第56話 サン=オベールの礼拝堂と大天使ミシェルの雷撃

 今現在、「モン・サン=ミシェル」と呼ばれている地は、元々は、この地の先住民であったセルト(ケルト)人が信仰している「モン・トンブ(墓の山)」と呼ばれている岩山であった。

 

 七〇八年、八世紀の初め、それは日本の奈良時代に当たるのだが、今のモン・サン=ミシェルから見て北東、約二〇キロメートルの所に位置しているアヴランシュの司教であったオベールの夢に、大天使ミシェル(ミカエル)が現れ、こんな御告げをした、という。


「この岩山に聖堂を建てよ」


 だが、オベールは、この御告げをを悪魔の悪戯だと思い込んで、行動には移らなかった。

 すると、大天使ミシェルは、もう一度、オベールの夢に現れた。しかし、それでも、オベールは信じなかった。

 そして、オベールの夢の中に大天使が現れた三度目の時、これまでの二度の御告げに従わなかったオベールの態度に業を煮やしたのか、大天使は、今度は、オベールの額に指を当てて強く命じたのだそうだ。

 この時、夢の中で、オベールの脳に稲妻が走った、という。

 翌朝、目を覚ましたオベールが、自らの頭に手を置いてみると、脳天に穴が空いている事に気付き、愕然としたらしい。

 かくして、この三度目の御告げをもってして、ようやく、オベールは、大天使の命に従い、礼拝堂を作る決意した、との事である。


「それじゃ、ムッシュ、今、俺らが向かっているサン=オベールの礼拝堂って、大天使ミシェルに命じられたオベール司教が建てた物なんすね」

「サンダー、いや、残念ながら、そうじゃないんだよ」

「どおゆう事っすか?」

「サン=オベール礼拝堂は、八世紀じゃなく、十五世紀に建てられた物なんだよ。

 あの屋根の上の像、見えるかい?」

「あれって、何なんすか? ムッシュ」

「オベール司教の像だよ。

 で、オベール司教は、モン・サン=ミシェル創設の功績によって、『サン=オベール』と呼ばれるようになって、それを祀ったのが『サン=オベール礼拝堂』なのさ」


 やがて、岩場の上にあるサン=オベール礼拝堂へと続く階段の下まで、三人の日本人は辿り着いた。

「それにしても、タイミングが絶妙だったな」

「どおゆう意味ですか? 先生」

「満潮の時には、礼拝堂の岩場まで水位は上がって、危なくて、干潮時じゃないと、ここには来れないのさ。ちょうど、今、引き潮だから、タイミングが絶妙だったって話さ」

「ってことは、『世紀の大潮』に当たる今日とかは、あの礼拝堂、完全に沈んじゃうんじゃないっすかね?」

「多分な。水位が十五メートル級になるのは、今夜や明日だけの話じゃないから、今日の最初の満潮時には既に、水没していたかもね」

「ですよね、先生。でも、水の中に沈んでいる建物が出て来るとか、ロマンですね。『カリオストロの城』のラストにも似たようなシーンがあったような記憶が……」

「へえ、リオン君、古いアニメ映画とか観るんだ」

「知人が、ルパンのマニアで、よく一緒に観ているのですよ」

「奇遇だね。僕の知り合いにもルパン好きがいるんだよ」

 理音はドン・シンイチを、哲人は森田真一のことを思い浮かべていた。


 哲人と理音は、しばらく岩場の下で、『カリオストロの城』について語り合っていたのだが、ルパンが分からない雷太は、岩場の上に続く二ヶ所の階段のうち、右の階段を昇り出していた。

「ムッシュ、リオンさん、階段、めっちゃ滑るっす。上がる時には、気を付けてくださいね」

 数時間前まで水に浸されていた岩場の水気は、乾き切っていなかったのである。


 三人は、何度も足を滑らせながらも、何とか岩場の上に到着した。

 やがて、岩場の上で振り返った雷太は、モン・サン=ミシェル修道院を仰ぎ見た。その視線の方には、修道院の上にある大天使ミシェルの黄金像があった。

「ムッシュ、このサン=オベールの礼拝堂って、大天使ミシェルに上から見張られている風になってるっすね。

 言う事をきかなかった聖オベールの脳天に穴を開けたって伝説を知ると、あの大天使ミシェルの黄金像、自分らの頭にも雷撃を落としてくるように思えて、おっかなく思えちゃいます」

