第6話

 葉子と涼太はその日の帰り、行きの時と同様「待ってください」「ついてくるな」のいたちごっこを繰り返していた。次の日の朝も同様だった。そしてその日の帰りも同じ応酬が繰り返される――と思われていた。


 その日の放課後は、涼太の生徒会の仕事がある日だった。

 涼太は勿論、葉子に先に帰るように言ったが、葉子は当然譲れなかった。

 葉子は生徒会室の面している廊下に待機していた。立った状態で待ち続ける事になったのだが、その程度葉子にとっては少しも負担にならなかった。それに、葉子の目の離した隙に逃げられる可能性がある事を考えると――葉子にそう思われる程、涼太は葉子と帰るのを嫌気していた――、生徒会室を視野に入れておきたかったのだ。

 葉子が廊下の窓の方に寄りかかりながら、窓の外を見て――正確には、窓ガラスに映った生徒会室の扉を見て――いると、ふいに後ろから「ちょっと」と声を掛けられた。

 振り向くと、そこには女子生徒が三人立っていた。全員、不機嫌さを隠さずに表情に出している。

 「あんた、付き合ってよ」

 女のうちの一人に声を掛けられ、葉子はクラスメイトの女子に言われた事を思い出す。

 ――早速来たか――

 葉子は溜め息を一つつき、無言で頷いた。ついてくるよう女子生徒に促され、無言で後に続く。本当は生徒会室から目を離したくなかったのだが、ここで騒ぎを起こしてしまえば、涼太に余計嫌がられてしまうだろう。一瞬離れるだけなら大丈夫だ。大人しく一発殴られでもすれば、彼女達もすぐに自分を開放するだろう。――葉子は、そう思った。


 「おうい、いなくなったぞ」

 机の上の書類に目を通していた涼太は、友人のその声に顔をあげた。

 生徒会副会長でもあるその友人――優馬ゆうまは、椅子の背もたれを前にして座り、生徒会室から廊下へ通じるドアの窓を見ていた。優馬は、涼太の「葉子に付き纏われている」という話を聞き、窓から葉子の姿を見ていたのだ。

 「他クラスの女子三人に連れてかれた・・・ヤバいんじゃね?」

 「何が?」

 涼太が聞き返すと、それまでこちらに背を向けていた優馬が、振り返った。

 「連れてったやつら、涼太ガチ勢の奴らだぞ。お前と同居してる年頃の女なんて、見逃してやるはずねえもん。・・・あーあ、あの子かわいそ。先輩が相手だと反抗もできねーだろうし」

 セリフだけ聞くと同情的だが、優馬の声と顔はさして興味がなさそうだった。

 「助けに行くの?」

 「まさか」

 涼太は、書類を片して立ち上がる。実は、仕事はとっくに終わっていたのだ。

 「むしろこれはチャンスだな。あいつのいない隙に帰れるし、あいつも俺に近づくとロクな事にならないって思うだろうし、一石二鳥だ」

 言いながら涼太が帰り支度を始めると、優馬は呆れ顔で溜め息をついた。

 「お前ってさ・・・本当に馴れ合うの嫌いだよな。いくら今人望があっても、そんなんじゃいつか化けの皮がはがれて人が寄り付かなくなるぞ?」

 「別に、化けてるつもりはないがな。周りの奴らが勝手な幻想を抱いてるだけだ。それに、寄り付いてくれなくて結構だ。・・・清崎の跡とりとして、必要な縁だけ保てればいい」

 淡々と言い放つ涼太を、優馬は寂しげな瞳で見据える。涼太とは付き合いが長いが、彼がここまで人間関係に薄情なのは、清崎の跡とりだからというのが大きな、否、全ての理由だろうと思っている。優馬も良家の出身ではあるが、涼太の家とは規模が違う。きっと自分には想像も出来ない程の苦悩や挫折があったのだろう。――そう優馬は思っていた。

 涼太は優馬に教室の戸締りを頼み、足早に生徒会室から出ていった。

 去りゆく彼の背中を、まだ僅かに顔を出している夕日が、赤く染めていた。



 一年上の先輩に校舎裏に連れていかれた葉子は、案の定、彼女達から尋問を受けていた。

 「あんた、養子なんだってね。いったいどういう事情で清崎くんの家に居候してるわけ?」

 あまりにも最初から喧嘩腰だったので、葉子は呆れた。しかし、ここは大人しくしなくてはいけない。本当なら堅気の少女など、暴力に訴えるまでもなく黙らせる事は可能だが、自分は清崎家の養子なのだ。粗相は許されない。

