第10話

 それから十分程で、清崎の家の者が五人来た。恐らくボディーガードだろう、見るからに実戦慣れした雰囲気と体つきをしていた男達だった。

 家の者は、撃ち倒された敵と葉子を見比べ、愕然とした表情を浮かべながらも、素早く処理した。腕の立つ女子高生ボディーガードの話は聞いていただろうが、それでも心の何処かでは、半信半疑だったのだろう。

 縛り上げた敵を車の中に放り込んだ家の者は、もう一台の車の方に涼太を乗せようとしたが、涼太はその提案を拒否し、葉子と二人で歩いて帰ると言い放った。

 こんな事があった後に何を言っているんだと、葉子と家の者は詰め寄ったが、「当の誘拐犯は捕まったし、こんな早くに次の刺客がくるとも思えない。それに、万が一の事があっても、あんたが守ってくれるんだろう?」などと言いくるめられ、葉子は、涼太と二人で家まで帰ることになった。

 家までの道は、等間隔に建てられた街灯のおかげで、ほのかに明るい。

 廃墟を出てからずっと二人の間には沈黙が流れていたが、通学路に差し掛かったところで、漸く涼太が口を開いた。

 「・・・あんたは、養子としてうちに来たんじゃないんだろう?」

 静かな声だった。葉子も同じく静かに返す。

 「はい。詳しい話は、後でお父上からあると思います。・・・これに懲りたら、もう一人で帰らないでくださいね」

 それまで前を見ていた涼太が、葉子の方を向いた。葉子は続ける。

 「御曹司は優しいから、私を危険な目に合わせない為に、私を遠ざけようとしたのでしょうが、これで分かりましたよね。私は強いです」

 そして、涼太の顔を見て、微笑んだ。

 「言ったでしょう?私が貴方を守るって」

 涼太は暫しはにかんだ葉子の顔を凝視したが、溜め息をつくと、首を振って言った。

 「あのなぁ・・・俺は本気でお前を心配して言ったんじゃないぞ。お前に離れて欲しかっただけだ。さっきだって、お前があの女達に連れていかれたのを知った上で放って帰ったんだぞ」

 葉子はそれを聞くと、少しだけ傷ついたような表情を見せた。しかし、すぐに納得したように頷いた。

 「そうですか・・・。いえ、結構です。そういう扱いは慣れてますので」

 葉子のその言葉に、涼太は、ふいに哀しくなった。――――理解したのだ。彼女の闇を。この涼太と同年代、しかも年下の少女は、腕に覚えのある大人の男五人を相手に、物怖じも躊躇もなく、次々と撃ち倒していった。あんな度胸や技術は、並大抵の生き方では得られない。

 涼太はこれまで、周りを見下して生きてきた。

 何も背負わず、何も成さずとも、気楽に生きていける存在。――そんな風に思っていた。一番心を許している優馬にさえも。

 しかし、今目の前にいる少女は、違う。きっと自分には想像もできないくらいの――自分のことを気楽に生きていると見下せるくらいの、深い闇に浸かっている。それなのにこの少女は、少しも周りを見下さない。彼女を見下していた、自分にさえ。

 涼太は、ひどく羞恥を覚えた。

 

 押し黙った涼太の隣では、これまた葉子も同じように、口を噤んでいた。

 葉子は、考えていた。先程戦闘中に感じた違和感を。

 彼女は、殺し屋として育てられてきた。殺し屋に必要なのは、不意をついて一瞬で相手の息の根を止める技術。さっきみたいな猛攻を受け続けるスタミナ勝負は、男女の体力・力の差も相まって、明らかに不利だった。間違いなく、殺す時よりも苦労した。それなのに、殺す時よりも、疲れていない。こんなのおかしい。矛盾している。

 「あの、おんぞ・・・涼太さん」

 呼びかけると、涼太は俯かせていた顔を上げ、こちらを向いた。

 「私のさっきの戦闘、どうでしたか・・・?なんか、違和感ありませんでしたか?」

 葉子は聞きながら、馬鹿げてる、と思った。戦闘技術も裏世界の知見もない涼太に聞いて、何が分かると言うのだ。

 「あったさ」

 しかし予想に反して、涼太は即答した。

 「一見して平凡な女が、あんなにいきいきと人を襲って倒してるんだからな。悪夢でも見てるような心地だったよ」

 「・・・そんなにいきいきしてましたか?」

 大げさに肩をすくめて言う涼太に、葉子は驚いて問う。

 それに対して涼太は、「してたさ」と即答した。

 ふいに、葉子が立ち止まる。涼太は数歩進んだのちそれに気づき、振り向く。

 葉子が立っていたのは、ちょうど街灯の途切れた闇の中だった。街灯の下にいる涼太からは、俯いているその人影が、どんな表情をしているのか分からなかったが、ふいに口を開いたのが見えた。

