、ちょっと」

「なんすか? ムッシュー」

「宮島で、干潮時と満潮時、両方の嚴島神社を観たって、さっき話していたけれど、ぶっちゃけ、どっちの鳥居の方が格好良かった?」

「それは、断然、水の中に朱色の鳥居が在った時でしたよ」

「そりゃ、そうだよね。つまりさ、モン・サン=ミシェルの場合も同じように、潮が満ちた時、つまり、水に囲まれていた場合の方が、見映えがするって話なんだよね」

「ムッシュー、モン・サン=ミシェルが〈バエる〉には、一体どの位の水位が必要なんすか?」

「以前、何かで読んだ時に、写真も見たんだけれど、潮が満ちて、陸と島とを繋いでいる道路の、その島側の半分が完全に水の中に沈んでしまい、さらには、修道院の周囲までもが水没して、モン・サン=ミシェル修道院の在る小島が、海に浮かぶ孤島になって、水上に美しく浮かび上がるためには、たしか……、水位〈十三〉メートル以上が必要だったはず」

「じゅ、十三メートルっすかっ!」

「もちろん、潮の満ち引きってのは、毎日ある分けだけれど、島へと続く橋の半分が水没する程の〈大潮〉になるのは珍しい事態で、連続した二日から三日を一回と数えて、年に六回とか七回くらいしか起こらないんだよ」

「あっ! なるほど、先生、分かりました。今が、そのモンサンミシェルが水上の孤島になる、大潮の時期に当たっているのですね。だから、新幹線もバスも混んでいたんだ」

「まっ、そういった事情なのさ」


「ムッシューが、以前にモン・サン=ミシェルに行った時も、その大潮だったんすか?」

「残念ながら、五年前に行った時には、二ヶ月に一回しかない、その大潮の機会は逃してしまったんだよね。本当は行きたかったんだけれど、満潮のタイミングの日には、レンヌ行きのTGVが満席になっちゃっていてさ。だから、今回は早めに、移動手段を確保した分けなんだよ」

「そうなんすね」

「で、訪問した時のタイミングは、干潮時だったんだけれど、その時は、島から大体三キロくらい離れた、島の外のホテルに宿泊したんだ。その際、水が引いた砂地をわざわざ歩いて移動したんで、靴がかなりドロドロになってしまったんだ」

「それ、自分が、宮島に行って、鳥居の傍まで歩いて行った時と同じっすね」

「なるほどな。

 でさ、島の観光をした時に、モン・サン=ミシェルの歴史の展示室があって、そこには、フランス革命以前に、モン・サン=ミシェルが修道院として聖地巡礼の地であった時の状況を描いた絵があったんだけれど、大昔、潮が引いた時に砂地を歩いて、島まで移動しようとした巡礼者が、急激に潮が満ちた事によって溺死した、という悲劇を描いた絵を見た後に、その砂の上を歩いたんで、足はドロドロになりながら、胸は、ちょっとドキドキしていたかな」


「ムッシュー、干潮時の砂上を歩くってのは、たしかにロマンっすけど、島から三キロの宿とかじゃなくって、島の中の宿に泊まった方がよかったんじゃないっすか?」

「実は、島の中の宿が予約で一杯だったから、その時は島の外に泊まったんだよね」

「先生、それなら仕方ないですね」

「たしかに、島内に泊まるのはロマンだけれど、島の外に泊まって良かったって、今は思っているよ」

「何でですか? ムッシュー」

「夜になると、モン・サン=ミシェルがライトアップされて、美しく照らし出されるんだけれど、島の内に泊まったら、その絶景は観れないんだよね」

「なら、一回、島外に出れば、よくなくないっすか?」

「夜に島の外に歩いて出るのは、ちょっと危ないんだよね」

「何故ですか? 先生」

「島へと続く道路に街灯がないからなんだよ」

「へっ!?」

「つまり、夜になると、島の周りは真っ暗、というか、もはや真っ黒で、昔は、島の外からライトアップされたモン・サン=ミシェルを見物しようとした観光客が、車に轢かれたって事故が多発していたらしいよ」

「それは怖いですね」

「だからなのか、島外の宿は、夜景の見学者用に、蛍光のライフ・ジャケットを貸し出しているんだよね。

 そういった分けで、ライトアップされたモン・サン=ミシェルを安全に観るって意味で、島外の宿泊が、僕のオススメって分け。だから、今回も島外の宿を取ったんだけれど、ポチった時には、最後の一部屋で、予約、危なかったんだよね」

「えっ! モンサンミシェルの宿、もう既に満杯なんですか?」

「リオン君、もしかして……」

「現地に着いてから、観光センターとかで宿を手配してもらおうかと……」

「なら、リオンさん、自分らの部屋に来てくださいよ」

「そうだな。海外だと、宿の予約は、人数ではなく、部屋単位だから、人数が増えても、まあ、問題無しかな」

「でも、後からツレが二人来るのですが……」

「それは大丈夫。僕が予約できた部屋って、そもそも大部屋だから。そこしか空いていなくってさ」


「それにしても、大潮の時のモン・サン=ミシェルに来る観光客って、ものすごい数なのでしょうね?」

「今回は、特に、そうなんだよ」

「どおゆう事なんすか」

「今回の大潮は、水位十三メートルなど及びもつかないようなスーパー大潮で、島に橋が架けられる以前の、海に浮かぶ小島の如き、完全なる古のモン・サン=ミシェルの姿を観る事ができる絶好の機会なのさ。

 そのピークの到来が、二〇一五年の三月二十一日なのだよ」

「それって、あ、明日じゃないっすかっ!」

「そっ。だから、何年も前から、この日に、モン・サン=ミシェルを訪れる計画を立てて、フランスへの研究旅行も二〇一五年の春に合わせた次第なのだよ」

「さすがのムッシューっすね」

「ハハハ、そういう事。

 通常の大潮は、水位十三メートルで、橋の半分が沈む程度なんだけれど、今回のスーパー大潮では、満潮時の水位は、なんと十四メートルを越えて、橋は完全に水没しちゃうらしいんだよね」

「先生、なんか、すごい自然現象ですね」

「そうなんだよ。今回のような大・大潮は『世紀の大潮』と呼ばれていて、前回は、一九九七年三月十日、次回は、二〇三三年三月三日で、つまり、スーパー大潮は、十八年に一度の自然の驚異なのだよ」

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