第21話 魔術使いの弟子のパリ到着

 俺と〈ムッシュー〉との出会いは、約二年前、大学の入学後で初めて受けた、金曜一限の二外のフラ語の講義だったんだ。


 その一発目の講義で、全員が順繰りに、先生から教えてもらったばかりの、初対面の挨拶表現と自分の名前をフランス語で言った後で、大学では何を専攻したいのか、とか、趣味は何なのか、とか、どんなサークルに入るのか、とか、フランス語を選んだ理由などなどを話しながら、日本語で自己紹介をしていったんだ。

 先生は、所々で、俺たち学生の言葉を捕らえながら、話を膨らまし、クラスのみんなの緊張をほぐそうとしていたんだよね。


 その自己紹介の時、俺は、たしか……、こんな話をしたはずなんだよね。


「モワ、ジュマペール・ライタ・アリキ。アンシャンテ。

 初めまして、有木雷太です。〈雷〉に〈太い〉って書いて、雷太です。高校時代は、『サンダー』って呼ばれていました。雷なだけに」

 あまり受けなかった。コホンと咳払いをしてから、俺は続けた。

「歴史が好きなので、大学では、西洋史か考古学を専攻したい、と考えています。好きな時代は、古代ギリシアとか古代ローマ、古代エジプトも好物です。

 趣味は漫画、アニメ、ゲーム、まあ、いわゆる一つのヲタクです」

 ここで、先生が話に割り込んできた。

「サンダー君は二次ヲタみたいだけれど、好きな作品は?」

「漫画なら『ヒストリエ』、アニメは『Fate(フェイト)』です」

「お、いいね。それじゃ、好きなサーバントは?」

「イスカンダルです」

「なるほど。それで、古代ギリシアや古代エジプトなのね。そうだ、フランス語を選んだ理由は?」

「ナポレオンがエジプトに遠征した際に発見されたロゼッタ・ストーン、そこに書き刻まれていた古代エジプト文字を解読したのが、フランスのシャンポリオンなので、フランスに興味を持ちました。それが、第二外国語でフランス語を選んだ切っ掛けです」

「オッケー牧場、ありがとう。みんな拍手」

「「「「「「「「「「「「「「「パチパチパチパチ」」」」」」」」」」」」」」」

 教室の一番後ろに座っていたので、自己紹介は俺が最後だった。俺の自己紹介の後、先生は、突然、こんなことを言い出したんだ。


「シュマペール・テツト・アリスガワ、改めまして、有栖川哲人です。初めまして。

 これから週二回、一年に渡って、君たちのフランス語の文法を担当します。実は、教員なりたての一年目、君たちと同じ、ピッカピカの一年生です。これから、僕と一緒にフランス語を学んでゆきましょう。

 さて、僕の最終目標は、君たちを〈魔術使い〉にすることなのです」

「「「「「「「「「「「「「「「へっ!?」」」」」」」」」」」」」」」

 驚きの声が上がった後、クラス全員の目が点になっていたんだよね。


「いいですかあああぁぁぁ~~~」

 先生は、髪の毛を後方に手櫛で流すような仕草を〈エア〉でしてみせた。


「フランス語では、文法のことを、〈ラ・グラムメール〉と言います。英語における〈グラマー〉のことですね。英語も仏語も語源は、ラテン語の〈グランマティカ〉です。

 さて、中世ヨーロッパにおいて、文法といえば、それはラテン語の文法のことを指し示していました。そして、フランスでは、〈グランマティカ〉を語源とする〈グラムメール〉とは、ラテン語の文法や、あるいは、ラテン語で書かれた書物のことを意味していたのです。そして、中世のフランスにおいては、ラテン語は日常言語ではなく、聖職者や学者など、一部の教養のある人間だけが理解できる言語であり、当然、一般人にとっては、まったく意味不明な言語だったのです。こう言ってよければ、大衆の目からみれば、ラテン語を用いているのは、自分たちとは異なる人間で、ラテン語で書かれた書物など、判別不能な文字で書かれた、意味不明の書物だったのです。

 この〈ラ・グラムメール〉という語から、やがて、〈ル・グリモワール〉という単語が派生しました。とはいえども、これは語源の可能性の一つなのですが。

 さて、仏和辞典を持っている人は、〈grimoire〉という単語を引いてみてください」


 先生は、少し間をおいた。

「『判読できない文字、あるいは、難解な話や書物』、そして、『魔術書』という意味が載っていたと思います。

 つまりです。

 もちろん、比喩的な意味合いもあると思うのですが、ラテン語が分からない、中世時代の大衆にとっては、意味不明なラテン語の文法など、まさに魔術以外の何物でもなく、ラテン語を扱う者など〈魔術師〉以外の何者でもなかった分けなのです。

 そもそもの話、古代・中世時代は、現代に比べて圧倒的に識字率は低く、文字を扱うことができるのは限られた人間だけでした。

 こうした事情を考慮に入れると、口から発した瞬間に消えてゆく言葉を、記録として残すことができる文字は、それ自体、一般民衆にとっては、いわゆるひとつの〈奇跡〉、つまり、魔術に他ならなかったのではないでしょうか。

 そして、文字を使用するために体系化された法則こそが文法です。


 まとめてみると、語源的に、〈文法〉とは〈魔術〉に他ならない次第なのです。


 さて、今現在、フランス語を学び始めた君たちにとっても、この言語は、多くの人にとってと同じように、未知の言語であり、いわば、一つの〈魔術〉体系です。

 つまるところ、一年かけて、君たちを、フランス語の文法使い、こう言ってよければ、フランス語の魔術使い、〈グリモワ〉>の使い手にしたい、と僕は考えているわけなのですよ」


 先生は、こう言って、初回の講義を締めくくったんだよね。


 やがて、週二回のフラ語の講義が進んでゆくにつれ、クラスの中には、「ムシュー・テツト・アリスガワ」を、その苗字から、「アリスくん」とか「アリちゃん」とか呼ぶ者もいたけれど、俺たちのグループは、親愛の念を込めて、「ムッシュー」と呼ぶようになったんだよね。


 有木雷太は、有栖川哲人との出会いを思い出しながら、空港からパリ市内を結んでいる、RERのB線に乗ってパリに向かっていた。

 そして、リュクサンブール駅で降りたところで、背負っていたデイバッグのフロント・ポケットに入れておいたはずの財布が無いことに、雷太は気付き、慌てて、哲人に電話を掛けた次第なのである。

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