 「すみません、その辺の事情は・・・言えません」

 葉子は、努めて殊勝な態度を崩さなかった。それをいい事に、上級生達は容赦無く悪態をつく。

 「まあでも、平民の出よね。こんなにも平凡で、全然品が感じられないんですもの」

 それを聞いて、葉子は思わず吹き出しそうになった。こんな事をリアルで言う人がいるとは思わなかった。笑いをこらえる為に表情を固くしたら、彼女達はそれを、ねめつけていると思ったようだ。表情を険しくして、言った。

 「あんた、清崎君をストーカーしてるって話じゃない。清崎君が嫌がってるのに、無理矢理ついていこうとしてるって」

 葉子は僅かに目を見開いた。恐らく、登下校のあのやり取りの事だろう。そう見られても仕方ないだろうなと思ったが、ここは一応弁明しておくべきだろう。

 「あの、違うんです。確かに彼に無理矢理ついていっていますが、あれは家族として仲良くなろうと・・・」

 しかし、それは逆効果だったようだ。家族、と言った時に、彼女達の目が、一層険しくなった。

 「うるさい!!」

 女子生徒がふいに腕を振り上げ、葉子の頬を激しく打った。避ける事など造作も無かったが、敢えて避けなかった。

 「何が家族よ、図々しい!あんたと清崎君が、釣り合う訳ないでしょ!!」

 彼女達は、「家族」という言葉を変な方に連想してしまったようで、かなりヒートアップしていた。葉子は口答えせず、冷静に彼女達の言葉に耳を傾けた。

 ――このまま大人しく言われておこう。ここで変に口答えしたら、ますます逆上する可能性が高い。そんな事になったら、生徒会室に戻るのが遅くなる――

 葉子は実際、彼女達の仕打ちなど、痛くも痒くもなかった。フクロウの仕事や訓練の時に味わった痛みや、今際のターゲットネズミから吐かれた呪いの言葉に比べれば、こんなの赤子の相手をするようなものだ。――そう思っていた。

 「あんたと清崎君は、住む世界が違うのよ!!」

 この言葉を聞くまでは。

 女子生徒達は、一通り悪態をついてすっきりしたのか、その後すぐに去っていってしまった。しかし葉子は、立ち尽くしたままだった。


 ――住む世界が違うのよ!!――

 突きつけられた言葉が、こだまする。

 「住む世界が違う、ねぇ・・・確かに」

 自嘲するように小声で言って、葉子は背後の壁に寄りかかった。

 恐らくあの女子生徒達は、平凡な葉子は非凡な涼太とは住む世界が違う、と言いたかったのだろう。葉子はそれを知っていたが、それはそれとして、違う風に受け取っていた。

 だって自分は、「平凡」ではないのだから。

 涼太とは真逆の、悪い意味で、非凡なのだから。

 光と闇。日向にいる涼太と、日陰にいる自分。

 そう、当たり前だ。多くの人を殺めた自分が、日向になぞ行ける筈がない。

 そうやって割り切っていた。そうやって割り切っていたかった。それなのに。今の自分は何なのだろう。福の巣から無期限に追い出され、日向の人間のふりをして、普通に学校に通って、人を殺さずに人を守る。

 まるで一人、日差しの下に放り出されたようだ。

 嫌だ。怖い。私は――――――――――日陰者でいたいのだ。

 こんなの何も、特別な事じゃない。

 福の巣を巣立ったフクロウ達は、大概が――葉子の知っている限りでは全てが――梟会で培った技術を用い、人を殺めている。梟会の管轄を外れた者もだ。別に、裏世界で生きていかなきゃいけない訳ではない。せっかく技術があるから――それだけが理由ではないだろう。

 彼等は、日向に居場所がないと、知っているのだ。

 人を殺め、骨の髄まで裏世界に浸った自分達が、日光ひかりの下で、気持ちよく生きていけるはずがないと。

 何も、珍しい考えではない。梟会だけに限った話ではない。

 つい最近も、梟会の同期から、シラットとカランビットナイフを操る、葉子とそう歳の変わらない女性暗殺者の話を聞いた。その彼女も、きっと自分達と同様だろう。日陰の世界は、日向からは見えにくいだけで、決して狭いわけではない。秩序を犯し、秩序の保護のもとでは生きていけない者など、この世界には五万といるのだ。

 それなのに、自分だけが、弾き出された。

 日向に行けず日陰にも戻れない、この境界の上で。

 葉子はただ、立ち尽くしていた。

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