第35話 大英博物館の中の古代オリエント

 モンマルトル駅からモン・サン=ミシェルまでは、列車にて、ドル=ド=ブルターニュ(Dol-de-Bretagne)や、サン=マロ(Saint-Malo)まで移動し、そこからバスに乗り継ぐ方法もある。だが、それらの経由地で途中下車して観光する予定が特になく、目的が、モン・サン=ミシェルだけならば、レンヌ経由が最短の移動方法なのだ。

 それでも、パリからレンヌまでは、TGVで約二時間、さらに、レンヌからモン・サン=ミシェルまでは、バスで約一時間、計三時間程かかる。

 そこで、この間、哲人は教え子に、パリを発った後に訪れた欧州の都市の様子を尋ねてみることにしたのであった。


「ところで、サンダー、初の欧州巡りはどうだった?」

「まじで、さいっこおおおぉぉぉ~~~だったっす。自分、語彙力なくなりました」

「おいっ、もっと具体的に言ってくれよ。それじゃ、何一つとして、僕に伝わってこないよ」

「そうっすね。ロンドンに関しては、大英博物館を訪れるのが、自分の昔からの憧れだったので、ついに夢が叶ったって感じだったっす」

「ロンドンに行ったのに、大英博物館に行かないってのは、パリに来て、ルーヴル美術館に行かないようなものだしな。

 ルーヴル美術館もそうだけれど、大英博物館の収蔵点数は、約一千万点、正確には八百万だったかな。それだけの数があったら、とてもじゃないけれど、一日や二日で全てを観ることはできないってのは当然なんだけれど、それじゃ、サンダー、日本に帰ってから、友達や家族とかに、『大英博物館に行ったら、これだけは観ておけ』って〈推す〉としたら、何を選ぶ?」

「そうっすね、自分、古代マニアなんで……、古代オリエントに関しては、まずは、メソポタミアの『ウルの〈王墓〉』を推しますね」


 オリエント(Orient)の語源は、ギリシア神話の暁の女神〈エオス〉に由来するオリエンス(Oriens)というラテン語で、この語は、日が昇る方角である東を意味する。それゆえに、広義においては〈東方世界〉という意味なのだが、狭義において、〈古代オリエント〉というと、それは、古代ローマから見て東方の世界、具体的に言うと、エジプトやメソポタミアを指す。


「僕は、古代オリエントについては、然して詳しくはないんだけれど、『ウルの〈王墓〉』ってどんなのだったっけ?」

「『ウルの〈王墓〉』は、『ウルのスタンダード』とも呼ばれているんすけど、直訳すると『ウルの軍旗』っす。この遺物の実際の用途は不明らしいんすけど、これは、横長の箱で、箱の表面が、赤色石灰岩、貝殻、ラピスラズリなどで、モザイクになっているんすよ。

 で、着目すべきは、箱の広い面で、そこには、歩兵と戦車、チャリオットを率いたウルの王が敵を打ち負かすっていう〈戦争の場面〉が描かれているんすよね。

 そして、もう一方の大きな面は、戦争とは反対に〈平和の場面〉になっていて、王と家臣が宴会を楽しむ姿が描かれているんす」

「その『ウルの軍旗』は、時代はいつぐらいの物なんだ?」

「紀元前二六〇〇年くらいらしいっす」

「ほう、今から、約四五〇〇年前か……。途方もない昔だな」

「そうなんすよっ! 紀元前二六〇〇年頃っていったら、まさに、神代の終わりなんすよ。実は、紀元前二六〇〇年っていうのは、伝説によると、シュメールのウル第一王朝時代の第五代目の王、ギルガメッシュの時代とピタリ一致するんですっ!