 そんな雷太の指摘によって、哲人と理音も上方に視線を向けた。


 それから哲人は言った。

「大天使ミシェルってさ、八世紀の初めにオベール司教に御告げをしただけではなく、十五世紀の初めに、幼いジャンヌ・ダルクに『神の声』を聴かせてもいるんだよね」

「そういえば、そうでしたね。

 ところで、大天使ミシェルが御告げをした人物って、他にもいるんですか?」

「ぱっと、思い付く限りで言うと、ソロモン王かな」

「先生、それって、TGV(ティー・ジー・ヴイ)の中でされていた、大英博物館にある魔術書の話に繋がりますよね?」


 古代イスラエルの王ソロモンと、聖ミシェルとの間には、幾つかの逸話がある。

 有名なものは、ソロモンの指輪に関するエピソードである。


 エルサレムの神殿建設が難航した際、ソロモン王は、モリヤ山という高い岩山に上って神に祈ると、眩い光と共に、エメラルドの翼を持つ大天使ミカエル(ミシェル)が出現して、ソロモン王に黄金の指輪を差し出して、「これによって、汝は地上の悪霊を男女共に悉く封じるであろう。また、これの助けによって、汝はエルサレムを建て上げるであろう。だが、汝は、この神の印章を常に帯びねばならぬぞ」と言ったらしい。


「かくして、ソロモン王は、指輪の力を行使して、数多の天使や悪魔を使役して、エルサレムの神殿を建設しましたとさ、チャンチャン」

「先生、ソロモンの指輪って、七十二柱の悪魔の召喚だけに使われたんじゃないんですね?」

「実は、ソロモンの指輪の力って、悪魔の使役の部分が強調されているけれど、天使も使役できたんだよ。

 指輪の真鍮の部分を使って呪文を唱えると、良き魔神、つまり天使が、一方、鉄の部分を使って呪文を唱えると、悪魔が使役できたらしいよ」

「ムッシュ、そういえば、『ソロモンの鍵』の小さい方の魔術書は、五つのグリモワの合本で、その二番目って、天使と悪魔、その両方の召喚術が書かれた物でしたよね」

「正確には『テウルギア・ゴエティア』な。

 『ソロモンの小さな鍵』は、第一の『ゴエティア』の知名度もあって、七十二柱の悪魔召喚の書ってイメージだけれど、天空の精霊の召喚術についても言及されているんだよね」

「先生、よくよく考えれば、天使の召喚と関連しているからこその、大天使ミカエルですよね」

「ムッシュ、今の話の流れで思い出したんすけど、『小さい鍵』の方の第五のグリモワも、大天使ミシェルが、ソロモンにあげた物っすよね」

「その通りだよ、サンダー。『アルス・ノウァ』は、この『ソロモンの小さな鍵』所収の第五のグリモワールで、大天使ミシェルが、稲妻と共に、ソロモンに授けたって言われているんだよ」

「あれっ! 聖オベールの時も、大天使が脳天に稲妻を落としていましたよね。稲妻と大天使ミシェルのお告げってセッ…………」

 突然の雷鳴が、雷太の言葉を遮った。

 

 この時、モン・サン=ミシェルの上空の晴天を、稲妻が切り裂いたかと思うと、雷が礼拝堂上のサン=オベールの像を直撃した。

 雷光が視界を塞ぎ、雷鳴が耳をつんざき、その雷撃の驚愕のせいで、三人はしばし声さえ出せない状態に陥ってしまっていた。


 ようやく、衝撃から三人が平静さを取り戻し、回復した視力でサン=オベールの礼拝堂の方に視線を送ると、礼拝堂の扉は開いており、その中の聖母マリアの像の前に、白い筺が一つ、置かれている事に三人は気付いたのであった。

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