 「私、人を殺さなかったの、今回が初めてなんです」

 その言葉に、思わず涼太は目を見開くが、葉子は構わず続ける。

 「今まで、たくさん、殺してきました。でも、今回は、殺しちゃだめって言われたから。殺さないで戦うの、凄い大変だったんです。・・・それなのに」

 葉子が、顔を上げる。相変わらず表情はよく分からなかったが、自分に向けられたその瞳が、射抜くような強さと、縋るような脆さを孕んでいるのが分かった。

 「いつもより疲れてるはずなのに、疲れてないんです。そりゃ、体は疲れてますけど。それでも、どこか・・・何というか・・・」

 もごもごと言葉を濁した葉子を、涼太は不思議なほど落ち着いて見据える。

 目の前にいるこの少女は、人殺しだ。それを涼太は、疑わなかった。

 それでも、彼女は。

 「・・・それはあんたが、人殺しを厭っていたからだろう」

 彼女の本質は、それを許していないのだ。

 運命という鋳型に押し込まれ、そうなるようにと形作られながらも、完全に変容することを心のどこかが許していないのだ――そう、迷いなく確信した。

 涼太だってきっとそうなのだろう。清崎の後とりになるという、それしかないという運命を受け入れながらも、心のどこかではそれを完全に受容することを拒んでいる。少なくとも、護衛を疎ましく思う程度には。

 葉子は、暫し唖然としたように口を開いていたが、ふいに、「そうか・・・だから梟会は・・・」と言って、空を仰いだ。仰いだまま、続ける。

 「・・・今回はうまくいきましたけど、次は死ぬかもしれませんね。こちらを殺す気で襲ってくる敵を相手に、こっちは殺さないように手加減しなきゃいけないんだから。いくら殺さない方が気が楽でも、それが足枷になる場合だってありますよ。むしろ、そっちの可能性の方が高い」

 「だったら、死ねばいいじゃないか」

 涼太のその言葉に、仰いでいた顔が再び正面を向いた。涼太は続ける。

 「心を殺して生きるくらいなら死んだほうがまし――そう思わないか?どうせ人間最後には死ぬんだ。生ける屍としてのらりくらり生きるより、少しでも自分のやりたいように生きて、楽しんで死んだ方がいいだろう。俺達という存在は、生まれ持っての性質と生まれ育った環境で形作られている。だから、こうなるようにと形作られた生から完全に逃げ出すことは不可能だろう。だけど俺達は、自由意志を持った人間だ。その形作られた中で、少し暴れるくらいいいじゃないか。」

 「・・・なんだか、中途半端ですね。それだったら、全て投げ出して、楽しんで長生きしたほうがいいんじゃないですか?」

 「そういう考えもあるだろう。けど俺は、それが出来るほど、形作られた自分と形作った者達を嫌ってはいない。・・・お前はどうだ?」

 葉子は答えない。その沈黙が意味しているのは、躊躇か否定か。堪らず涼太は、葉子の方へ足早に歩み寄り、腕を引いた。

 つんのめるように、葉子は街灯の光がぎりぎり届く場所に出た。仄かな光が照らした葉子の顔には、紛れもない惑いが浮かんでいた。

 涼太は、微笑んで言う。

 「俺は、清崎の後とりとしての誇りを抱きながらも、それを理由に周りから庇われたり守られたりするのを疎んじていた。――けど、一つだけ妥協してやる」

 葉子の腕を掴んだまま、言い放つ。その穏やかな笑みに似つかわしくない言葉を。

 「あんたを俺の護衛として認める。そのかわり、あんたは誰も殺すな。殺すくらいなら、死ね」

 葉子はまじまじと、その整った顔を見返す。そして、矢庭に吹き出した。

 「・・・なんですか、その理不尽な取引は」

 「理不尽?心外だ。公正な取引のつもりだが」

 「貴方が私に守られて?それで私には死ぬ気で守れと?」

 「俺の本質は清崎として生きたくなく、あんたの本質は人を殺したくない。でも、俺は清崎の後とりだし、あんたは殺し屋だ。だけど俺は妥協してあんたに守られるし、あんたは俺に妥協して死ぬ気で俺を守るんだ。俺はあんたに守られる以外は清崎らしくない振る舞いもするし、あんたは人を殺さずにすむ。実に公平だ」

 「うだうだ御託並べてますけど、全然公平じゃありません!」

 葉子は涼太の詭弁に呆れながらも、心のうちは不思議なほど清々しかった。

 二人は言い争いながらも、並んで歩いていく。その背中は、街灯の光とその間の闇に交互に染められながら、遠ざかっていった。

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境界のロゼット 里見絵馬 @EmaSatomi

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