第Ⅱ章 魔術師の弟子のパリ来訪

第20話 パリの朝、突然の電話

 有栖川哲人(ありすがわ・てつと)がパリに来てから、一ヶ月が経過していた。


 パリに到着した翌日こそ、セーヌ河畔の奇妙なブキニストで巻子本を購入したり、真夜中の公園で強盗に襲われたりなど、幾つかの変事が起こったものの、その後の哲人のパリ生活は、つつがなく過ぎ去ってゆき、パリでのフィールド・ワークや、図書館での資料調査は、計画していた通りに順調に進んでいた。


 そんな三月に入ったばかりの、とある朝のことである。


 突如かかってきた電話のせいで、哲人は予定よりも早く目覚めさせられてしまった。

「ったく、何だよ、こんな朝っぱらに……」

 哲人は、ベッドから抜け出すと、眠り眼を擦りながら、机の上に置いてある電話のところまで、ふらふらと歩いて行った。

 時計に目をやったところ、針は七時半少し前を指し示していた。

 この時刻、パリの空は未だ真っ暗で、冬のこの時期、パリの日の出は七時半頃なのだ。

 日本ならば、同じ時期の日の出時刻は六時頃、七時半ならば外は十分に明るい。

 そのため、どうしても、日本にいた時とパリにいる今の感覚のズレが生じてしまうのだが、七時半ならば、未だ暗いとはいえ、電話が掛かってきたとしても、それほど非常識なわけではない。


 呼び出し音を鳴り響かせていたのは、森田真一から借り受けていたフランスの携帯端末の方であった。


 あれっ! この番号を知っているのは、シンさんとくまっち以外には、数名しかいないはずなんだけど……。

 訝しみながら、哲人は、携帯の通話ボタンを押した。

「アロー、もしもし?」

「よ、よかったあああぁぁぁ~~~。つ、繋がったあああぁぁぁ~~~。ムッシュゥゥゥ~~~、助けてえええぇぇぇ~~~」

「セッキ(誰)?」

「ムッシュゥゥゥ~~~、俺、俺だよ、オレ、オレ」

「『オレオレ』じゃ、まったく分からん。だから、いったい誰だよっ! 一回、落ち着いて、まずは名を名乗れ」

「有木です」

「『ありき』? おっ、サンダーか、お前、パリに着いたんか。で、いったい何がどうした?」

「早朝に空港に到着して、列車でパリに移動してきたんすけど、や、やばいっす」

「だから、何が『やばい』んだよ、どうしたってんだよ」

「自分、財布を、すられちゃったんだよおおおぉぉぉ~~~」


 電話の主は、春休みを利用してフランスにやって来た、大学の教え子、有木雷太(ありき・らいた)であった。

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