第7話

 堅気の自分とは、日陰者でない自分とは何か。葉子は、生徒会室へ戻りながら自問自答を繰り返していた。

 先の女子生徒の言葉を思い出す。釣り合っていない。平凡。家族。それらを参考にして、「涼太と同じ世界に住む自分」を思い浮かべた。

 葉子は、涼太の護衛であるという認識を忘れなかった。万が一日向の人間になれたとしても、「普通の人間」ではいけない。涼太の護衛に加えて清崎の「家族」でもある自分が、平凡に甘んじるわけにはいかないという矜持が、葉子にはあった。

 葉子は、想像した。まずは、役に立つ自分を。

 清崎の役に立つ自分・・・。生憎、家事のスキルは持ち合わせていない。とすると、やはり戦闘技能だろうか。

 屋敷に忍び込んだ曲者を捕らえる。そして、それを仕事から帰ってきた涼太に差し出して、『お帰りなさい。今日、曲者が忍び込んだので、捕らえました。こいつ、どうします?どこの組の輩か吐きましたので、見せしめに首を送り返してやりましょうか』

 ・・・そこまで考えて、慌てて首を振った。

 (馬鹿、ここからどうやって堅気な方向にもっていくのよ!・・・テイク2だテイク2!)

 咳払いを一つして、再び空想した。シュチュエーションは先程と同じでいいだろう。もうちょっと普通の女っぽく・・・。

 『お帰りなさい!お仕事お疲れ様!それはそうと、今日家に曲者が侵入したんだ。この人、どうしようか。拷問する?脅迫する?それともば・ら・す?』

 (・・・て、なんでイメージが夫婦なの!?さっきの先輩達の言葉に引っ張られた!?)

 葉子は顔を真っ赤に染め、千切れそうな程に激しく首を振った。一通り羞恥に襲われた後は、自分の発言のイメージから、自分が骨の髄まで裏世界に浸ってしまっている事を改めて実感し、沈み込んだ。

 すると、前方から吹き出したような笑い声が聞こえてきた。

 葉子は、慌てて前方に視線を戻す。すると、職員室の前で男子生徒が一人、腹を抱えて笑っていた。


 優馬は、生徒会室の鍵を返しに、職員室に来ていた。職員室からでると、件の少女――葉子がこちらに歩いてくるのが見えた。

 葉子は顎に手をあて、首を傾げ、なにか考え込んでいる様子だった。そのまま観察していると、葉子は矢庭に赤くなり、物凄い勢いで首を振ったかと思うと、いきなりズーンと擬音がつきそうなくらい落ち込んだ表情になるという、百面相を繰り広げだした。

 「プッ・・・ハハハ!」

 その様子に堪えきれず笑ってしまうと、葉子が深刻な面持ちでバッと顔をこちらに向け、その様子にますます笑いが抑えられなくなった。

 「凄い百面相だったね。何があったの?」

 好きなだけ笑い転げた後に、涙を拭いながら優馬は聞いた。

 優馬の近くまで来た葉子は、頬を染め、恥いるような責めるような顔をしながら、優馬をねめつけた。

 そこで優馬は、葉子の左頬に、羞恥とは明らかに別の赤みがあるのを見つけ、彼女が涼太の過激なファンに呼び出されていた事を思い出した。

 「あー・・・涼太のファンに呼び出されたんだっけ。ほっぺ大丈夫?」

 「あ、はい、大丈夫です」

 葉子はその言葉通り特に気にした様子もなく言う。

 「それより私、急いでるので。失礼します」

 「涼太なら帰ったよ」

 足早に優馬の横を通り抜けようとする葉子に、優馬が言う。それを聞いた葉子は足を止め、目を見開いた。

 「・・・帰った?」

 「うん。君が女子に呼ばれてすぐ。俺は生徒会室の戸締り任されて、鍵を返しに・・・ておい!?」

 言い終わらないうちに葉子が駆け出そうとする。優馬が慌てて葉子の腕を掴むが、その腕は一瞬で解かれてしまった。

 「え・・・?」

 力づくというより技術的な解き方で、そのあまりにも鮮やかな体捌きに唖然としていると、葉子がばつの悪そうな顔をして言った。

 「・・・何ですか?私、急いでるんですけど」

 彼女の声で我に帰った優馬は、すぐに葉子に視線を戻した。

 「涼太を追いかけるの?」

 「そうですけど」

 「どうしてそこまでするの?」

 その言葉に、葉子が眉をひそめる。

 「どうしてって・・・家族になったんだから、仲良くなった方がいいでしょう?」

 「そんな大切な事かな?そんな殴られてまでさ」

 そう言うと葉子は、困ったような顔をして、左頬に手を当てた。そしてすぐに答える。

 「はい」

 それを見て、優馬は驚く。同時に、納得した。

 彼女が一瞬困った顔を見せたのは、答えに窮したからではない。何を言っているのか分からなかったからだ。

 殴られた事など、彼女にとっては本当に些細なことでしかないのだ、と、理解した。

 「・・・そ」

 そう言って優馬は、葉子とすれ違い、歩き出した。すぐに背後から、遠ざかっていく足音が聞こえる。それを聞きながら、優馬は思った。

 (彼女だったら、涼太の側に居続ける事ができるのかもしれない。――もしかしたら)



 葉子が校門を抜けた時には、既に日は落ち、僅かな残照が空を染めていた。

 校門の前は長い一本道になっているので、葉子は、遠くに歩く涼太の姿をすぐに見つける事ができた。

 既に暗くなっている上に、涼太のいる場所まではかなりの距離があるので、普通ならばこんなに一瞬で見つける事は困難だろう。しかし梟会の暗殺者フクロウは、実際の梟を参考に能力を高める。故に、高い隠密性だけでなく、夜目がきく上、視覚や聴覚も常人離れしていた。流石に首を180度回す事は不可能だが、代わりに、気配には敏感だった。

 葉子が涼太の元へ駆けようとした、その時。

 脇道から勢いよく黒いバンが飛び出し、涼太の横で止まった。

 ――ヤバい・・・!――

 葉子は瞠目し、走る速度をあげた。

 しかしそれでも、追いつくには距離がありすぎた。車の中から出てきた男は涼太を中に連れ込み、そのまま走り去ってしまった。



 同時刻。

 「児童養護施設 福の巣」には、珍しい客がきていた。

 「おや、蔦野つたのさん」

 白木は、驚いた声をあげて、その珍客を出迎えた。蔦野は、白木の前任の施設長だった。今は梟会内の別のところで働いており、彼がここを訪れるのは、担当を外れてから初めてのことだった。

 蔦野を応接間に通し、白木は改めて挨拶をする。

 「どうも、お久しぶりです。最後にこちらにいらしたのは・・・」

 「三年前ですね。ここを出てからは一回もきていない」

 蔦野は無愛想に言い放つ。白木はそれに気を悪くした様子もなく、微笑みながら言葉を続けた。

 「そうですか。それで、何故いきなりいらっしゃったのでしょうか。それも、こんな遅くに」

 問われた蔦野は、それまで机に向けていた視線を、ゆっくりと白木に向けた。その眼には、鋭い光が宿っていた。

 「それでは、単刀直入に言わせてもらう」

 蔦野は一呼吸おいて、言葉を続けた。

 「――何故、葉子を手放した。あんな、使える駒を」

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