第9話
涼太を誘拐した男達のうち四人は、小さなテーブルを囲んで座り、うち一人は涼太の側で監視していた。テーブルを囲んでいる男達は、上の者からの折り返しの連絡を待っていた。涼太の誘拐は、この日に狙いを定めて決行したわけではない。日が高いうちだと学生等に目撃される恐れがあるので変な真似はできない。涼太が基本的に一人で下校している事や、生徒会のある日は帰りが遅くなる事が分かっていたので、毎日暮れるのを待ってから通学路で待ち伏せをしていたのだ。
それ故、上の者には、誘拐が成功したタイミングで連絡する事になっている。ここにいる者は皆腕自慢なだけの下っ端だ。大財閥清崎の相手をするのは、彼等には役不足だった。
「畜生、連絡はまだなのか」
男の一人が苛立たしげに言う。
「連絡をいれてからもう20分は経ってるぞ」
その男は、涼太を車に連れ込めた時点で、上の者に連絡を入れていた。しかし電話は通じず、その後何回かけても同じだった。
「最近他の組ともバタバタしてるからな。全く、何だってこんなタイミングでこんな面倒な・・・」
言いかけて、男は振り向いた。つられて、他の三人も振り向く。振り向いた先にいたのは、涼太と、その見張りと、謎の人影だった。人影は蹲った見張りの上に乗って――――
何かを刺している。そう気づいた時には、四人は人影に向かって――殆ど反射的に、走り出していた。逃げられないように、全方位に散らばりながら。
一人の男が人影まで三メートル程の距離まで近づいたその時、矢庭に、人影が消えた――ように、その男には見えた。しかし、その男よりもやや遠く、異なる方角から駆けていた他の男三人には、その人影が、男の背後に跳んでいくのが見えた。頭から逆さに落ち、男の背後で横に回転する。そのタイミングで男が「ギャ」と叫んだことから、回転しながら何かで斬りつけた事が分かった。崩れ落ちる男の背後で半回転し終えた人影は、足を下ろして着地し――伏せていた顔を上げた。
月光に照らされたその人影は、現ノ宮学園の制服を纏った、少女だった。
その光景に、男達は唖然とする。それを少女は見逃さなかった。
少女は、崩れ落ちた男の脇をすり抜け、素早く走ってくる。それにいち早く反応したのは、駆けてくる少女から一番近い位置にいる男だった。男は銃を抜き、引き金を弾いた。
一発目。少女は弾を横に半回転しながら避け、一瞬、背中を向けた。チャンスだ、と男が二発目を撃とうとした時、それよりも速く、少女がこちらに振り向いた。
と同時に、男の肩に激痛が走った。その男の肩には、スローイングナイフが刺さっていた。光が反射しないようにコーティングされた、黒いナイフ。少女が振り向きざまに投げたのだ。――男達のその思考は一瞬だったが、その間にも、少女は、さらに距離をつめていた。
負傷した男の斜め後ろにいた男は、素早く銃を抜き、銃口を向ける。しかし撃つよりも、少女が負傷した男の元に辿り着く方が早かった。少女は負傷した男と
残った男は、その様子を呆然と見ていた。少女がその男に向き直ると、男は我に返り――――不敵な笑みを浮かべた。
「来な、嬢ちゃん」
そう言うと、少女は躊躇なく駆けてきた。縦拳や蹴りを使う徒手格闘で攻めてくる。ナイフでは襲ってこなかった。あれは奇襲専用なのだろうか。
男も、徒手格闘で迎え撃つ。ナイフも持っていたが、徒手の方が自信がある。少女がナイフを使わない場合は、リーチの長いこちらの方が有利だろう。そう思った。
男は、他の男達よりも数段強かった。さっきまでは、奇襲してきた敵の正体とその強さのギャップに思わず呆然としてしまい――それも時間的には一瞬だったのだが――仲間の敗北を許してしまった。武に精通しているからこそ、衝撃が大きかった。
しかし、彼女の武器は、その意外さと奇襲力の高さだと男は判断した。正面からの格闘戦では負けることはない――そう思っていた。
男は、少女の攻撃を、避けるのではなく、ガードして止めた。少女の動きは速さはあるが、力強さはあまりない。無理に避けて相手に隙を見せるより、受けてしまった方が良いと判断したのだ。
蹴りはいなし、縦拳は受け――それを繰り返した時だった。
縦拳をガードした腕に、激しい痛みが走った。打撃ではない、刺された痛み。引いた彼女の手には、いつのまにか、逆手にしたナイフが握られていた。
――やられた――
いつのまにか抜いたのか、それとも最初から順手持ちで握っていたのか――それを悟らせないように、縦拳で戦っていたのか。
このまま戦闘を長引かせるのは得策ではない。そう考え、少女に猛攻を仕掛ける。その甲斐あって、強い一撃をかろうじて食らわせる事ができた。
少女は軽くよろめき、背後の壁まで後ずさる。
――もらった――
男は口元を歪めながら、一気に距離を詰めた。すると少女は、大ぶりな上段の蹴りを繰り出した。こちらの歩調を緩める為の苦し紛れの攻撃だ。そう思った男は、体勢を崩さずに、腕を使って難なくガードした。しかしその途端、再度激痛が襲った。
引き抜かれた彼女の足。そのつま先には、刃が仕込まれていた。
