第8話 どうして金が減ったのか

 おかしい。

 金が足りない。

 一人暮らしを始めて約一ヶ月、残高が減っている。

 給料が入ったのに、開始時点の75万を大きく下回り、70万を割った。


(なんで?)


 トイレットペーパーだのゴミ袋だの、確かに最初は何かと物入りだったけれど、ほとんど200均で揃えた。大した出費ではなかったはずだ。

 スマホの明細に見入る。

 

・家賃 52000円

・スマホ代 9000円

・水道光熱費 15200円

・保険料 19500円

・住民税 16000円

・受信料 2240円


 計113940円。実家にいた頃、スマホ代より下の項目は払ってもらっていたから、固定費の高さには驚いたが、それにしても減っているのはおかしい。

 給料が源泉引かれて172800円。残る58860円はどこに消えたのか。いや、残高が減っているのだから、謎の出費は10万を超える。


(食費……か?)


 食費ということになるのだろう。

 趣味のアウトドアは新しい道具を買わない限り、大した費用はかからない。

 すると、考えられるのは食費だけだ。


「つかぬことをお伺いしますが」


 鬼嶋先輩は大体すぐ返信をくれる。


「なんだね?」

「先輩ん家は月の食費どのぐらいですか?」

「そうねぇ、ちょい待ち」


 待ちます、のスタンプを押して待つ。


「2人で9万ってとこかね。外食除いて」

「ありがとうございます。じゃあ、1人で10万超えるのは明らかに変ですよね?」

「高ぇわ! 普段何食ってんだよ」

「割引弁当が主ですよ」

「毎食?」

「毎食じゃないですけど」

「外食は?」

「たまにしますけど」

「酒は?」

「飲みます」

「だったら、そういうことじゃん?」

「どういうことですか」

「だから、割引じゃない飯とたまの外食と酒代が積もり積もって10万の壁を超えたのさ」


 ……そんなことって。


「そんなことってあります?」

「だから自炊しろって言ったのに」

「やはり自炊すべきですか」

「安くはなるはずだよ。もちろん何食うかによる。炭水化物ばっか食うなら馬鹿みたいに安く済むけど絶対体壊すからね」

「体壊すのは嫌です」

「じゃあ、それなりに野菜だの魚だの食うとしても、6万は切れるんじゃない? 10万はかかり過ぎだよ」

「そうですよね。自炊します」

「何か好きな調味料ある?」

「好きな調味料? 考えたこともないですけど……マヨネーズとか」

「いいね。じゃあ、マヨネーズ+レシピで検索すれば、キュー◯ー公式のレシピが出てくるから、その中の簡単なやつから始めるといいよ。レシピ投稿アプリのやつは無駄に凝ってたり正直おいしくなかったりするからオススメしない。企業の公式レシピを起点にして、少しずつ調味料を増やしていくのがいいと思う」

「なるほど。ご指導ありがとうございます」

「指導料10万な」

「高いですよ」


 食費が6万を切れば……それでやっとトントンか。


「先輩」

「なんだね?」

「生きるのって金かかるんですね」

「そうだよ。だから働くのさ」

「時給1000円そこらじゃ無理くないですか?」

「そりゃ無理でしょ」

「でも、吉田さんは確か1100円ぐらいのバイトで一人暮らししてましたよね?」

「いつの話をしてるんだ君は」

「そんな昔でしたっけ?」

「今の最低賃金は1240円じゃないか」


 ……え?


「それでも厳しいですよね」と、苦し紛れの知ったかぶりをとりあえず返しておく。


 上がっていたのか。

 いつの間に。

 じゃあ、もしや時給2000円って、悪くはないけどそこまで良くもないのか?

 人を殺し……殺してはいないけどそれにしても。


「時給1240円で一人暮らしはキツいね。風呂なしのワンルームに住んでタライで体洗って、趣味には金かけないで炭水化物だけ食うしかない。実際、そういう生活をしてる人は大勢いるよ」

「日本ヤバくないですか?」

「気づくの遅くない?」


 贅沢はしていないつもり――あくまでも今の僕の基準でだけど――なのに、食費が圧迫しているということは、物価だ。物価がとんでもなく上がっているのだ。

 どうして知らなかったのか?

 子供部屋おじさんだったからだ。

 役者をやっていた頃、稽古の休憩時間の食べるコンビニ弁当がだんだん高くなっているなとは思っていた。あれがもっと深刻なレベルで進行していたのだ。

 最低賃金は引き上げられたけれど、まったく追いついていない。


「ありがとうございました」

「いきなり何の御礼?」

「一人暮らし始めなきゃ一生知らないままでした」

「んなこたないでしょ。いつかは知ることになるんだよ。てか、実家出たの私が原因なの? まぁそうだろうとは思ってたけど」

「酒やめたほうがいいですかね」

「不可能なことを言ってんじゃないよ」

「でも酒のランク落とします。自炊も頑張ります」

「そうしたまえ。ところでそろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」

「何をですか?」

「バイト何やってんの?」


 先輩には、話していない。

 親にも言っていない。否、親にはパチンコ屋だと嘘をついている。

 やましいわけではないのだけれど隠しているのは結局やましいと思っているからだろうか。


「内緒です」


 恥ずかしい仕事だとは思っていない。

 でも、先輩には、言いたくないんだ。何となく。


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