第19話 残りHP100万円

 ろくな死に方はしないだろうなんてカッコつけたことを考えていたけれど、実際にはあと数十年、のうのうと生きるつもりでいた。

 報いは、いつ来てもおかしくなかった。それこそ首都直下型地震のように。いつでもというのはつまり1秒後でもということなのだけれど、ほとんどの人が「1秒後に震災が来るかもしれない」なんて真剣には考えないように、僕は自分の「ろくな死に方」に視界の外に追いやっていた。

 逃げなければ。

 逃げ切れなければ、死。さらに、勝手に戦闘を行ってきた組織の責任者として罪をかぶせられる。

 収入経路は断たれた。残高はちょうど100万。今やこの100万が僕の残りHPみたいなものだ。失業率が発表されなくなって久しい。20%はとうに超えているだろう。何の技能も資格もなく、レジ打ちとボタン押しの経歴しかない僕が、逃走先で新たな職にありつけるとは思えない。

 それに、この100万を丸ごと逃走に使えるわけじゃない。部屋を解約せずに逃げる場合、住んでもいないのに、家賃は毎月引き落とされていく。かと言って、解約するなら引っ越しをしなければならない。そんな時間はないし、行く当てもない。

 金の問題は、実家に戻ればひとまず解決する。でも、それだけはダメだ。僕は狙われている。両親を巻き添えにはできない。

 打ち明ければ、きっと助けてくれるだろう。むしろ何も言わずに死んだらひどく悲しませるに違いない。何しろ死ぬだけでなく、僕は大罪人に仕立て上げられる。

 それでも、帰るわけにはいかない。

 僕はもう、とっくに大人だ。

 俳優にも人殺しにもなれなかった僕にも意地はある。せっかく実家を出て、自分の世話を自分でできるようになったのに、最後の尻拭いができずに逃げ帰るなんて残念過ぎるではないか。

 濡れ衣に関しては誤解を晴らせるよう、遺書は書いておこう。オンライン遺言サービスで1通、紙でも2通用意し、1枚はこの部屋に隠して、1枚は財布に入れておく。全3通、日野たちに処分されてしまったらそれはもう仕方ない。


(さて)


 どこへ逃げる?

 英語はからきしだが、いっそ海外へ?

 無理だ。パスポートを持っていない。今から書類を作って申請して発行を待つなんて、そんな悠長なことはやっていられない。それに、警察は日野側と聞いた。逮捕状が出れば審査は通らないだろうし、通ったと聞いてのこのこ受け取りに行けばその場で捕まるかもしれない。

 では、どこへ?

 どうすればいい?

 何でも話せる人、本当に困った時に頼れる相手は、一人か二人いれば十分だと思っていた。僕の場合、それが先輩一人だった。好きな人であると同時に親友でもあった。その先輩がはるか遠い世界の人間だったとわかってしまった今、僕には相談できる相手がいない。

 時計の針が23時を回った。約束の22時を過ぎても連絡がなかったということは、先輩は僕の身を案じてはいない。僕はやはり刺客で、何らかの事情で作戦行動が中止になったものと判断しているだろう。

 22時を回る前に行けなくなったと連絡して、すべて打ち明けていれば――それか今からでも――いや、僕は何を考えている? 自分を殺す気だった奴を匿うわけがない。

 さぁ、どこへ行こう。


 ◆ ◆ ◆


 電車とバスを乗り継いで、待ち時間含め3時間。いつも仕事の行き帰りに通過する港町に来た。

 追う側からすれば予想しやすく、良い逃避先とは言えない。けれど、あの時の「何か困ったことあったらいつでも言って」という一言が、今の僕には魅力的過ぎた。


「よぅ、お兄ちゃん! 今日はどうした、山登りか?」


 持てるだけのサバイバル道具と保存食を大型のザックに詰め込んできた。夜逃げなのか疎開(?)なのか、時節柄、大荷物で移動している人は多かったから、さほど目立たずに済んだ。

 詳しい事情は言えない。しばらくどこかで寝泊まりさせてもらえないだろうかと、それだけ頼んでみた。

 回答は、拒絶でもないけれど快諾でもなかった。


「こんな田舎だからさ、ワケありの人間はちょこちょこ来るのよ。そういう意味じゃ俺らは慣れてる。けど、タダってわけにはいかねぇんだわ。こっちにもリスクがあるからな」


 定時された金額は、1泊10万円。


(嘘だろ)


 高過ぎる。

 それなら普通のビジネスホテルやネットカフェのほうが……いや、まともな宿泊施設には顔認証システムがある。もしすでに指名手配がかかっていたら自動的に通報されてしまう。


「お兄ちゃんには恩があるから、1週間50万でいいよ。金はあるんだろ? あんな仕事してたんだからさ」


(金はないんだ!)


 残り100のうち50は痛い。

 野宿のほうがマシでは?

 そう思って、願い下げしようかと思ったけれど、言う直前に気づいた。

 もう手遅れだ。

 匿ってほしいと話してしまった。滞在を選ばなければ、僕の情報はきっと売られる。


 案内されたのは、魚の匂いが立ち込める、壊れかけの納屋だった。

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