――しまった――
男は後悔する。先程と同じ手で反撃してくる可能性を、何故考えなかったのか。受けるのでなく避ける事を考えなかったのか――。
僅かな狼狽の隙に、少女は、体勢を立て直していた。
――これで、さっきよりは攻撃しやすくなるはず――
葉子は、動揺した表情を浮かべながら距離をとった男の傷を確認し、そう思った。
この場にいた敵は全部で五人。現在一人と戦闘中。うち二人は意識を奪ったのを確認したが、もう二人は傷を負わせただけだ。逆手で切ったので傷は深いだろうが、急所は外した。無理をすれば戦えない事もないだろう。しかし、その二人は傍観に徹しているようだった。それは、自分への恐怖というよりは、今交戦しているこの男への信頼の表れのように感じた。助太刀をしようとしては、かえって足を引っ張ってしまうと思っているような――そんな感じがした。それ位、この男は強い。涼太がこの光景を前にしてどんな顔をしているかは、今気にする事ではないので頭から除外する。
そもそもこの任務は、最初から上手くいっていない。
窓から侵入した葉子は、まず涼太の一番近くにいる男を無力化した。しかし、呻き声で他の全員に自分の存在がバレてしまった。もし「殺していい」という依頼だったら、最初の男に呻き声などあげさせる暇もなく殺せたし、そのまま誰にも気づかれずに全員殺してしまえただろう。気づかれたとしても、相手を殺せないという制約がなければ、ここまで苦戦はしなかったはずだ。銃弾を避けつつの攻撃だって、運が悪ければ被弾していただろうし、今交戦している男だって、もう少し見た目に騙されない相手だったら、こちらが不利になっていただろう。
葉子は、舌打ちしたい気持ちを抑える。仕方ない。これは仕事なのだ。
そう言い聞かせながらも、どこか、違和感を感じていた。今までよりは戦いにくいが、想像していた程戦いにくくはない。その違和感の正体を突き止めたい気がしたが、今はそんな場合ではない。
葉子は、足を踏み出すと同時に、ブレザーの内側に素早く手を入れ、投げた。だが、もうスローイングナイフは種が割れているからだろう、男は回転しながら飛んでいくナイフを余裕をもって避けた。――その一瞬の隙でいい。
葉子は、男がスローイングナイフに目を向けた刹那、ブーツの中から小ぶりなナイフを取り出し、駆けながらダーツの要領で投げた。ナイフは直線に飛び、男の左足に刺さる。
「がぁっ!」
男は叫びながら、身を捩らせた。それは、葉子が右腿に仕込んだナイフを抜き、距離を手の届く範囲まで詰めるのに、十分な時間を与えた。
しかし、相手もプロだ。男はジャケットの内側からナイフを抜き、すぐに体勢を立て直した。葉子のナイフが、男のナイフが、お互いのナイフを握った手を狙う。相手の攻撃をいなし、避けながら、ナイフを薙ぐ、突くを繰り返す。しかし、左腕と右腕に傷を負い、左足にナイフが刺さっている男の方が、分が悪かった。動きが鈍っていった男の右腕を、葉子が斬る。その衝撃で、男はナイフを手放した。
「ぐぁっ・・・!」
呻く男に距離を詰める葉子。しかし、男はそれでも攻撃の手を緩めなかった。
威力重視の突きや蹴りを繰り出し、葉子の攻撃が緩まったところで、男は葉子のナイフの握られた右手をとった。左手で葉子の手を掴みながら、右手で幾度も叩き、葉子のナイフを落とそうとした。
「ぐあっぁ・・・」
強い殴打に、葉子の手の中からナイフが滑り落ちた。
それを見届けた男が、無防備になった葉子に、猛攻を仕掛けようとした、その時。
葉子の左手が、男の脇腹に刺さった。正しくは、葉子の左手に握られた、ダガーナイフが。
葉子は、男に右手を殴打されている最中に、左手で――右手が動かせない状態でも抜けるように、左手で抜けるように収められた――ナイフを、背中の鞘から取り出していたのだ。
男は目を見開いたまま、その場に崩れ落ちる。
男に戦闘をする余力がもう残っていない事を確認した葉子は、男に背を向け、涼太の方へ歩き出した。背を向けた男の他にも、意識のある敵が二人いたが、彼等は怯えたようにその場にへたりこんでいて、戦意喪失しているのは一目瞭然だった。
葉子はこの廃墟に辿り着いてから初めて、涼太の顔を見た。彼は、予想に違わず、唖然とした表情でこちらを見ていた。
葉子は笑みを作って言った。
「怪我は・・・無さそうですね。良かったです。・・・ちょっと私、あの男達を縛ってくるので、御曹司は家に連絡をしてください。・・・男達の片付けは、そちらでしてくれる話になってますので」
そう言うと、涼太は、何か物言いたげな顔で口を開く。
「・・・分かった」
しかし、今は問いただすよりも優先してやるべき事があると思い直したのだろう、了承の意を示すと、涼太は携帯電話を取り出した。葉子は、その切り替えの早さに密かに感嘆の溜め息を漏らしてから、涼太に背を向け、敵の処理に向かった。
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