 もう、自分、大興奮っすよ」

 雷太は、激しい身振り手振りでその興奮の程を表わしていた。

「ギルガメッシュて言うと……」

「そうっす。『ギルガメッシュ叙事詩』のギルガメッシュっす。まさに、あの金ぴか鎧の、『雑種が……』が口癖の半神半人の王の中の王、ギルガメさんですよっ!」

「サンダー、声がちょっと大きい。朝の車内だし、もう少し抑えて」

 哲人は教え子を少し落ち着かせようとして、雷太に三度ほど深呼吸をさせた。


「ふっ、ふっ、ふうううぅぅぅ~~~。

 落ち着きました。

 さて、『ウルのスタンダード』の王がギルガメッシュかもってのは、自分の勝手な想像なんすけど、紀元前二六〇〇年っていうのは、初期王朝時代・第二期の末期なんです。こんな風に、ギルガメッシュと、『ウルのスタンダード』が時代的に一致するっていう、その符合性が、古代好きの自分の興味・関心を掻き立てて、夢想するだけで、もおおおぉぉぉ~~~う、おナカいっぱいっす。

 ギルガメッシュは神話・伝説上の人物で、本当にいたかどうかを示すような考古学的な資料は、現時点では未だ見つかってはいないんすけど、『ウルの〈王墓〉』とギルガメッシュを関連付けて考えるのは……、浪漫っすね」


「他には、何が興味を引いた?」

「古代オリエントつながりで言いますと、アッシリアの守護獣神像、これも凄かったっすね」

「どんな像だっけ?」

「これは、ひげを生やしたおっさんの顔に牡牛の体の像っす。しかも、ただの牛じゃなくて翼が生えているんすよ。さらに、脚が五本っていう、まさにキメラみたいな合成獣の石像なんす。ちなみに、これ、一枚の岩から作られたらしいんすよ」

「サンダー、独特の描写だな。なんか思い出してきた。お前が言っているのは、たぶん、人頭有翼の牡牛、〈ラマス〉のことだろうな」

「そうそれっ! ラマスっす。古代オリエントの彫像って、例えば、人の顔に体が獅子のエジプトのスフィンクスもそうなんすけど、顔が人で体が動物っていう生物をモデルにしているものが多い印象なんすよね」

「そう言えばそうかもな。半獣神ってことで言えば、山羊の半獣神のパーンや、馬の半獣神のケンタウロスなど、古代ギリシアもそうだよな。そもそも、スフィンクスも、オイディプスなどのギリシア神話に出てくるしな。まあ、ギリシアだと〈スピンクス〉って呼ぶけれど」

「完全な思い付きなんすけど、獣の顔に、人の体って逆ヴァージョンもありますよね。牛頭人身のミノタウロスとか。そおいえば、日本でも、地獄の番人の馬頭牛頭っていますしね」

「なんか、こおゆうテーマでまとめてみるのも、面白く思えてきたな」


「ムッシュー、今度、講義してくださいよ。そおいえば、馬の頭つながりだと、大英博物館の古代ギリシアのコーナーには、パルテノン神殿にあったっていう馬頭があったっす。あれって、頭部だけだったんすけど、実は体は人だったりするんすかね?」

「あれは、たしか……、月の女神セレネが乗る馬車を牽いていた馬だったはずだけれど」

「残念、体が人じゃなかったんすね」


「ギリシア神話だと、たしかに、頭が人で身体が獣の半獣神が多いって印象だけれど、獣頭人身の存在もいて、ミノタウロス以外にも、頭が馬で身体が人の姿の、黒衣を纏ったデメテル像がアルカディアの洞窟に在ったっていう伝説をどこかで読んだ気がするな。以前、その記述を目にして、ギリシア神話で獣頭人身の神って、少し珍しいように思えたんで、記憶に残っているんだよね」

「エジプト神話だと、むしろ、神の頭は獣って印象なんすけどね」

「そうだな。ぱっと思いつく限りで、獣頭人身の神っていうと、冥界神アヌビスは頭が犬、あるいはジャッカルで、オシリスの弟のセトもジャッカルだったかな。そして、天空神ホルスは、鳥、たしか……隼で、太陽神ラーの家族のバステトは、頭が猫だったはず」 

「なんか、国ごとの神話で、人頭獣身が多かったり、反対に、獣頭人身が多かったり、神話や古代史ってやっぱり面白いっすね。浪漫っす」

「サンダー、具体的に語ろうと思えば、やればできるじゃん。初めから『語彙力足らず』を言い訳に、表現することから逃げちゃ駄目だからな」

「分かったっす、ムッシュー」

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